1月17日は、「阪神・淡路大震災」から28年目の日でした。
もうあの日から28年も経ってしまったのですね。。。なんとも感慨深いものがあります。
その犠牲になってしまわれた多くの人々、動物さん達、植物さん達に天界の愛と光と癒しを・・・
その日は、朝のテレビニュースに映るこの世の出来事とは思えない光景は、まるで外国の映画を観ているようで、テレビの前の自分は、ただ茫然自失となって言葉もなく立ち尽くしておりました。
それからしばらくうつ病のようになってしまい動きの取れない無力な自分を感じ、罪悪感に打ちひしがれておりました。
ただ何もできないでいる自分を恥じており、被害をお受けになられた方々に接することも申し訳なく感じておりました。
そしてその当時は、11年後に自分が、ニュースで見ていた新幹線の高架が崩れ落ちていたすぐ場所に移り住むなどとは夢にも思っておりませんでした。
2006年の私を受け入れてくださった西宮の方々は、どこの馬の骨とも分からないようなよそ者を、大きく包み込むように受け入れてくださり、なんと懐が深く温かい方々であろうと感激し驚きながらも、なんでこんなにしてくださるのかと疑心暗鬼になったりと繰り返してしておりました。
その直前まで生き馬の目をくり抜くような生々しい競争の業界にいたため、人を見たらお金と思え、人がきたら1SM(Sales Money)来たと思え、親切には下心があると思え、というような教えのもと、更に、白人主義の人種差別も甚だしい世界にいた為に、とことん人間不信に陥っていたと思います。
心も魂も、競争社会の中で欲望という名の刀傷で突き刺され、血の一滴も残さないほど流血し、冷酷非情な人間になって帰国した私を救ってくれたのは、海外勤務最後の地で習うことができた、エンジェルセラピーとヒプノセラピーの勉強でした。
消去法でいろいろと考えてみても、もう他にできることがなく、最後に残された砦であり、救いの道でした。
習ったものを無駄にはしたくなく勉強を続けてはおりましたが、それを仕事として続けてやっていくにはまったく自信がなく不安しかなく、やはりこれは趣味で続けていこう、他に仕事をしようとも思っておりました。
しかし、偶然が偶然を呼び(この世に偶然というものはなく、必然でしょうけれども)、英語でしか習ったことがないヒプノセラピーを日本語ではどういう言葉で、誘導するのか知りたく、日本で革命的に前世療法を広めてくださった先生の1日セミナーに出席したところ、後日、講師の先生からご連絡があり、自分のセラピールームで働かないか、とスカウトをされ、先生の主催する講座を研修として受けさせて頂いていたのでした。
その講座でお隣の席にいらした四国の大学教授であり、牧師さんという異業種の多才な方と何度もペアワークをしていたところ、ご自分が西宮に縁が深い、というお話をうかがい、セラピールームを持つなら、西宮が良い、知り合いを紹介する、と有難いお話を頂きました。
本当は東京の有名な先生のセラピールームから始めるというお約束であったのですが、途中から、自分の感じる魂の癒しのセラピーと、先生の核になっている現代的なセラピーが、どうしても嚙み合わなく、居心地が悪くなり、先生のマニュアルの通りにやっていける自信がなくなり、先生の有難いお申し出を、申し訳なくもお断りすることになってしまったのでした。
その後、また偶然が偶然を呼び、その後も勉強と思って出席した、ニュージーランドで行われた解剖学セラピー講座の場で知り合った大阪の方のところに旅行に行ったついでに、牧師さんからご紹介された方と会ってみると、すぐに不動産屋さんに連れて行かれ、セラピールーム兼住宅になりそうな物件を紹介され、あれよあれよという間に、その数か月後には、私は西宮に引っ越していたのでした。
お恥ずかしいことに、甲子園球場が西宮にあることすら知らなかった、無知な私を、西宮の方々は、なぜか大歓迎をしてくださり、現地で精神世界に興味のある方々が何十人も集まって来られて歓迎会まで開いてくださったのでした。
