jupes jupesの日記

Lanai Fukudaのくだらない日々

聖ヴァレンタインの日に妄想・・・

昨日は、聖ヴァレンタインの日でした。

 

ネコのお世話の合間に、自分のことをせねば、と昨日は新宿の歯医者さんで歯のメンテナンスに行って参りました。

 

結果は、パーフェクトと言われました。

 

良かった良かった。これも聖ヴァレンタインの日のギフトです。

 

感謝。

 

(ネコのお世話に関しましては、あのなめくじ男(すみません・・・)が2度目の吐血で緊急入院をしてしまった為に、お宅の残されたネコちゃん6匹のお世話が増えてしまいました。現在、総数「66匹」のネコちゃんのお世話に夕方5時から10時まで掛かってしまいます。先日、お店のレシートで合計666円と刻印があり、これがサインだった気がします。悪魔の数字?しかし、ネコさま方をお世話をさせて頂き、心の底から有難い、と思うようにしております。すべてに感謝。しかし、昨夜は手先がちぎれるほどの過酷な冷気でした。また目の前で水が凍る現象を見せて頂いております。こんなことを続けている私を全否定し、酷く批判し、罵詈雑言を浴びせ続けていた張本人が倒れた結果、私しか頼る人間がいないということは情けない次第です。酒を止められなかった気の弱さと、解離性の精神疾患、そして憑依現象もあって仕方がないかも知れませんが、自業自得でしょう。もう一人、まるでその男のツインソウルのようにそっくりの性質の人(なめくじと蚊の妖怪かも)が、まったく同じように私を非難し続けています。その人もずっと体調不良を訴え続けています。なぜその原因に気付かないのでしょう?こちらに負の念を送っているものが私に当たると、100倍くらい倍増して跳ね返っていくからです。私を見下し、馬鹿にし続けるとろくなことにならない、と気付いて頂きたいものです。私には天界から注がれている光のカーテンがあります。また現在、66匹のネコちゃん達が守ってくださっています。ですから、どんなに私を傷つけようとしても無理なのです。反対に傷つけようとするご本人が酷い目に遭うのです。今回のその男の状態がそれを明確に物語っています。私と私にかかわる人たちに対して負の念を送り続けている人、ただちに止めた方が良いと警告させて頂きます)

 

 

とまあ、ネコちゃん関連のことは有難く受け止めさせて頂いております。

 

 

昨日は、また遠藤周作大先生から、さりげないアプローチを頂いた気が致しました。

 

私の人生の中で、偶然、出会った作家様は遠藤周作大先生のみです。あとは、何気なく歩いていたところに偶然、手塚治大先生のご葬儀に出くわさせて頂いたということもありました。しかし、生きている生の有名作家様をお近くで拝見できたのは、遠藤先生だけでした。

 

その当時は高校生で、なにも考えていない怠惰な人間でした。本を読むことだけが趣味でしたが、当時は遠藤先生のご本は、キリスト教系で高貴という印象があり、敷居が高く感じられ、まだお近づきになれない気がしておりました。

 

遠藤先生の印象は、あのダバダ~ダバダ~という不思議な歌詞のCMの違いが分かる男、竹中直人さんが物まねしてる人、そのものでした。お客様方から大注目されながら、静止画像のように動きがなく、始終下を向き、ぶつぶつと小さい声で何かおっしゃっていらっしゃいましたが、まったく何をおっしゃっているのか分からなく、つまらなかった為に、即効そこをあとにいたしました。

 

のちに読んだエッセーでも、人前でしゃべるのが苦手、とありましたが、その通りの感じでした。

 

その遠藤先生が突如、畏れ多くも、私にアプローチをしてこられた気がしたのです。

 

最初はまだ田園調布時代でした。

 

実家に帰る道中、一時間に数本しかない電車が行ってしまったばかりで、駅の本屋さんで時間をつぶそうをしていたところ、ふっと目の前の本に吸い寄せられるように近づき、ぱっと手に取って、購入してしまった一冊の本が、生まれて初めて購入した遠藤先生の「キリストの生涯」でした。

 

その本は実は、数ページしか進まず、しまっておいたのですが、昨日、ふと手に取って電車の中に持ってきた本がその本でした。

 

