今日から5月ですね!
May Day でもあります。
Happy May Day!
今朝も数か所掛けて頂いていた捕獲器の捕獲は失敗という連絡を頂き、空いた時間を利用して朝から衣替えを致しました。
数日前から急に暑くなってきており、クローゼットにかけてある重たい冬服を毎回、見るだけで暑苦しく思えてきていた為に、思い切って早めの衣替えに踏み切りました。
最近、わが極小クローゼットは、ジェルちゃんの秘密の魔宮界と化しております。
時折、いなくなったと思って名前を呼ぶと「ぶー」という嬉しい時に出す音だけが聞こえ、こちらをヤキモキさせ、クローゼットをかき回して探した末に数時間後に引き出しを引くと、服を巣のようにして気持ち良さそうに寝ているジェルちゃんがいたりします。
いったいどうやってあの重い引き出しをひいて、みずから収まっているのかは、いまだに謎です。
今回は案じていた通り、裏に重ねて置いていたものの上に乾燥しきった吐しゃ物が茶色く残っておりました。
この間、1週間ほど具合の悪かったジェルちゃんは、クローゼットの中を静養所としていた為に、もしや、と案じておりましたが、案の定、そこで「オエ」っとしていたようです。
しかし、上手にビニール袋の上にしてくれていたおかげで、ビニール袋を捨てるだけで被害はありませんでした。
これからも気を付けねば・・・。
私は普通の人の3分の1くらいしか服を持っていないと自負しておりますが、それでももっと減らしたいという欲求にかられ、今回も冬服を喜々として処分することに致しました。
そうしながら、以前はこうではなかった、とふと自分のファッション歴史を振り返ってみました。
自分には思い起こすと「地味期」と「派手期」があったと分かりました。
幼少期は兄弟やご近所、そして母の教会の人達から譲られるいわゆる「おさがり」でかなり満足していた「地味期」がありました。
高校時代が終わるまで兄の古びたジャージ数枚が私の普段着でありよれよれになるまで着古しておりました。
それが、一人暮らしをするようになってから、突然、これまでの反動が出てしまい、枯渇していたなにかが欲望となり、漁るようにファッションを追い求めるようになってしまいました。
ファッション雑誌を数誌買いあさり、ファッション関係のテレビ番組ばかりをむさぼるように見続け、ブランドのショップに行き、はてはファッションショーの招待券まで手に入れ、自分で服のデザイン画まで書くほどになってしまっておりました。
そしてそれがしばらく続くと、自分の部屋に収まり切れないほどの服が増殖し続けていきました。
その時は今では考えられない程、原色系や蛍光色を好み、着るものはすべて遠くからでも際立って見えるほど目立っていたようです。
学校でも職場でもまた、道端でもよく目立つと言われておりました。(現在は、カメレオンのように周囲と同化して、存在を消す術を習得致しております)
その時期は「派手期」であり、それはファッション依存症のように心の飢えと渇きを埋めるかのようにはまっていたものです。
それが過ぎると、また再び、「地味期」が訪れ、これまで溜め込んでいた服類をほとんどすべて手放し、その後、ほとんど持たない状態で今に至ります。
溜まり溜まった変わった形の服は周りの欲しがる方々にすべて譲り、せいせいと致しました。
そして私は「おさがり」物になにも抵抗がない為、頂けるという服は喜んで頂いております。
古着は、見知らぬ人のエネルギーを受けてしまう為に、自分の心身が若く強ければ対抗できますが、その気力がなくなると、古着を買わない着ない、という無難な方を選びたくなります。
そのきっかけは「天界のヒーリング」と出会った為です。心や魂の飢えと渇きがなくなり、潤ったおかげで、物はいっさいいらないと感じるようになったからです。
毎日、「死」、「地球での最期」をイメージし、上に還る時には、何も持っていくことはできない、すべてを手放す、軽やかでいる、と思うと、本当に何も要らなくなって参ります。
今は少しでも身の回りに物が増えると心が疲れ、イラつくようになってしまいました。
ただ、自分が「依存症」を長年経験したおかげで、満たされたい思いを何かにすがりたくなる、という衝動と行動を深く理解することができます。
人間はすべてが体験と経験、学びですね。