昨日は、横浜のルミネの有隣堂で行われたオラクル・カードのプロモーションイベントに参加させて頂いておりました。
久し振りの公の場でのワークショップで、しかも書店の中で行わせて頂いたという新鮮さで、ワクワクしました。
ご参加されていらした他のセラピストさんともお会いできて、ドリーンさん情報などを聞くことができ、楽しい時間でした。
ミニセッションは大盛況で満席であり、入れなかった皆さまにご迷惑をお掛け致しました。申し訳ございません。
昨日は初めてエンジェルに出会った時のことを思い出し、初心に戻ると共に、懐かしさでいっぱいになりました。
最初に私が天使からアプローチを受けたのははるか大昔のことでした。
ある朝、目覚める直前のうとうととした目でふと天井を見ると大きな美しい鮮やかな翼が自分を覆っているのをぼんやりと見て、「これはいったい何?」というところから始まりました。
その後、通勤で使っている駅の目の前が森永ショップで逆さまになっている黄金の巨大な天使像の真下を通っていることに気が付いたり、やたらと天使グッズが目に入り、買い集めたり、また電話で誰かと話しながら、手が勝手に天使のマークを描いていたり、と不思議なことが次々に起こり始めていたのです。
手が勝手に描いていた落書き ↓
そして、以下、テキストに記述した私と天使の出会いについて勝手に添付させて頂きます。
失礼いたしました・・・
「・・・その頃(2004年オークランド、ニュージーランド)は、スクールの経営状態は火の車で、遂に私にも責任問題が問われ始め、日本に帰国命令が出ていました。
私はなんとか、この滞在中に少しでも仕事以外の何かを得たい、会社には恩恵はあるけれども、9年間ほぼ休みを取らずに一日のほとんどを朝から晩まで働いて会社の売り上げに貢献してきたという自負と、体裁の良い言い訳ではありましたが、この滞在期間を無駄にしてはいけない、と強く思っていたのでした。そんなある日に、教会のチラシ置場の台の上に2週間おきに出る、1ドルの冊子が目に留まり、ふと買ってみたのでした。それは簡単な教会のお知らせ情報と、またワークショップなどの広告が掲載されていて見ているだけなのに興味深い単語のいくつも載っている冊子でした。私はいつもそれを何度も読み返し、楽しんでいたのでした。その時もまた楽しみながら開くと、 “ANGEL WORKSHOP 2 DAYS $395”という広告が妙に気になりました。395ドルと言うのは、そのオークランド地域の講座でも破格に高い受講料です。しかし、その「エンジェル」という新鮮な響きに今までにない、何かの心の高ぶりを感じておりました。 私にとってエンジェルとは、未知の言葉でしたが何かしら、心がホッとし、嬉しくなるような言葉ではありました。このニュージーランドに来る前からエンジェルや天使という言葉がやたら耳に入ってきて気になっていたのです。またよく電話のカウンセリングをしながら、空いている手にペンを持っていると知らない間に、天使の輪と羽が合わさったような落書きを描いていて、それを仕事の書類にもすべてに無意識にそのマークのようなものを書いていたことに後で気が付きました。更に出張に行く先々で天使の小物を見つけて買い漁っていたのでした。どこに行っても天使の置物はいつもまるで私を待っていたかのようにお店で光ってアプローチしてくるのです。また休日あまりにも疲れて昼頃まで寝込んでしまい、起きようと朦朧とした目で宙をぼんやり見つめると巨大な青い翼が自分に覆いかぶさって見えるようなこともあり、それがあまりにもリアルでずっと頭の隅から離れずに、いつもエンジェル、天使という単語がふとした拍子に口から出てくるようになっていたのです。当時、ロンドンのスクールに手伝いに行った時に親しくなった、短期留学で来ていた日本の女性といつもイーメールや電話でやり取りをしておりました。その方がとても天使好きな方であり、その方から紹介されたドリーン・バーチュー博士が出版していた「エンジェル・オラクル・カード」という美しい天使達が描かれた44枚のメッセージ・カードだけは、唯一購入しており、それを大事にお守りのようにニュージーランドまで持ってきていたのです。それが唯一私のエンジェルに関する知識でした。エンジェルの講座に出ようか出まいか、迷い日本のそのエンジェルを教えてくれた知り合いに電話をし、相談をすることに致しました。