今日は、私の住む関東も暖かい朝を迎えております。
三寒四温とはよくいったもので、寒くなったり暑くなったりして、着実に季節が生まれ変わるのですね。
おとといの晩は、目の前で水がシャーベット状になっていく様を見たかと思うと、昨晩は暑くて汗ばみ、コートを脱ぎ捨てたくなりました。
外のネコちゃん達もたまったものではなく、くしゃみをしている子達も結構います。
すかさず持ち歩いている抗生剤を与え、天界のヒーリングをするとたいてい一日で治まります。
しかし、もう可哀そうな野良ネコと呼ばれる子達がいなくなりますように・・・
昨日捕獲した雄の子は手術済みで、きれいな毛並みであったので、どうも外飼いの飼いネコっぽいということで、もとの場所に離すことになりました。
その方の庭で捕まえた方は、捕獲器に入っている子を見て、だましたようで悪かった、と相当罪悪感を持ってしまって傷ついているようです。
繊細な方ですが立ち直って頂きたいものです。
そしてここ数日、6年ぶりに「遠藤周作大先生」の著作を拝読させて頂いております。
寝ながら読んでいて、気付いたことに、昔より文字が見えない!字がだぶって2重に見える・・・哀しい・・・失われた6年間は長かった・・・と撃沈
しかし、相変わらず思うのが、遠藤大先生の文章力は、さすが!とプロの方にいうのも僭越至極ですが、流麗な文章でぐいぐいと読むものをひきつけて止みません。
本当の頭の良い人というのは、文章が分かり易いとあらためて思いました。
現代作家さんの文章は、内容よりも、格好良い、センスにこだわっていて、複雑に内容が交錯し、それが、自己陶酔と自己顕示欲のナルシストちゃんのかたまりのように思えてしまい、読んでいるとこちらがむず痒くなるように感じます。
政治家の方もそうで、やたら難しい言葉をつかって、人をけむに巻きたがり、見下して偉そうにします。
ネコ活動を一緒に、と思っていたネコ爺さんもそんな感じで、やたらめったらと難しい言葉を使い、
「どうだ!すごいだろう!こんなことまで知っているんだぞ!馬鹿なお前ら知らないだろ!さあ!オレに従え!屈しろ!」
と、組み伏せようとしてきたために、
一言
さいなら~
でした。
やっぱり、昔の文豪と呼ばれていた大先生作家さん達は、ご自分が東大卒であっても、大衆に向けて、書いているため、小学校した出ていない人に対してでも、分かり易く、語り掛け包み込むような温かい文章なのだな、と思えます。
遠藤大先生の作品で、今回あらためて思ったのが、作品の中の主人公や登場人物には、感情移入したり、応援したりできような人がまったく出てこない、ということです。
出てくる人達、皆、こんなのが近くにいたら、面倒だな、嫌な奴、遠ざけたい、と思わせるような性格の人ばかりです。
よくある、なんでもできるスーパーヒーロー、ヒロイン、または同情して助けたくなるような人は一切出てこないのです。
皆、どちらかというと、社会の中では鼻つまみ者、コンプレックスの塊人間、弱く、生き辛そうなでも、ずるい人物ばかりが出て参ります。
これは大先生の意図しているとことだと思えます。
この地上では、皆が皆、どこかおかしく変で、弱く、強いものに打たれながらでも、地上でへばりつ生きながらでも生きている
これぞまさしく、キリストの愛を表したかったのかな、と思えます。
どんなに情けなくダメで弱い人間でも、キリストは見捨てない、包み込み最後は愛し、許してくださる、
と、究極はそうおっしゃりたかったのかな、と2重に見える目で文字を追いながら、時々、読めない漢字を勝手に想像して読み飛ばし、ぼんやりと分かった気がします・・・