先日保護した「アメリ」ちゃんは、だいぶ落ち着いてきたように見えます。
ただ、あまり食べないし排泄もあまりなく、少々案じられてしまいます。
しかし、外にいた時は、100メートル離れていても聞こえるくらいに大声で鳴いており、かなりご近所でも有名な猫でしたが、保護してからはあのような叫び声は発することがなく、あの鳴き方は不安であったからだということが判明いたしました。
私とアメリちゃんとのお付き合いは約一年ほどです。
最初の頃は、赤い首輪をしてうろついていて、その現場での捕獲の最中、何度も捕獲器に入ってしまい困った子でした。
しかし、その後、赤い首輪が外れており、遠くの方まで出張している姿を見掛けるようになりました。
餌やり中の私のことを覚えていて、時間きっかりに、ある空き家のベランダに上がり、遠くの方から私を呼ぶようになったのでした。
最初、その姿を見掛け、悲鳴のような鳴き声を発していた為に、もしや、ベランダから降りれなくなったのかと勘違いし、空き家に侵入して救助したものでした。
しかし、救助してもまたベランダに上がってしまう為に、別に降りれなくなって助けを呼んでいた訳ではないと分かりました。
それから、毎晩、私のことを呼びつけ、フードの美味しいところだけちょっと口をつけ
「むにゃむにゃおにゃおにゃ」みたいなオーバーリアクション声を発しながら、私に印象付けて参りました。
更に、最近は急接近してきて、足にまとわりつき、離れようとせず、これはもう「助けて!保護して!」というアプローチに違いない、と思い、意を決し、松本さまからの後押しのもと保護したのでした。
そしてこの子は本当に保護して良かったと思います。
もしこのまま外にいたとしたら、結構なお歳と見受けられる為に衰弱死してしまっていたかも知れません。
こんな子はどんどん保護して里子に出すしかない、と決意を新たに致しました。
以前、保護をためらっていた為に、目の前で衰弱していった茶白君のことがいまだにヴィジョンで出てきて後悔に苛まれます。
最近、松山の生徒さまの天使猫になったルナちゃんとそっくりな男の子の猫が出没し、私のあとをずーっと追いかけ回してくるようになってしまいました。
ルナちゃんとあまりにもそっくりな為に「ナル君」と名付けております。
この子も抱っこできるようになったら保護して里子に出そうと思います。
あとは、公園のデレデレ黒猫君。
長毛グレーの捨て猫君。
面白い顔の三毛ちゃん・・・も保護候補です。
まだまだ次から次へと出てきそうです。
理想は「野良猫0!」です。
猫は外にいてはいけません!
すべての猫は家猫になるべきです!
先日、「犬猫みなしご救援隊」の諏訪さんが衝撃的なことをおっしゃっていました。
その話は他のボランティアさんからも何度も聞いていた都市伝説のような話でした。
「猫と人間の生体反応は似ている。その為、猫の薬は人間と一緒。現在、コロナウイルスを解明するために、多くの猫が実験生体材料になっている。極秘の国家プロジェクトとして遂行されている為に、行政機関はすべてつながっている。その為に警察に訴えてもまったく警察は動くことはない。むしろ訴えた方が証拠不十分であることを責められる。研究所がプロの猫捕り業者を使い外にいる猫を集めている。猫は集められ、生体実験され、薬を作る為に、血液は集められ、その後解剖され、殺処分される・・・」
この話は事実だと思います。
私の餌やりの場所も猫の数が目に見えて減ってきています。
相手はプロである為に、こちらの行動を見張っていて、いなくなった隙に巧妙な手口で猫を捕まえるのだと思います。
防犯カメラが作動していても、警察が絡んでいるのであれば、もうどうすることもできません。
私も3度、警察本署に行き、助けを乞いましたが、まったく相手にもされず、むしろ、こちらの浅はかな推理をあざけ笑われるように追い返されました。