すると、その方は、「それは、ものすごく貴重な経験だから絶対に受けた方が良い!日本にはエンジェルの講座なんて聞いたことないもの!頑張って!」と励まされ、彼女に後押しをされた形で、私はそのエンジェルの講座に対して勇気を持って受講することに致しました。電話をすると、ぶっきらぼうな男性が受け答えてくれて、「今留守だから後で掛け直させる」と言って切れました。それは後にその主催者の先生のアシスタントのご主人だったことが分かりました。しばらく待っていると、電話が鳴り、ものすごく高いアニメーションの子どもの声のような女性の方がハイテンションで「あなたはロシア人?スペイン人?」とまず聞いてきて、「ちょうどセミナールームはあなたのアパートの場所が通り道だから、立ちよって連れて行ってあげるわよ!」と何とも嬉しい提案をしてくださったのです。オークランドは交通手段が乏しく、列車のバスもあまりなく、車がないと生活できないところです。ですからその申し出は大変有難いものでありました。
その週末の土曜日の朝早くアパートの前の道路で待っていると、その方の車が現れました。来られる前に、きっと大きな高級車でいらっしゃるのだろうな、と想像した通りものすごい程、ピカピカの高級車で来られた先生のお車に乗り込むと、そこには先に乗っていた、他の参加者の一風変わったヒッピーのような小さな若い女性がきさくに声を掛けてくれました。先生はリネットといい、50代くらいの大柄で明るいブラウンの髪の可愛らしい雰囲気の女性でした。そして声がものすごく高く日本のアニメーションの声優さんを思い起こさせるような声で、天使の先生とはきっと普通とは違うものを持っているのだ、と納得しておりました。
その講座の場所はかなり郊外の山の中のセミナールームで行われ、参加している方々は主婦という方々ばかりで穏やかで優しそうな方々でした。
しかし、講座が始まってみると、その優しさは吹っ飛び、先生はトランス状態のようになり、突然、世界の天使の歴史から、天使の名前と意味、そしてその役割をマシンガンのようにしゃべりまくり始めました。テキストは資料程度のみで私は訳が分からず、とにかく必死でノートに聞きとれたことだけをメモしていきました。そしていきなり持っているエンジェル・オラクル・カードを出してと言われ、それで皆のリーディングをする練習をさせられたのです。私は日本から持ってきていたガイド・ブックをこっそりみてしまうと、リネット先生は「ガイド・ブックはしまいなさい!あなたの直感で答えるのです!ガイド・ブックはたいてい間違ったことが書いてあります!」と叱られてしまいました。しょんぼりとガイド・ブックはしまい、ひらめいたことだけを伝えるようにすると、「それで良いのです!」と先生は褒めてくれました。そのワークの中で「誰か皆にリーディングをして欲しい方は自分のことを質問してください」とリネット先生が言われたので、私は厚かましくも手を挙げ、「私のソウル・メイトのことを教えてください」と皆に気になっていたことをグループ・リーディングで願いました。すると参加者の方の中でわっと泣き出したご婦人がいました。リネット先生は、かっと目を見開くと厳しく「感情を抑えなさい。感情を出すと、自我が入り正しい答えが出ません!」と注意しました。するとそのご婦人は「ごめんなさい。あまりにも感動したのでつい…」とハンカチで両目を抑えながら、「ああ、本当に天使達がいるってことが私には分かりました。見てください」と言ってその方のずらっと並んだカードを見せてくださいました。そのカードの単語は、“Soul Mate” “LOVE” 、”天界は見守っている…”、というようなカードばかりでした。その方がおっしゃるには、「あなたのソウル・メイトが天からあなたを見守っていて天使達をあなたのところに派遣しているのです」と優しくおっしゃいました。私はもちろんその優しいメッセージが嬉しく感動はしたのですが、肝心のソウル・メイトがどんな人でいつ現れるのか、という答えはなく、他の方々も同様に、「あなたは今大きな人生の分岐点に来ていると天使達が言っています。恐れず過去を断ち切りなさい」というようなメッセージばかりで、ちょっとがっかりしておりました。