3月も今日で終わりですね。
祝!3月終了!
しかし、今月は怒涛のように流れては去っていく日々でした。
3月は「去る」と昔の人が言っていた通りです。
私においては、ますます健忘症、といいますか、ほとんど認知症がひどくなっていっているのか、何が起きたのかあまり記憶にとどまっておりません。
最近、ふと思うのですが、自分の中で起きた出来事と思い込んでいることは、実は、自分以外の人にとっては起きてはいないことなのかも知れない・・・
すべては
「私的脳内真実」
なのかも知れない・・・
と思えて参りました。
以前、ちょっと大変なクライアントさま方などから、
「あの時、あなたはこう言いました。それでとても傷ついた」
と、責められたことがありましたが、自分にはまったく言った記憶がない、ということが度々ありました。
その方にとっては真実かも知れませんが、こちらにとってはまったく「真実ではない」
ということが日常茶飯事で起きているような気が致します。
それはすべての人が
「自分の脳内でつくりあげた真実」
が、人の数だけあって
「その他の人の真実ではない」
でも、
「事実はある」
という
ややこしいことがいっぱいありますね。
だからちゃんと記録に残しておいた方が良いのですね。なにか犯罪に巻き込まれた時は、記録が重要ですね。
でも記録に残そうとしても、もしかしたら、自分の脳内で作っている記憶を記録しているかも知れない、すべては仮想真実かも知れない、
と最近少々複雑な気持ちになっております。
そんな中でも、最近、クライアント様方を通して、いろいろなキーワードが来ております。
そのいくつか。
家族・・・
「『家族』というものは、愛情によって結ばれたことで始まる。その結ばれているものを解きほぐして、手放した時に『家族』というものの役目は終わる」
「『家族』というものは大宇宙の縮図。すべての学びは『家族』の中にある。人間界の人間の学びを卒業する為に、『家族』という試練を乗り越えて克服して終了した時に、人間界を卒業できるくらいのレベルに到達できる」
終わり・・・
「『終わり』の時には、『始まり』の時の100倍ものエネルギーが必要である。始まる時は、0からのスタートであり、新鮮なものに触れるというワクワクと嬉しい気持ちから少しずつ積み上げていくのである。終わらせる時は100となったものを少しずつ噛みしめ味わいながら崩していかなければならない。それは、時に苦く辛い作業でもある。しかし、崩し終わった時に、至極の喜びが訪れる。その時に大きな魂の成長の祝福が訪れる」
刹那主義・・・
「ある者の人生は最初から最後まで快楽だけを追求するという目的で、地球に生まれてきている。その者は一族において悪役であり、邪魔者、ブラック・シープの役を担っている。その者は、正しいことを貫くものの毒だし役であり、刺激を与える役でもあり、バランスを保つ為に必要な必要悪の者であり、実はとても重要な役目なのである」
などなど・・・です。