まだまだ30度を超える暑い日が続いております。
この熱を帯びた空気は、地上の精霊さん方からのあがき、必死の訴えのように感じ、この暑さは当然のことと思えてまいります。
新聞では、行政によって保存にお金がかかる、あちらこちらの樹木を伐採しているとあり、それと同時に昨日は原因不明で突然倒れた銀杏の木の下で若い男性が亡くなった、とありました。
亡くなった方にはお気の毒としか思えませんが、これはもう精霊さん達からの必死の訴え、警告のサインと感じます。
毎日通る、元竹林並木道の土埃が立ち昇る道を通る度に、視界の中に土を深く掘り返されて、むきだしになった巨木が見え、その根っこから血が噴き出し嘆き悲しみ静かな怒りを、そこを通る人々に見せつけて訴えている気がしてなりません。
きっとこれまで何万人という人々がそこを通り、心地よい木陰と涼やかな風と野鳥の歌声に癒されてきたに違いありません。
その駅沿いでは、伝説の白ちゃんを筆頭に多くのネコさん達がそこで生まれて多くの人達に愛でられてきたそうです。
私も数年前に捨てられていた白血病のモーセ君を保護した場所でもありました。
きっと江戸時代あたりに小作人であった一族に国から無償で与えられた農地であったところが代々、畑としてあったはずです。それが、畑を継ぐ子孫がいないためにずっと放置され、自然の竹林とジャングルになっていたようなところでした。
そこでは畑用の上水も小川のように流れており、野生の小動物さん達の生命線でもあり、野生の草木を潤し、憩いのオアシスを作っておりました。
私もそこが黒ちゃんなどのネコちゃん達の長年の秘密の餌場であり、3月頃には、人が通らない裏の方に一本だけ、野生の桜の木が生えており、私にだけなのか、早咲きの満開の桜を見せてくれて、まるでネコ神様からねぎらいのご褒美をもらっているような心地になっておりました。
国からただでもらった土地なのだから、その自然を残す形で、最後は国に返したら良いのに、と思っていたのは、私だけではなかったと思います。
そこを通る人々は、そのむき出しの巨木の根っこを横目で見て辛そうな表情を浮かべております。
時に家族同士や友人同士で通りながら、「どうしたんだろうね。ここは市の100景の一つのはずだったのに・・・」悲嘆にくれる声をあげている人もいました。
この近くに障碍者の施設がいくつかあり、心の繊細な若い方々も多くこの並木道を見ており、なくなった景観を見て、傷ついてしまっている方も多いと思います。
本当にその地主さんは罪深いことをしたと思います。
その手つかずのジャングルのような竹林と野生の草木、数えきれないほど棲んでいた野生の動物さん達、昆虫さん達、野鳥さん達、精霊さん達の住処を奪い、そこから発せられていた清らかな酸素やオゾン、マイナスイオンを奪い、それに魂を癒されていた人々の心を奪い・・・そう思うとその一族は、自分達の損得のためだけに、どれだけ罪深いことをされたのか、と恐ろしく思えてまいります。
最後のオーナーさんである方が亡くなったのかもしれませんが、その一族のどなたかが、固定資産税を払う羽目になって、つい、不動産業の方の口車に乗って、どなたのアドバイスも聞かずに、売り払ってしまったのでしょうか。
その場所を通る度に、苦しみの念、呪いの念、嘆きの念が飛び交い、心が痛みます。
せめて、生き残っているネコさんとタヌキさん方に、私は毎晩人知れず、お供えをして、人間の罪深く身勝手で浅はかな行いを心の底からお詫びをするのみです。