しかし、その後、天使達を呼び出し、天使を感じ、言葉を聞くワークや、大天使ミカエルを呼び出し、その持っている黄金の剣で過去の苦しみや悪縁を断ち切ってもらう、というワークをし、そこでは私が長年悩まされていた、相談をしてくるクライアント様方からの依存、会社と同僚達との悪縁、そして過去をばっさりと断ち切るというワークを致しました。更にエジプトの太陽神ラーの娘のマアトのエネルギーで天界の目を開き、宇宙と交信するワークなど、どれもとてもパワフルで強いエネルギーに満ち、すべて生れて初めて聞いた特別な用語やおまじないのような言葉、そして天使達の名前に興奮を覚えながらもついて行くのが精いっぱいで必死にこなしておりました。あっという間の2日間が終わり、その講座中で天使達とは、なんと力強い存在であったのか、目には見えませんが、どれほど私達に貢献してくれていたのかが分かり、今までの可愛らしい天使の既存のイメージは打ち砕かれてしまい、もっと天使達を尊敬しそして感謝をしなくてはいけない、と強く思いました。また、その頃オークランドに来るまで私は、理由の分からない不安感から、親しい友人からある新興宗教の団体に勧誘され、そこに救いを求めるように10年以上も足しげく通っていたのでした。そこでは、宇宙エネルギーのヒーリングを「天界の光」のヒーリングと呼び、団体に献金すればするほど魂が向上し救われる、という教えのご利益信仰を説いており、私もすっかりそれに騙されて多額の献金を今までしていたのでした。しかし、この天使達は、まったく人間に助けの見返りを求めることなく、無条件に求めるものすべてに無償の愛とサポートをくださいます。また、天使達はとても静かででしゃばることなくそっと助けてくれるのです。それはその新興宗教で “果てしない苦しみの終わらない輪”の渦に巻き込まれていた私にとって地獄から光を見たような瞬間のような出来事でした。
そして帰りの車中でリネット先生の隣に座った私はもっと天使のことを学び、霊的能力も高めていきたい、という思いを告げました。すると先生は「私はあの有名なドリーン・バーチュー博士の弟子の第一号生で天使のことやクレアヴォヤンスのことを教える資格を持っています。もしあなたが望めば、もっと高度で細部のことをお教えしましょうか」と申し出てくださったのです。私はすがらんばかりに「お願いします!いつでも良いから教えてください!」とこの奇跡的な千載一遇のチャンスの到来にわらをもすがらんばかりにお願いしたのでした。
そのまた週末、高級車で迎えに来てくださったリネット先生とその穏やかで静かな60代位のご主人は、「さあ、今日は思いっきりあなたを甘やかすわよ!」と言っていきなり、郊外の高級そうなスーパーに行き、エビやら貝やら食材を買い漁り始めたのです。プライベートの厳しい講座を期待していた私は突然の展開に戸惑いながらも、お任せをしました。お二人が住んでいらっしゃるのは、石造りの中世のヨーロッパ風な2階建ての建物でとても趣のある一軒家でした。2階のバルコニーからは、美しい海岸が臨めるのでした。講座は地下の仕事部屋で行われ、そこには大きなテーブルが設置されていて多くの生徒様が来られても大丈夫なようになっているようでした。
まずそこで先生がしてくださったことは、霊眼を開くこと、つまり埋もれてしまっていた私達がもともと持っている天界の目を押し開き、眼には見えない様々な世界を見る!というワークでした。先生は最初に心地良い瞑想をしてくれた後、きらきらと虹色に光るたくさんカットの入った先の尖ったクリスタルのペンデュラムという振り子を取り出し「これがあなたに合っているかどうか、試してみましょう」と言い単3の電池を取り出しプラスとマイナスの極で回るかどうか確かめた後、私に手渡し掌の上でイエスが右回りに回り、手の甲でノーが左回りに回るか、試させるのでした。その後、その振り子を回しながら瞑想をし、「私の天界の目よ、開きなさい、開きなさい。私に私をガイドするメインのマスターの姿、名前そしてメッセージを教えなさい」と何度も何度もつぶやき命じていると、まずうっすらと瞼の裏に薄紫のアーモンドの形が現れました。それを先生に言うと「それはあなたの天界の目が見え始めたのですよ。さあ、その目からガイドを見なさい!」と厳しくおっしゃいました。すると、そのアーモンド形の薄紫のものにまつ毛のようなものが生え始め、瞬きをするではないですか。