時々、ふと亡き父のことを思い出します。
父は日焼けした肌を持ち、目立つわし鼻で、まるでネイティブアメリカンの長老のような外見をしておりました。
そして私が思い出す限り、昔からじいさんのようでした。
わざとぼろをまとい、苦行をしている僧侶のようにいつも苦々しい表情をしておりました。
わざと貧しいなりをしていて、自分を卑下しているようで、家族が皆嫌がるほどでした。
ある時、私も社会人になって家を出てから、実家に帰って玄関を見ると、革靴の底が抜けたところにガムテープを張っているものをしまい、みじめに思い、靴を贈ったものの、生涯包装紙を取ることもなく大事にしまってあり一度も足を入れたことがありませんでした。
皮肉にも、自分の葬儀の時に兄がその靴を履いてみるとぴったりと合った為に、初めて兄に履いてもらったのでした。
ピカピカおろしたての靴で見送ってもらい、満足したのでしょうか・・・
もしかしたら生涯、自分を演出をしているかのようだったかも知れません。
しかし、傾聴の達人といえば、我が亡き父でした。
会社を引退後は家に居て、新聞をひなが眺めながら、弾丸のように連続トークをする母の相槌を打つのが父の役目でした。
父と母はまるで正反対の性格であり、そこがかみ合っていたのかも知れません。
母があらゆるところに話しが飛び、その中に一部、ちょっとだけ重要な話がまぎれ込んでいます。
それをハ行でかわしていたのです。
は~ (感心しきりの時)
ひ~ (ひどい話の嫌悪を表す時)
ふ~ (同情を表し、ため息をつきながら)
へ~ (感嘆し、ものすごく驚きを表す時)
ほ~ (さらに感心しきり、最上級の驚きを表す時)
そんなテンポの良い対話を一日中繰り返し、
後日
「大事なことを忘れて!なんにも聞いてなかったじゃない!このくそじじい!」
という母の怒声が響き渡ります。
私はそれがいつもコントのようで面白く、観察していたものです。
なんとなく、そんな父親に自分も似てきたような気がし・・・