jupes jupesの日記

Lanai Fukudaのくだらない日々

2022年、ありがとうございました。

2022年も今日とあと1日になってしまいました。

 

お世話になりました皆皆さま、感謝申し上げます。

 

先程ようやく恒例の年賀状書きが終わりました・・・

 

いつも早々に始めなければと思いつつ、結局のところギリギリになってしまいます。

(こういった自責の念が毎年繰り返されるのはなぜでしょう・・・ただ怠惰なだけ・・・)

 

今年は11月から年賀状ソフトを購入し、住所録を打ち込み始めていたのですが、ちょっと時間を置いていたら、なんと全部消えてしまっておりました・・・やはりアナログでないと自分はダメなのか、と反省しきりです。

 

しかも数日前からパソコンの調子がおかしくなり文字入力ができなくなってしまっておりました。

 

なにか宇宙エネルギーの妨害があったような・・・

 

宇宙の陰謀か、新しいスマートフォン君は非常に賢く超スピーディな仕事をしてくれて、特に郵便番号検索は、音声で訊ねると瞬時に教えてくれます。

 

なんと良い子だ、よしよし、と結局のところAIさんに頼っており、これでは宇宙からの侵略者達の思うつぼですね。

 

人間の脳が退化していくのは逃れられません。

 

数年前までは、郵便局に置いてある郵便番号検索の本をぱらぱらとめくりながら調べていて、これも分かり易く画期的!と感心していたのですが、それも過去の遺物になってしまいました・・・。

 

しかし、あて名書きでは、お一人お一人のお名前を眺めながら書いていると、その方との思い出を馳せることができて、それも趣きがあって良かった気が致します。

 

今年は、生徒さま、クライアントさま、そしてネコちゃん関連、ネコちゃん家族あてで総数250枚ほど書いて出しました。手が痺れてきてひどい字になっていると思います。送られた方、お許しくださいませ。

 

今年を振り返っていると今年はいったい何があったのか、あまり思い出せません。

 

今年も数多くのネコ達が目の前を勢いよく通り過ぎていったのを見た気がします・・・

 

先日、「ネコの捕獲ではお世話になりました」と言ってキャットフードを持ってこられた方がいらして、2年前くらいにお会いしたと思っていたら、なんと4年前にTNRをお手伝いした方でした。

 

時が過ぎ去るのが速すぎて思考力が追いつきません。

 

新聞のコラムに「2022年 回顧 宙づり感の一年」とありました。

 

なんだかその通りだったような感じがします。

 

今年は世間的には数年前からのことがそのまま継続されて、何か中途半端なことの連続であったような・・・目新しいことは少しはあったかも知れませんが・・・

 

今年は「6」の年、「バランス」の年であったから、良くも悪くも中庸を保っていたのかも知れません。

 

しかし、忘れてはいけないことでは、お亡くなりになられた方がとても多かったということです。

 

先程も、2年前にこちらから譲渡したネコを受け入れてくださった方が、そのお宅の「先住ネコが急逝してしまってとても悲しい」という訃報のお知らせをくださいました。

 

かつての生徒さま方からも、ご家族さまがお亡くなりになったという哀しいお知らせが次々に飛び込んで参りました。

 

ただ、そのご家族様方は長い間患った末に昇天されたため、ご覚悟は多少はあったのが救いです。

 

しかし、人もネコちゃんでも、見送られた方々は、悲しみに満ちていらっしゃることと存じます。

 

遺族の方々にとっては、とても繊細な話題であり、なんと申し上げて良いやらといつも思い悩みます。

 

見送られた方々には、心からお悔やみ申し上げます。

 

自分であったら、魂の世界のことを知っているために、「死」は「解放」と結び付けて喜んでしまうのですが・・・

 

普通の人の世界では、人でも動物さんでも亡くなると、たいてい遺された方々は、辛く哀しく喪失感、そしてある種の罪悪感に満ちあふれてしまいます。

 

(時々は、「死んでくれて良かった」とさっぱりと解放感プラス爽快感にあふれる方もいらっしゃいますね・・・)

 

天界学的には、魂レベルの高い人にとって「死」は「解放・祝福」です。

 

魂と肉体のバランスを取る為に、傷ついて古びて弱くなった器を脱ぎ捨てて、魂だけになって光に帰るという儀式ですから、歓びに満ちあふれたものになります。

 

ただし・・・それは生きている間に築き上げたレベル次第です。

 

築き上げた、というよりも、いかに死ぬまでに解き放って軽くなるか、ということのようです。

 

人間界の中で築き上げた物質的なものは、魂の世界ではまったく反映しないようです。

 

それとは反対に人生の前半で築き上げたものを、折り返し地点が過ぎた人生の後半の死の直前までに、物質的なものも、欲望、つまり煩悩的なものをいかに手放し、執着を捨て去れるか、手放したものと反比例して、他のものから頂く感謝のエネルギーを頂き、死ねたら最高のようです。

 

軽やかになった魂は、天界の魂の世界では光と豊かさに満ちあふれたものになるようです。

 

 

ネコちゃん達も今年は多くお見送り致しました。

 

ネコちゃん達の魂は最初から最期まで軽やかであり、亡きがらを脱ぎ捨てたあとは瞬時に天使の姿になっているのをみます。

 

昔から世間では、ネコちゃん達が亡くなった後で、なにか起きると「化け猫の祟り」とか言われますが、それはそのネコちゃん自身がやっていることではないようです。

 

そのネコをもし傷つけた人がいたら、それをずっと見ていた精霊さん達が怒り狂い、その人を集中的に報復の攻撃をするからのようです。

 

人が精霊さん達から、感謝ではなく、反対に怒りの報復を頂くと、どれほど恐ろしいことが起きるか・・・ネコを傷つけている本人が知ったら卒倒することでしょう。(死後は、なめくじやゴキブリが這う地獄界に墜ち永遠に這い上がれない姿が見えます。生まれかわったら、なめくじやゴキブリに生まれ変わるのみのようです)

 

年齢とは関係なく、命のリミットが来た時に、死を担当する天使が舞い降りて連れていってしまいます。

 

いつ死んでも良いように魂の準備をしておきたいものです。

 

 

今年の最後、自分自身はなんとか無事に生きていることに感謝して過ごしたいと思います。

この子達はいつでも天国界

この子達はいつでも天国界

 

あと、昨夜録画していた映画の

 

素晴らしき哉、人生!」をみました。

 

古い映画ですが、なかなかメッセージ性が高くて余韻が残ります。

 

2級天使の翼がない天使クラレンスが登場します。

 

天使が翼を得る時に、ベルが鳴ります、というセリフが感動します。