jupes jupesの日記

Lanai Fukudaのくだらない日々

不幸自慢。幸せカウント。

先日、生徒さまとお話している最中に生徒さまが、

 

「不幸自慢」

 

という言葉を口にしました。

 

なるほど。

 

と思いました。

 

人は皆、不幸自慢をするのが好きなのです。

 

私は結構毎日いろんな方々から不幸自慢をされます。

 

聞くのは嫌いではなく、ドラマのように面白い部分も多いのですが、聞き続けていると負のエネルギーで重くなって参ります。

 

負のエネルギーには妖怪、死霊、うごめくものたちも寄ってきますから、周囲には黒い煙のようなものが立ち込めて参ります。

 

しかし、自らの不幸をさらけ出すことは悪いことではないと思います。

 

心の苦しみをさらけ出し、吐き出すことで軽く楽になることが多いのです。

 

しかし、それが常習化すると、不幸自慢依存症になり、不幸を探し出すようになり、みずから進んで不幸の方向ばかりにいくようになってしまいます。

 

不幸自慢依存症の方々はこういう傾向にあります。

 

最初は正直に話しているうちに、それが周りから同情され、「大変でしたね、気の毒でしたね、それはあなたのせいではない」と正当化してもらい、生まれ育った環境のせいにもでき、過去を消化そして昇華し、そのうちにしゃべりながら、悲劇のヒロインに酔って、気持ち良くなり、いろんな人に話しているうちに、話が大げさになり、盛ってしまい、さらに大きくなり、まるで客観的に別の人の話をしているかのように発展していく・・・

 

 

もし「不幸自慢全国大会」というものがあったら、かくいう私もインターハイくらいに出られるかも知れません。

 

どんな人でも、不幸を探し出して数え上げていくと、すべてが負の要素に見えて、星の数ほどになってしまうでしょう。

 

たとえば自分の指が短いと感じていて、短かったために馬鹿にされて手を人前で出せずにいて、そのうちに消極的になってしまい、その原因は遺伝子が悪かった、それは親のせいだった、この遺伝子のせいだった、と、さかのぼって発展していくでしょう。

 

すべての原因を親のせい、生まれ育った環境のせい、時代のせい、にしていたらきりがありません。

 

(天界から生まれる時にすべての設定は自分と担当のマスターとで決めてくるようです。親も国も、容姿能力もすべてです。あなたを決めたのはあなた自身ですよ!と言いたい)

 

プライドが高く自分のすべてを包み隠して、きれいにまとめて作り上げてしまう方もいますが、どちらが良いとも言えません。その方々も自らの負の要素を封印して忘れようとしたつもりでいても、魂は覚えていて、マグマのようにふつふつとし、年を取って認知症になった頃、爆発して別人格のようになってしまう方もいます。

 

負の要素は、人に迷惑を掛けない程度に少しずつ小出しに出して、バランスよく生きたいものです。

 

しかし、不幸を探し出すことが得意な方はたくさんいます。

 

最近はやっている「世界陰謀説」もその一つかな、と思います。

 

すべてのことは影のものたちに支配されている、と思い込む説です。

 

そして政治家や国家のトップのものたちのことに不平不満を持ち、文句を言い続けている方々も多くいます。

 

確かに「国会中継」など時々見てしまうと、まるで喜劇、ソープオペラの茶番に見えます。

 

うちの母もよく国会中継を見ながら大笑いをして「また国会滑稽劇場が始まった!」と言って喜んで観ています。

 

あの方々の大げさな身振り手振りの演技、芝居が掛かったセリフ回しなど、本当に国民を惑わせ馬鹿にしているのか、と思えるほどです。

 

そういうものを見ていると確かに、テレビやマスコミも、大きく取り上げているものの陰ではいろんな陰謀が働いているんだろうな、と思えて参ります。

 

マスメディアに、恐怖を植え付けられてマインドコントロールされている方々もまだまだ多く驚かされます。

 

以前の私も確かに、国のトップの方々に対して怒りを持っており、安全地帯にいることを確認してから、不平不満を無責任にぺらぺらと言っていたことがありました。

 

しかし、天界のことを知ってから、ちょっと観点視点が変わって参りました。

 

もし、まがり間違って、自分が国のトップに祭り上げられてしまったなら、例えば王様になってしまったら・・・

 

例えば、国民に知られてはまずいことを、水面下でしなくてはいけない目的があったとしたら、国のトップの数人で極秘で話し合い、国民全員をそっちの方向に向かわせる為に、必死で何か適当なことを起こしてにせの原因を作り上げ、つじつまを合わせる為になんだかんだと取り繕い、国民を扇動し、こちらの意のままに動かそうとあらゆる手を尽くす・・・それに疑問視し始めた危険人物がいたら、噂が広まらないうちに捕まえて抹消する、それが国家国民全員のためだったらひとりくらい消しても良いだろう、と信じて疑わない、だろうな、と想像できます。

 

観点、視点を変えて、向こう側の立場に立ってみたら、なんでも許せる気がします。

 

立場が違うだけで、皆、大変なのは同じだと思うのです。

 

観るチャンネルを変えるだけで、まったく違う世界が見えてくると思います。

 

今まで不幸を数え上げてきた労力を、周囲の幸せを見つけ出し、それを数え上げてみたら、不幸の数よりも幸せの数の方が多いことに気が付くと思います。

 

(陰謀説を見つけ出し、それを暴くために一日の大半を費やしている人々がいますが、なんて時間がもったいないと思います。そんなことは国の要人たちに任せていたら良いと思うのです。人にはその人の立場の使命と仕事がありますから。一般市民が国の陰謀を騒いだところで、太刀打ちできません。自分の目の前の仕事をしましょう、と言いたいものです)

 

そして不幸という縄で自らを縛り上げて、そして恐怖と苦悩で身動きが取れない呪縛人生なんて、なんともったいないことでしょう。

 

ささやかなことでも、毎日、感謝した方が良いと思います。

 

たとえば家の中の蛇口をひねると新鮮で飲める水が出るなんて、なんという奇跡!すごく感謝!と思えて参ります。

 

蛇口をひねると飲める水が出るという環境は世界の中でも日本だけだと思うのです。

 

私も公園で毎日猫ちゃんのお皿を激しく洗わせてもらっているのですが、無料でこんなに水を使わせてもらって申し訳ないと思う日々です。

 

こんなに平和で穏やかで過ごせる日々を感謝しないなんて、罰が当たります。

 

世界のトップがやっている陰謀も見て見ぬ振りをして、そしてやれと言われたことを従っている振りをして、陰で舌を出していればいいと思います。

 

そしてささやかなことに感謝をしていたら、そこに天使達がやってきて、輝く虹色の光を注いでくれ、軽やかに自由なエネルギーとなり、もっと良い方向に導いてくれるでしょう。

 

ぼくらはなにをやっても幸せ!

 

子猫がどんどんやって参ります・・・

 

とほほほほ・・・