カバーがしてあり、気付かずにいたのでした。

 

「キリストの生涯」はあまり読んでおらずにいましたが、その後、また実家に帰った時に、日曜日版の新聞をぱっと開くと、2面に渡り、遠藤先生の「沈黙」という作品が紹介され、その記事に「隠れキリシタン」についての特集が組まれていました。

 

その年は、隠れキリシタンが解禁になってから記念の年であったと記憶しております。

 

その特集では、なにか魂に衝撃を受け、それからというもの、執念深く、しつこく、図書館に通い隠れキリシタン関連の書物を読みあさり、その後、長崎にまで秘密を解きに数回、通ったのでした。

 

その当時は、遠藤周作大先生に、先生すら謎であった「隠れキリシタンの謎」を解くように、畏れ多くも頼まれた気がしておりました。

 

大先生も数多くの著作で、キリスト教隠れキリシタンを取り扱っていらっしゃいますが、やはりどこかに、割り切れない、疑問が残っている感じがしておりました。

 

疑問のひとつ、

 

「わが身や家族を投げうってまで、なぜに信仰を守れたのか?」

 

大先生ご自身も、硫黄の煙がもくもくと漂う、雲仙普賢岳に登られた時に、

 

「信仰を守る為に、この熱湯に入るのは嫌だな」

 

とコメントを残されています。

 

私も、長崎の生徒さまとご一緒した雲仙普賢岳の頂上で立ち入り禁止になっている、ブクブクと緑色の泡を吹いているマグマのようなものを見た時、同感!しました。

 

踏板を踏まず、獄門に処せられるのを良しとするのも、疑問でした。

 

長崎の教会で見た、数えきれない人の足の汚れで朽ち果てているような木片に

「イエス様の魂が宿っているから」

と踏めずに、家族とわが命を差し出す、なんてあり得ません。

 

私だったら、靴を履いて、土足で「ふざけるな!」と言って思いっ切り踏みつぶしてやります。

 

聖母マリア様像をお守りする為に、仏像の中に隠した変形した不気味なマリア像を後生大事にする気持ちも測り知れません。

 

その時、現地に行ってよくわかったことに、外国からやってくる宣教師たちは、ほとんどが偽物であった、ということです。

 

以前、歴史の物語の中で、江戸時代、徳川家康や、その後、家光らが、キリスト教を禁止して弾圧し、宣教師たちに獄門を与えていたという事実を知った時は、家康公は尊敬するけれども、その残酷な非道さはちょっと・・・と思っておりましたが、現地で謎が解けた気がします。

 

その宣教師の姿をして、日本の漁港からしのび入ってきて、村々の人々をだましていたのは、宣教師でもなんでもなく、日本の貴重な鉱物を目当てにしてやってきた「山師」みたいなものばかりであった、のではないか、ということです。

 

徳川政権は自国の民を守る為に防衛をしたのだと推測できます。

 

アメリカのゴールドラッシュの時、いろんな国から、野心にあふれる人たちがアメリカに押し寄せたのと一緒だと思えました。

 

日本は黄金の国、ジパングだという噂が世界中に広がり、日本人はまだ野蛮だからだましやすいとたかをくくってやってきた人たちが多かった気がします。

 

遠藤先生の「沈黙」の舞台にもなり、先生の記念館のある長崎の外海(そとめ)地区が、奇遇にも、長崎の生徒さまのご実家がある場所でした。

 

生徒さまのお知り合いの方が、記念館の中にお勤めでした。

 

その時にふと思ったのが、大胆な発想ではありますが、外国から来たえせ宣教師たちは、石炭やウランなどの鉱物を掘らせて、他国に密売する為に、日本人を薬物中毒にしていたのではないか、ということなのです。

 

もしかしたら、それはアヘンかな、と思えました。

 

アヘン戦争もあったくらいですから、依存性の高いものを餌にして、取引をしていたのはないか、と思えたのです。

 

まがい物の宗教をつくり、アヘンを吸わせて恍惚とした中で、不思議な儀式をし、忠誠を誓わせていたのかも、と思えました。

 

他の憶測の薬物中毒とまたもうひとつ感じたのが、聖母マリアさまを讃えるという

オラショ」と呼ばれる祈祷文を唱えているテープを聞いた時に、これは悪魔の儀式の歌では、とぞっと身震いがしたのでした。

 

