jupes jupesの日記

Lanai Fukudaのくだらない日々

「どうにもならないことは手放せ」   「なすべきことをなせ」

 

「どうにもならないことは手放せ」

 

「なすべきことをなせ」

 

 

そんな天界のメッセージが聞こえて参りました。

 

メッセージがなぜ聞こえてきたのかというと・・・

 

今日は片道3時間かかる場所にお招きいただき講座をさせて頂く予定でしたが、昨晩、あいにくの大雪予報が出ていた為、交通が麻痺する懸念があり、延期をして頂いたのでした。

 

そんな鬱々とした日に、ある猫ボランティアさんからお電話があり、更に気落ちさせられておりました。

 

3日ほど以前ですが、そのあまりお付き合いのない猫ボランティアさんから、度々お電話があり、スポーツクラブで少しお話をする人からの相談があったと仰います。

 

その知り合いの人の屋根の下の隙間で猫が子どもを産んでしまい困っている、どうしたら良いか、というご相談であったようです。

 

それで私のヘルプが欲しいということでした。もちろんできることだったら何でもします、とお答えしたものの、その後、その知り合いの人が突然連絡を断ち切ってしまい、共通の友人には、「面倒なことに関わりたくない、猫でお金も掛けたくない」と言い切り、そのスポーツクラブも辞めてしまったそうなのです。

 

その猫ボランティアの方は超がつくほど猫好きで、3回目に結婚したお相手が猫嫌いであった為に、別居までして猫を8匹も飼っているというお方でした。

 

その方も心を痛め、なんとかしたいと思い、試行錯誤をしていたそうです。

 

私もおせっかいとは思いましたが、その猫ボランティアさんを介した相手の住所も分からず、ただ遠くから気を揉み、仔猫達と母猫の体調を案じるしかありませんでした。

 

そして今日のお電話では、結局、その人は完全に連絡を断ち切ってしまい絶交までしてしまってどうすることもできなくなったそうです。

 

なんという地獄の悪魔のような人達でしょう。

 

自分の屋根の隙間で、雪の降る晩、震える仔猫の鳴き声をずっと聞き続けても平気でいられるという冷たく寒い心の持ち主です。きっと死後は地獄界に陥ることでしょう。死後でなくても今後良いことなどないでしょう。その方達は天界のお試しで落第しました。

 

私ができることは、天界の大天使達、守護天使達を猫の親子に派遣し、もし、最悪な結果で仔猫達が亡くなってしまったとしても、天界の天使の王国に連れて行って頂くのみです。

 

人間界的にはどうすることもできない自分にできることは、そのことだけです。

 

その同じ数日間の間、昨年、陽気なウリエルと出会った公園に置いてあった猫の水のみバケツが盗まれてしまったことに気が付き、後日、新しいバケツを持って行くと、あずまやになっているベンチ脇の壁に「迷子猫」のポスターが貼ってあることに注目致しました。

 

その日も何かあるのではないか、という予感があった日でした。

 

自分も猫ちゃんの脱走を何度も経験し、脱走した猫の捕獲を何度もした経験があり、飼い主さんの気が狂うほどの苦しみと悲しみが痛いほどよく分かります。

 

居てもたってもいられず、捕獲器をお貸ししようと思い、電話をしてみましたがなぜかつながりません。

 

その時、できることとしてはポスターの写真を撮り、Facebookで拡散し、捜索のヘルプを皆さんに乞うことだけでした。

 

ようやく、その方と連絡が取れたのは、先程の猫ボランティアさんの電話が終わった後でした。

 

その方がおっしゃるには、その猫ちゃんは家と外を出入り自由な子で、近所の環境も良く心得ていて、毎晩、帰って来ていたのに2週間前、突然姿を消してしまった、とおっしゃるのです。

 

それで捕獲器で捕まえる必要もないとても慣れている猫ちゃんであったようです。

 

その方がおっしゃるには、ある方からの連絡で、交通事故に遭ったのか路上で死亡していた猫がおり、クリーンセンターで処理されてしまった、と聞いたそうです。

 

そのクリーンセンターの方によくよく聞いてみると、なんとなく脱走した猫ではないか、ということが分かってきたそうです。

 

なんという悲劇でしょう。でも本当にどうすることもできないことです。

 

また更に分かったことに、その飼い主さんはカフェを営んでいる方であり、そのカフェというのが、以前、弟が入院していた病院のすぐ近くにあったカフェで、一度だけ、生徒さまとそのカフェに立ち寄ったことがあったのです。

 

その時は、まだ私も猫活動を始めておらず、それよりも書きかけのショートショートの小説のことや、未完の物語のことで頭がいっぱいで、弟の世話によってそれらが中断していたことに気を揉んでいた時でした。

 

その生徒さまも小説好きな方でいらっしゃり、その日は、入院している弟の世話をした後、生徒さまと一緒にそのカフェに立ち寄り、私の書きかけの小説をそのカフェで読んでもらっていたのでした。

 

その時はまったく知らなかったのですが、今日のお電話によって、そのオーナーさんは、近所の野良猫ちゃん達のお世話をずいぶんして来られ、ご自分で少しずつ不妊去勢手術をされたり、保護されたりとするような個人猫ボランティアさんであったそうなのです。

 

そういえば、そのカフェの中に、猫ちゃんグッズが数多く置いてあったのを思い出しました。

 

今回、2年半も経ってから、そんな事実が分かってきたことに偶然ではない、天界の思し召し、サインであると感じて参りました。

 

その日、生徒さまにショートショートを読んで頂き校正をお願いして以来、私の書き物は、弟の世話と突然始まった猫ちゃん活動によって、すべてストップしてしまったのです。

 

もしかしたら、これは、私にあの日以前に戻れ、という思し召しなのではないか、と思えて参りました。

 

猫ボランティアさんのお知り合いの母仔猫ちゃん達のことも、そのカフェの脱走した猫ちゃんのことも、人智を超えたどうすることもできないことです。

 

どうすることもできないことは、もう手放しなさい、と言われた気が致しました。

 

結局猫ちゃんはある部分、野性的で神秘的な存在です。人間の手の届かないところに存在する孤高の創造物でもあります。

 

そんなレベルの高い存在に対し、人間の分際で、お節介にも一方的に助けてあげようなどと考えるのは思い間違っている、欺瞞である、とも聞こえて参りました。

 

目の前で助けを求めてきたホワイト・イーグルのようなこれまでの猫ちゃん達を助けたのは、それは天界からやりなさい、と言われたことであったに違いありません。

 

自分の手の届かないことに対して、自分の分をわきまえず、手を伸ばそうとするのは、それは傲慢なことであると言われた気が致します。

 

そして、あの日、カフェで中断してしまった、自分の仕事に戻りなさい、もう良い、と死んで天界の天使の王国に戻った猫ちゃん達からも言われた気が致しました。

 

 

「どうにもならないことは手放せ」

 

「なすべきことをなせ」

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僕らを救ってくれたのは正解だったけどね。できないことはやらなくて良いよ・・・

 

 

 

 

そんな偶然