そうするうちに、紫色のものがマントを羽織った中世のヨーロッパの衣装を着たような男性の形に変化し始めました。そして「セント…ピーター…ブルグ…」と言った気がしたのでそのように言うと、先生は「それがあなたのメインのマスターです。さあ、後3人出てくるはずです」とおっしゃり瞑想を続行すると、次にはっきりと小さい頃、家の中に掛けてあったのを日常的に見掛けていたイエス・キリスト像が目の裏に見えたかと思うと、次々にマザー・テレサの姿、そして“Saint John of God” セイント・ジョン・ノブ・ゴッドという名前が聞こえてきました。その内二人は有名人で自分のガイドになって頂くなんて恐れ多いと思いそう先生に言うと「それらの大きな天のマスター達は一人で数え切れない人々を担当しているからあなただけではない」と言われ安心致しました。
前者2名は一体どなたなのか、検討がつきませんでしたが、後に日本に帰国後ふとテレビをつけると Saint Petersburg とテロップが突然目に飛び込んできました。それは、なんとロシアの首都である、サンクトペテルブルグの特集をしている番組で「聖ピーターの街」である由来から来ている旨も後に知ることが出来ました。私の守護聖人としてイエス・キリストの弟子であるシモン・ペテロが最初に名乗りあげて下さっていたと思うと感激致します。またSaint John of Godもポルトガル生まれの「神のヨハネ」と呼ばれる聖人であることも後に判明し、不思議な関わりを感じることができました。
しかし、それは本当に生れて初めての衝撃的な出来事でした。以前は時々カウンセリングをしていて、ぼんやりしてくると勝手に口がしゃべりだし、クライアントさん方の情報を話していたり、クライアントさん方の体の痛みなどを感じて伝えることがあったのですが、これほどはっきりと見たいものを見て、感じ、聞くという体験はまったく初めてのことで私はわくわくと興奮気味になりました。先生は「これからすべての質問はそれら4人のマスターに訊ねるのですよ」と教えてくれました。なるほど!と私はその時、今までサークルの人々がよく言っていたガイド達のなぞが解けた、と思いました。
ワークはだいたいそれで終わり後は、リネット先生とご主人が私をもてなしてくださりゆったりとランチやディナーまでも御馳走になり優雅な時間を過ごすことが出来ました。そして夜になると、「今夜はクレアヴォヤンスの練習会があるから、あなたも早速、今日開いた目を再度開き、その4人のマスター達から答えをもらう練習をしなさい」とおっしゃり、夜に集まって来られた生徒様方と地下の教室でいろいろなものを見て聞いて感じる、という練習をさせて頂きました。他の生徒様方は、まるでもうプロフェッショナルの領域であり、私はただ話を聞くのに精いっぱいでした。 その衝撃的で素晴らしい体験の講座の後、教会のサークルの方にその話をしたら「そこはお金もうけ主義のところでしょう。私達は正統派でお金は取らず趣味で続けてもらえば良いと思っている。私は賛成しない」と苦々しく答えられ少々残念に思いました。そういえば、リネット先生も以前は、そのようなスピリチュアリスト・チャーチに通っていたそうですが、「あまりにも規制があり堅苦しいので辞めた」、とおっしゃっていて、両者とも譲りあうことはない、と感じました。しかし、その後昼間のスクールの勤務でも私にとって変化がおとずれました。その巨大な英語専門学校では、生徒さんへのサービスとして、金曜日の午後にいろんなアクティビティという自由活動時間がありました。そこでは、学校の教師達が英語以外の才能を披露し、生徒さん達へのクラスを提供していたのです。ある教師は、原住民マオリの文化紹介、また絵画レッスン、ダンス、映画と解説、各楽器レッスンなど幅広く提供し楽しませていました。そこは外部の人も参加することが出来、スクールの宣伝にもなっていました。
