jupes jupesの日記

Lanai Fukudaのくだらない日々

最高最善の時

 

先日また実家に戻り、朝の7時から真夜中の12時までノンストップで大掃除をしておりました。

母はもう掃除機をかけるのが腰が痛く苦痛であるということで、私が行かなければほこりの丸まった塊が踊っている状態になってしまいます。

 

 

以前は

「これをいつまで続けなければいけないのか・・・」

 

と永遠に続くかと思われる苦痛で不安と不平不満に満ち溢れていたのですが、最近は

 

「これをいつまで続けられるのだろうか・・・」

 

という思いに変わって参りました。

 

そう思うとすべてのことが懐かしく愛おしく見えて参ります。

 

 

最近、つくづく感じるのが、人間界の終わりは

 

「すべてが嫌でたまらず不平不満で満ちている時」

 

は学びが終わらず、良い死に方もできない。

 

「すべてが感謝に満ちて、一分一秒でも長く生きたい」

 

と思えた時に終わりが来る、そしてその思いで亡くなることができたら地球の人間界を卒業しても良い、

 

ということです。

わが早世した兄のことを思うと、あの時亡くなったのは兄にとって人生の最高潮の時であったのかな、と思えました。

兄は亡くなる一年前は、最高に体調が良く北海道一周の家族旅行をし、その後、病院長に抜擢され、子どもたちは健康で素直で良い子に育っていて・・・という人生の最高潮の時に不治の病に掛かってあっという間に亡くなったのでした。

 

周りから見たら、せっかく幸せになれたのに、若いのに、働き盛りなのに、良い人物を亡くした、とずいぶん惜しまれましたが、人間は惜しまれている時に亡くなれることは最高に幸せなのだと思えて参ります。

 

もし、あのままもっと普通に永らえていたら、世の中のお父さんと同じで、妻からも子ども達からも家の中では邪魔者扱いをされ、退職したら世間からも追いやられ、行き場所がなく暇を持て余して外をうろつき居場所を探す日々、そして行き着くところは「はやく死んでくれたら良いのに」と陰口を言われる最後の日々、になっていたかも知れません。

病気で苦しんだとはいえ、兄は人生の最高潮の時に人々に良い印象を残して死ぬことができたなんてなんという幸せな人生であったのだろう、とうらやましくも思えます。

 

不平不満を言っている時は終われない、すべてを感謝に変えて、幸せに満ち溢れた時に終わりがくる・・・

 

嘘でも良いから「感謝!幸せ!」と自分の心をマインド・コントロールするしかございません。

 

そして本当に魂の底からすべてが幸せ!ずっとこのままでいたい、と思った瞬間にすべてが消え去って光だけが残るのでしょう・・・

 

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すべてが楽しい!