jupesjupesの日記

Lanai Fukudaのくだらない日々

26 th Anniversary

1月17日は、忘れ難い震災の記念日です。

 

もう26年も経ってしまったのですね。。。なんと月日が過ぎ去ることが早いことでしょう。

 

当時の現地で実際に被害には遭っていない身でおこがましいのですが、魂に強く深く刻また大きな学びを頂いた出来事です。

 

ブログでも何度も書いてしまいますが・・・

 

いつも無計画で生きている中で、いろいろな偶然によって導かれ、まったく縁もゆかりもない西宮に2006年の5月にたどり着き、多くのご近所さまのご協力の下でセラピールームをスタートさせて頂き、しばらくして、いつも通る道でふっと新幹線の高架下で、何かの感覚が襲ってきた気がして、通り過ぎてから後ろを振り返ってみると、なんと、いつも見ていた光景が、震災直後の新幹線の高架が無残にも崩れ落ちていた光景の真下であったことに気が付いたのでした。

 

その直後に旅行にやってきた母と弟を一緒にいつも行かなかった丘の上まで探検して行ってみると、そこに新幹線の供養塔があり、その時、つくづく、ここに導かれたのだな、と強く確信したものでした。

 

私が、2006年にセラピールームをスタートさせて頂いた時には、もうすでに新幹線の高架もきれいに整備され、周囲の道路もまったく悲惨さの跡形もなく、何事もなかったかのように日常を取り戻していました。

 

私を迎え入れてくださったご近所の西宮、そして神戸と大阪の方々は、明るく強くたくましく、寛大な心で、よそ者でどこの馬の骨か分からないような私でさえも、温かく懐に受け入れてくださいました。

 

そして、震災の生々しい体験話も、まるでどこか遠いところで起きた出来事に聞こえるほど、あっけらかんとクールで客観的なほどにお話をしてくださいました。

 

実際にはそんなものではなかったと想像できましたが、聞いている身を案じてなのか、地域性なのか、関西の方々は、皆様、底抜けに明るく面白おかしく悲惨なことも笑い飛ばしてしまわれるのでした。

 

そして、何よりも感動したのは、その不運な出来事も、天を恨むことなく、または政府や他人のせいにすることなく、ただ淡々と受け止め、命が救われたことをむしろ感謝していらっしゃるということでした。

 

お話の中で、震災の直後はとにかく皆が助け合って、水道が出ない時は破裂した水道管からあふれ出していた水をバケツリレーで運んだ、とか、お店で売られている食料が少ないために、後ろで並んでいる人に遠慮しながら買ったとか、崩れた家々を皆で何週間もお風呂に入らずに片付けた、などが印象的でした。

 

そんな方々だから、天界が恩恵を与えてくださり奇跡のような驚異のスピードで復興を果たせていらしたのだと思います。

 

天界の御使いである天使達も大いに働いたようです。

 

あのテレビで見た悲惨な光景の跡は、どこにも見当たらず、温かみを醸し出す曲線と暖色を多く用いているようなデザインがあらゆるところに見られ、夜景も素晴らしく美しく、以前よりも精錬された美しさを誇っているように見受けられました。

 

阪急電車の車体の小豆色と窓の丸いデザインも、東京から来られた生徒さま方は、感激していました。

 

私などテレビのニュースであまりにも無残な光景を見させられただけで、足がすくんで茫然としてしまい、何も役に立つことができないまま時を過ごしてしまい、その数年後の、すべてきれに整ったところに越させて頂いた、という無力な者にも関わらず、その恩恵だけを頂いている我が身が居たたまれない思いがありました。

 

しかし、天界は、それではいけない、としたのでしょう。

 

天界は、私をわざわざ最初にテレビで見た足がすくんでしまう程の光景の場所の目の前に住まわせて、毎日その新幹線が通るのを見せてこられたのです。

 

2006年の頃から、死者の魂の交信をさせられることが多くなり、亡くなった方々が、私のところに押し寄せてくるようになっておりました。

 

私のようなものでおこがましいとは思ってはおりましたが、震災で亡くなった苦しみを未だに持つ死者の魂の弔いと昇天をさせて頂けるようになり、また震災で生き残った方々の魂の記憶の癒しをさせて頂くことになりました。

 

まったくの無名で特に宣伝もしていなかった関東からやってきたよそもにも関わらず、スタートした当初から、西宮の皆さまはまるで家族を受け入れてくださるかのように手厚くサポートをしてくださり、瞑想会や講座も数々のセッティングをしてくださいました。

 

またニュージーランドでお世話になったスピリチュアリストチャーチのスタンさんという85歳の偉大な、英国紳士の長老の方をご招待した時も、数日間、数十人の方々(女性達ばかり)が盛大なる歓迎をしてくださり、スタンさんは亡くなる前の冥途の土産として(一生の間でこんんなに女性に囲まれモテたことがない!)と、とっても感激していらっしゃいました。

 

たった3年ほどしかおりませんでしたが、たぶん、1000人以上のクライアント様や生徒様方とお会いできたと記憶しております。

 

あの西宮をはじめとした神戸、大阪の方々のノリの良さ(失礼!)、新しいものを無邪気に受け入れてくださる寛大さ、そして歓待の仕方、そしてカラッとした明るさは、やはり西方面の特異性とも呼べるかも知れません。

 

生まれが関東のものにとっては、最初はカルチャーショックを受けるようなところがありましたが、それはそれは居心地が良いものでした。

 

しかし、そのままでは甘やかされてしまい良い気になってしまったことでしょう。

 

そしてある日、ふっと

 

「もう関東に戻りなさい」

 

というメッセージを受け、お世話になった皆々さまにそのことをお伝えすると、また心良く旅立たせてくださることになったのでした。

 

最後の瞑想会は、8月のお盆のある日、摩耶山の頂きで日の出と共に行うという昇天の儀式でした。

 

そんな大変な条件にも関わらず当日は、十人以上の方々がお集りくださり、私の有終の美を飾らせてくださったのでした。

 

2009年08月 : 過去のjupesのblog (livedoor.blog)

 

 

東京に引っ越す日、温かく送り出してくださる方々に見送られて、感動の中でかつて落ちた高架の上を通る新幹線の中で、ふと日付けを見てみると、なんと、私が西宮に滞在した日数は、ぴったりと「3年と3か月と3日」であったのです。

 

 

西宮市のシンボルマークは六芒星であったこともあり、偶然ではない、すべて計画されていたこと、と強く確信したものでした。

 

西宮、神戸、大阪の皆皆さまに天界の最高最善の愛と光を!

 

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この時はまだうさぎ先生も猫ちゃん達もいませんでした