見知らぬ客人をもてなすというのは、まるで中近東あたりの国の方々のようだと思いました。
西宮の市のマークが六芒星であり、ユダヤのシンボルマークであったことも、やはりここは特別な場所であると思わせる象徴的なものでした。
しかし、新幹線の高架近くのセラピールームは、セラピーにも住むにも不便な家でした。
外見はまるでお菓子の家のように可愛らしい緑の三角屋根にカステラ色の壁で、玄関の扉も緑の枠に教会のようなステンドグラス調でしたが、ところどころに不完全なリフォームの内部は冬は極寒、夏は酷暑でおまけに虫がかなり巣食っているお宅でした。
しかも新幹線が通る度に、震度で部屋は揺れ、飛行機が上空を飛ぶと、会話ができなくなるという、試練を頂きました。
生まれて初めて、ホームセンターに何度も通いながら、ハンドメイドでリフォームをし、防音を試し、防寒防暑も試みましたが、なかなかハードルの高い家でありました。
しかし、何かある毎に、ご近所さまや生徒さま、クライアントさま方には、まるで親類か家族のように親身になって頂き、何度も何度も助けて頂きました。
周囲の方々がそろいにそろって親身になってくださる場所など世界中、どこにもないと思えます。その御恩は一生忘れません。
魂レベルの高い方々の住む土地であるからこそ、天界が大きな試練をお与えになられたのでしょう。
まるでエジプトから天の使いであるモーセによって導かれ、数々の試練の後に逃れた約束の地に導かれたユダヤの民のように・・・
その土地で守られぬくぬくと皆さまのご親切に浸り尽くした3年と3か月と3日でした。
この333という数字は後でカレンダーを見て発見したことでした。。。偶然というものはこの世にはなく、すべて必然だと思わされました。
1995年の1月17日では、私はまったくの無力でまるで落ち武者のように逃げるしかなかったのです。
その後、(NHK「どうする家康」の徳川家康のように・・・)戦国時代の戦場のようなところに放り込まれ、叩きのめされても、立ち上がらざるを得ない試練を頂き、少し強くなって厚かましくなった11年後にようやく、震災の地に立ち入ることを許された気が致します。
しかし、あの土地の精霊さんの途方もない怒りや悲しみに対しては、やはり微力な自分でありました。
2009年に暖かくて心地良い場所では、ぬるま湯に浸っているようで成長がない、というお達しを天界から頂いたようであり、再び、生き馬の目をくり抜くような争いの土地である東京に戻らされました。
その後・・・かくかくしかじか・・・紆余曲折し、今の少々穏やかになりつつあり日々があります。
以前の日々に比べたら、今のネコ活動などなんでもありません。たとえ警察に13回通報されようとも1ミリも動揺すらしません。
(オーストラリア、パースで55人の鬼と化した白人たちに会議であることで理不尽に責め立てられたり、悪ガキ香港留学生のせいで警察官と中国大使館の人々に囲まれた時は、もっと自分が悪魔か鬼になっていたと思います。アメリカ、イギリス、ニュージーランドでもしょちゅう裁判沙汰が繰り広げられ・・・)
天界は地上でその人に必要な試練と学びを与え続け、それでも信じられるか?と修了できるかと責め立て続けられます。
もうこれは開き直ってあらがわず、受け入れるしかございません。
しかし、そこには大きな温かい天界の愛があります。
すべて感謝しかございません。
昨日、1月17日は1日、地上に生きていてまだチャンスを与えて頂いていることに感謝して過ごしておりました。
奇しくも、この日に、かつてネコ活動をしていた方が、コロナで急逝したというお知らせを受けてしまいました。
あの青梅街道の女王である白ちゃんを受け入れてくださった方です。しかし、白ちゃんんは先住ネコさんと折り合いが悪く、すぐに他のお宅に譲ってしまった、ということです。なぜに早く連絡をくださらなかったのか、腑に落ちませんでした。それに、この5年間は、私はその方の代わりにずっと駅のネコちゃん達に餌やりをしております・・・何か意味があるのでしょう。
すべての存在に天界の最高最善の愛と光を