しかし、ここ数カ月それらのアクティビティに参加する生徒さん達が激減し、皆外に出てもっと開放的に遊ぶことを選びつつあり、あるクラスは参加者ゼロというところもあり、何ともわびしい雰囲気になっておりました。そこで私は、ハッと気が付いたのです。世界どこに行っても、女性は精神世界のことをするのは大好きではないか、ここのスクールも多くの女性がいる、もし私が今までやってきたことを披露することになれば、もっと多くの女性の生徒達がアクティビティにも参加してくれて、外部の人達も呼んでくれて大いに宣伝に役立つであろう、と思ったのです。そこで、勇気をふりしぼりスクールの校長に提案してみるとあっけなくOKサインが出されました。私が今まで学んで実践してきた様々な世界のことを“Beauty Body、 Mind & Soul” と銘打ち大きく分けて4つの講座を作りました。一つは、簡単心理学、占い、ヒーリングそして美しくなるための様々なことの4つです。毎週テーマを決めて、英文でテキストを作り、人生最初の講座を開くこととなったのでした。最初のもくろみではきっと日本人女性が来るだろうとばかり思っていたのです。しかし始まってみると、集まってきたのはヨーロッパと中近東のしかも中年位の男性ばかりでした。そして職業は、医師、セラピスト、自然医療関係の人ばかりとなってしまい、そんな専門家ばかりを相手に、私は緊張のあまり冷や汗を流しながら、何とか興味をつなぎとめる為に必死でした。
特に60代の東方のドイツから来られた医師は最初かなり懐疑的なまなざしを向けて来られ、その厳しい視線の中で普通の人の目からは奇妙とも見えるかも知れない、手によるヒーリングなどをお教えしました。
時に日本の小豆やゴマのお菓子を作って持って行ったり、カスピ海ヨーグルトを持って行ったり、と食品で生徒様の心を惹きつけようとも試みました。
しかし、そんな専門家だったらすぐに飽きてもう来ないだろうと気を抜いていましたが、意外にも毎週のようにその方々は現れて、「すごく気持ちが良い。体が信じられないほど熱くなった。とてもリラックスでき体の調子が良いので、もっといろいろ教えて欲しい。来週もとても期待している」と願って来られたのです。私は不思議な気持ちになりましたが、願われた限りは頑張ろうと思い、試行錯誤し毎週毎週知っている限りのヒーリング・メソッドや美顔法などを伝授しておりました。その後、その医師の方は、なぜか見違えるほど陽気で明るく社交的に変化され、学校の中でも目立つほどになってしまわれました。そして、その生徒様の中でも一番熱心であったのは、ドバイ在住のイラン出身の30代の医師の方でした。あの厳しいイスラム教の国の人々の中にこのような柔軟性にあふれた方もいらっしゃるのだと嬉しく感じておりました。彼は孤高の生徒さんで他の誰ともあまりコミュニケーションを取らず、また遊ぶこともしないような不思議な方と覚えております。きっとその後中近東に帰られても医学界で魂の癒しも取り入れ活躍なさっているのだろうと期待しております。
その頃、自分でも金曜日の午後の為にスクールで働いているような気分になり、現実的な会社のスタッフの一員としてもスクールで働くことに我慢が出来、充実感も覚えるようになってきたのでした。
その期間は私にとってもとても貴重な時間で、生まれて初めてのワークショップが外国で、しかもまったく3次元的な物質的かつ現実的なスクールの場を借り、また精神世界のことに対して未知の方々に最初に魂の話が出来たのは試練でもありましたが、感謝すべきことでありました。
スクールのスタッフからは、「あなたは本当に珍しい人だ。普通、日本からやってきたマネージャーは時間があるとバーに行き恋人を作って遊ぶのに、なぜあなたは仕事とヒーリングのことばかりやっているのか」と訊ねられることもありました。しかし、私にとってその時期は、そんな遊びなど、どうでも良いことで、それよりももっと重要なことをしなくてはいけない、とかなり強く心に感じ焦りもしていたのです。しかし、それほど現実は甘くはなかったのです。徐々に金曜日のアクティビティにも慣れ楽しくなってきた頃、それに反比例してスクール経営状態は過去最悪を更新しておりました。 そして遂に日本から強制帰国の辞令が降りてしまったのです。私は非常に焦りました。まだ何かが足りない、何かを達成していない、と感じていたのです。もうスクールの収益に関しては、どの英語圏も経済状態が悪くどれほど頑張ったところで、国外から生徒さん達が増えることはないのは明白だったのです。それを本社の人間達は認めず、すべて私の勤務怠慢の結果ということで責任を押し付けようとしているのが分かりました。
… <略> …続く…。」