昨日、あの猫多頭飼育の現場の「鬼ヶ島の鬼婆」の家近くを通ると、鬼婆の家の目の前の植木に明らかに異様なピンクのビニールテープがぐるぐると巻かれ、そして反対車線には、赤いビニールテープが、巻かれていました。
そのテープはもうすでに古びて植木の枝からは剝がれ落ちており、もう猫捕りが決行されてしまっていたと推理されることに、鬼婆の家の中を覗いても、今までいたおびただしい数の猫が一匹も見当たりません。
2年間に渡って鬼婆を説得し、10回近くも警察を呼ばれ、必死の思いでできる限りの猫の不妊去勢手術を試み、中で飼うようにと何度も説得しても応じなかった結果、このような猫に対して、最悪な結果となり、残虐な苦しみを与えてしまいました。
もう腹立たしさはとっくに超えてしまい、あまりにも虚しく、心の中に砂漠のように砂嵐が舞っていました。
あのような猫の飼い方をしている人間達は、地獄の鬼以下のうごめくもののようなやつらです。
無責任に餌だけ与えて、猫の本能を刺激し、無限に産ませ増やさせ続け、そして猫無法地帯にし、その増えてしまった猫達が交通事故で車に轢かれようが、テリトリー争いをして喧嘩して負傷しようが、病気になってふらふらになっていようが、猫捕り業者に持っていかれようが、そんなことはお構いなし。
不妊去勢手術をさせようとすると「私の飼い猫に勝手なことをするな!」と怒鳴り、警察に訴えると「こんな野良猫は私の猫じゃない、どうなろうと知ったこっちゃない!」とひるがえす。
もう人間のふつうの言葉も通じない、ましてや道理、理論、など、まったく通用しない。
あのような者たちは人間の皮をかぶったうごめくもの。
人間にはなってはいけなかった存在。
しかし、こちらはあのような存在にどうすることもできません。
なぜにこのようなことが起こるのか、なぜにあのようなものたちが、この世にいるのか、やってくるのか、なぜに虚しいことを繰り返すのか、虚しいことをさせられるのか、何度天界に伺っても、すぐに答えをくださいません。
「沈黙」
遠藤周作大先生の傑作の物語と同じです。
神はこの世の理不尽さに対して・・・答えてはくださらない
ただ、分かったことは、これらのこともすべて人を磨くための天界のテスト。
必死でもがいて頑張っても頑張っても、手の届かないところにあるような、雲を掴むような、どうすることもできないことがあり、結果がどうにもならなかったことだったとしても、その頑張っている姿やプロセスを天界の試験官であるマスター達は観ている。
もし最初から「無理」と諦めてしまっていたら、また別な方法での試練がやってくる。それはその人の中の一番の弱点を突く方法でやってくる・・・
これはそういうことなんだろうな、ということは理解できます。
しかし、試験問題の材料に猫を使わないで欲しい、私を磨くために猫を犠牲にするのは止めて欲しい、と天界に何度も唱えます。
すると天界は
「猫という存在は、その人間を試す、いわばテスト問題の材料として自ら進んでやってくるものである。
たとえ苦しんで死んだとしても、すぐに天界の天使となって軽やかに自由自在に飛翔する。
そして再び、その人に必要とあらば、再度、違う猫となって再生し産まれ、その人間を違う方法で試すのである」
とおっしゃいます。
う~ん、でも納得がいかない。
自らを犠牲にしてまでも人間を試さなくても良いではないか、と思ってしまいます。
しかし、天界は、
「猫の魂はそれを自ら喜び進んで候補者となるのだ、人間を大いに学ばせることができた時、その魂は昇格して、天界の天使の最高レベルにまでなっていくことができるのだ」
とおっしゃいます。
なるほど・・・
もちろん、猫の魂というのは、突き止めていくと「精霊の核の魂」です。
本当に天界の仕組みというものは奥深いものです。
人智を超えたものです。
今、できることをするしかありません。
まずは「アメリちゃん」の里親探しをしてあげることです。