jupes jupesの日記

Lanai Fukudaのくだらない日々

隠れキャトニャン

ふと思ったのですが、キリスト教にかかわらず、すべての宗教はかなりスピリチュアルなところが原点、ということです。

 

現在の正統派のキリスト教の方々は、スピリチュアルな側面を否定していらっしゃいますが、原点としてはキリスト教はかなりスピリチュアルなものだと感じます。

 

キリスト教でも、キリストが起こした奇跡の数々が、売り、です。

 

新約聖書の中でも、キリストが湖面を歩いた、とかお説教を聞きにきていた人々がお腹が空いたら魚とパンが降ってきた、とか、結婚式の水がめの水がワインに変わった、とか、また病気の人がキリストの手によって治ってしまった、とか、悪魔祓いをしたとか、預言をしたとか、天使がたくさん舞い降りてきたとか、十字架の上で死んだはずのキリストがよみがえった、キリストのお弟子さんも同じことをやった、とか・・・

 

不可思議な現象の数々が、人々を恐れおののきさせて、また惹きつけて従わせた、ことが信仰に結びつかせています。

 

キリスト教の聖人の方々も、同じように、天使を見たり、聖母マリアを見るような幻視体験をしたり、キリストが十字架につけられていた時にくぎ打ちをされた両手両足の穴が同じ個所に開いてくるという現象(スティグマ、聖痕)が起きたり、手をかざすと、病人が治ったり・・・と一般の人から見ると奇妙で魔術的なことに思えることをキリスト教の中では数多く重んじられています。

 

それでローマ帝国でもキリスト教邪教であり、魔術的なものとして禁止したり、魔女狩りが発生したようです。

 

鎖国の時代の日本政府も海外からやってくる宣教師に対して、まやかしやあやかしのようなものを行う怪しいものたち、ということで恐れ禁止したというのも、良く分かります。

 

禁止されながらも、日本人はかなり影響を受けていたようですね。

 

現在の日本の厳しい一夫一婦制の結婚制度もそのひとつのようです。

 

禁止されながらも迫害されながらも、じわじわと世界中に広がって文化文明に強い影響を与えているのがすごい、と思います。

 

すべての始まりが、たった一人の人、キリスト、です。

 

天界の一番トップのマスター

 

学校でいうと学校長、校長でしょうか。

 

すべての原点はスピリチュアルです。

 

だひとつの宗教にどっぷりとはまり狂信的にすべてを信じ込むのは、違うと感じます。

 

キリストもご自分の教えが後世でかなりゆがんで伝わり、たくさんの派閥を生んでしまったことを憂いているようです。

 

宗教というものに囚われず、柔軟性を持って、キリストを先生として、一対一で教えて頂くのが良いと思います。

 

先生のお言葉をいろんな人がいろんな解釈で持論を混ぜながら教えられると、混乱していきます。

 

 

 

魔法の先生

宣教師エンちゃん

ちなみにネコもスピリチュアルです。

 

実はネコ好きなのに、隠している人を

 

「隠れキャトニャン」と密かに呼びます。