jupes jupesの日記

Lanai Fukudaのくだらない日々

協力し合い 下書き更新

 

ようやく待ちに待った動物愛護法が改正となり、行政も多頭飼育の現場に踏み込むことができるようです。

 

6月を待ち続け、動物愛護センターに再度、依頼をし、小平市内のこれまで個人で戦ってきた多頭飼育崩壊現場に立ち入って頂くこととなりました。

 

何度も何度も警察を呼ばれ、そしてこちらも呼び、と無意味な繰り返しから脱出したいと強く願っております。

 

他の猫ボランティアさま方のご活躍をSNSで拝見させて頂き、勇気を頂いております。

 

本当にこの活動は個人の力ではどうすることもできないとつくづく学ばせられます。

 

たいていのことは一人でなんとかできますが、この活動に関しましては、多くの方々のご協力なしでは、まったく歯がたちません。

 

また私は見た目が弱弱しく見えるようで、気がかなり狂った多頭飼育の方々は、私を小馬鹿にし、見下し、力づくで屈させようと致します。

 

しかし、私は負けません。

 

私は、これまでの人生でかなり精神修行と心身の修行を受けさせられております。

 

最初のミッション系の学校の教員は神様へのご奉仕という美しい言葉で覆われた超ブラック産業であり、サービス残業とは言わず、最高の聖母マリアさまへのご奉仕、と言われ、一日6時限の授業とクラブ活動、委員会活動を延々と黙ってさせられておりました。ただひたすら、謙虚にへりくだり耐え忍ぶ・・・という精神修行をさせられておりました。

 

また次の仕事でも更に前職を上まわるブラックもブラック、漆黒ブラック産業であり、一緒に入った同期達は一年と持ちませんでした。何かと上司に言いくるめられながら、海外勤務という餌に釣られ、外国に参りましたが、そこには我がまま勝手で発達障害のような教員たちをまとめる業務とか、欲にまみれたエージェント達に少しでも生徒をまわしてもらう為のごますりをさせられたり、とかうつ病にかかっている生徒達を24時間お世話したり、酷いホームステイ家庭を説得したりとか・・・

本当に壮絶な業務が待っておりました。最初の勤務地であったオーストラリアのパース校ではいきなり、会議に出させられ、目の前に50人ほどの怒れる教師達が、本部からやってきたという私に対して、突然大声で「勤務体制を変えろ!給料を上げろ!ノルマなんかやるものか!ルールなんて外せ!」と言いたい放題のたまわって参りました。

相手があまりにも制御不可能なほどに怒っていると、かえってこちらは冷静になるものです。

 

そういう時に、ふいに次元が変わって自分が上がって行き、俯瞰して見下ろすような感覚になります。

 

向こうはこちらがあまりにも平然としている為に更に怒りが増して立ち上がって怒り出しておりました。

 

その時、確か「こちらは本部の業務をこなしているだけ。不満があるならすぐに辞めてください。教師になりたい人います。替えはいつでもできますからお好きにどうぞ」のようなことを述べて悠々と退席したようでした。あとからそこに出席していたこちらに好意的な教員の方は、「あなた鉄の意思を持っているわね。鉄人とこれから呼ぶわ」と言われました。やはり外国では弱みを見せるとすぐに付けこまれてしまいますから、いつでも強気の態度に出ざるをえませんでした。

 

それでも私は子どもの頃から対人関係が苦手で、ちょっと言語障害を持っているかのように人前で言葉が詰まり出てこないという症状があり、成人するまではまったくと言って良いほど、人と話すことがありませんでした。

 

中学校の時など、卒業式の日に数人と少しだけ話をしていたところを、隣の組の男子が見て「え?あんた声が出るの?声が出ない病気の人かと思ってた」と言われ、自分の評価を知ったほどでした。

 

そんな人生で、一生涯、人としゃべらずに過ごせたら良いと願い、将来は研究職のようなものに就いて、地下室の研究所みたいな暗闇の中で過ごしたいと願っておりました。

 

そんな反面、マスコミの仕事にも憧れを持ってもいましたが、自分には絶対に人前に出るのは無理だと思っておりました。

 

それが、なぜか単に教員免許だけ欲しいと思い、教育実習に行ったところ、教壇に上がった瞬間に何かの存在が私の中にウォーク・インしたように、急に口が開き、声がすらすらと出てくる現象が起きたのです。

 

担当してくださった教諭も評価の中で、「この実習生は心臓に毛が生えているようだ。とても実習生とは思えない熟練した教師のような堂々とした話しっぷり」と書いてくださいました。

 

とにかく負けない!!!

 

 続く・・・