まがりなりにも自分も生まれながらクリスチャンであり、多くの祈祷文を聞いて参りましたが、どうしてもオラショを祈祷文とは思えませんでした。

 

更に、隠れキリシタンの用いていた黒い金属片の数珠など、祈祷の品々が、すべて黒魔術に用いるようなものばかりであったことも、そう思えた要因でした。

 

しかし、生徒さまのご親族は、エセ神父かも知れませんが、外国から来た宣教師さんに、石炭の炭鉱を切り開いてもらったり、小麦の栽培法を教えてもらい製麺の機械を作ってもらってうどんの作り方を伝授され、それを代々受け継いでそれを生業としていらっしゃるそうです。

 

生徒さま一族さまは、その宣教師さんを神さまのように崇め奉っていらっしゃいました。

 

つまり、双方にメリットがある取引がされていたのでは、と思えます。

 

すべて勝手な憶測ですが、長崎の島々の下には鉱物が豊富に堆積しているのではないかと思うのです。

 

その中に、後の原発の要素となるウランも含まれているのではないかということです。

 

世界遺産になって守られるようになったのも、極秘事項であるから、と疑いを持ってしまいます。

 

江戸末期あたりから、長崎の重工業の会社とも水面下で取引をして、重金属をクリスチャンでもあった従業員に掘り起こさせ、外国に密輸していた、それが、秘密を守る為に、掘り起こされたウランで原発を落とされ抹消された・・・

 

なんて皮肉なことでしょう。

 

すべて推測の域ですが、なんだか、遠藤先生に疑問を紐解くように言われている気がしてなりません。

 

 

昨日、持ってきていた本が、サインかも、と思い、帰りは新宿の紀伊国屋書店で、遠藤大先生の書でまだ未読であった「深い河」を買って参りました。

 

今年は奇しくも大先生、生誕100年の年であるようです。TVでも特集が組まれていますね。

 

その新宿の紀伊国屋書店は、私にとっていつも何かが変わる節目節目で、立ち寄り、買う本が、何かしら人生に影響してくるのです。いわば、パワースポットのような場所です。

 

紀伊国屋書店には「芥川賞作品」「直木賞」作品がずらりと並んでいましたが、あまりにも作品が多く知らない作家さんばかりです。なんだか多すぎて素晴らしい賞が安売りたたき売りをされている感が否めません。現代小説は、修羅の生々しい生活が現れているようで、ギスギスとしていて読むと疲れてしまいます。

 

昔の作家さんの著作の方が、過ぎ去りし日々の遠い過去のセピア色のものに包まれた懐かしい出来事として安心して読めます。

 

「深い河」は、インドが舞台と知っていたために、以前はまだハードルが高いと思っておりました。

 

インドは私もたぶん、過去世でいたのではないか、と思えるのですが、今世で行こうとしても、どうしても行きつくことができない国です。

 

ひと昔前、人生につまづいた時、マザーテレサのおつくりになった「死を待つ人々の家」のご奉仕隊に加わろうとして、申し込んだことがあります。

 

前にも書いたかも知れませんが、電話をして、担当のシスターにつながり、お話をさせて頂いたところ、私の声を聞き、

 

「あなたはまだお若いのでしょう?人生をやり直した方が良いですよ。ここは、人生をすべて投げうってからくる人の場所です。あなたが来るところではありません」

 

と諭され、断念したのでした。後々、その時、断って頂き、本当に良かったとそのシスターには心から感謝したものでした。どう考えても当時、甘い考えで未熟であった私が、その人間の究極の場所に行ったら、理不尽と矛盾と、悲惨極まる現状を目の当たりにし、衝撃でもっと落ち込んで再起不能になって帰ってきたと想像できます。

 

その後は自分の未熟さを恥じ、インドには今世では行かないことにしております。

 

わが命と我が家族を犠牲にしてまで、信仰を守れるのか?

 

いいえ

 

私にはできません。

 

しません。

 

宗教よりも動物さんの方が尊いです。

 

 

 

しかし、遠藤周作大先生、今後ともこんなわたしめをどうぞよろしくご指導のほどを

お願い致します。