jupes jupesの日記

Lanai Fukudaのくだらない日々

聖ディンフナ伝説…


聖ディンフナ伝説の残るGEELの街の印象では

聖ディンフナが、アイルランドから狂った父親から逃れてベルギーのヒールGEELにやってきて、父親に殺されたのが、2600年以上も昔のことであったそうです。

ディンフナの遺物が聖なるものとなり、同行していた司祭と共に葬られた場所が聖地となったそうです。

その土地が今に至るまで、精神疾患を持つ方々の奇跡の癒しの場となり、今も世界中にその名を知られる地になったのは、どうしてなのか…

そのことが知りたくて、ベルギーのゲール(ヒール)GEELに向かったでした。

GEELに行くにはブリュセルからアントワープ(アントウェルぺン)まで急行列車で一時間弱ほどで、そこからローカル列車に乗り換えてまた一時間弱ほど掛かりました。

GEELの街はブリュッセルと違い野菜畑やお花畑が多く、住宅街の街並みは清潔で美しく、ひとつひとつの家がとても個性豊かに優美であり、庭もきれいに整っており、住人の方々のプライドの高さを感じました。

この街の人々が聖ディンフナの伝説を信じて集まってきた精神疾患を持つ方々を受け入れて、家に住まわせてお世話をしながら自由にさせて自然治癒をうながしていたということです。

確かに街の方々は穏やかで素朴で親切な方々ばかりな印象でした。

帰りの道を少々迷ってうろうろとし、ガソリンスタンドにいる方に駅までの道を訊こうか、または地図を見てなんとかしようと、思いあぐねているところに、向こうから、すたすたとやって来られて「駅までだったら乗せてあげますよ」と言いながら、もうすでに車の扉の中に強くうながされ、かなりな距離を走ってくださり、その間も雨が降っていることを心配してくださったり、駅の時間のことや、向こうに着くまでのことまで案じてくださり、下ろすとササッと消えてしまうという、そのよそ者に対しての押しつけがましくないけれども、さっぱりとした優しさ、スマートでこ慣れた感じの対応は、さすがに世界から注目される街の方だといたく感激しておりました。
車から降りる時に思わず握手した手がふんわりと厚く暖かく、人柄の大きさを感じました。

ディンフナの遺体が埋葬されているという聖ディンフナ教会は昔の病院内にあるようで、そこに入ろうとしたところ、入院していらっしゃるとみられるご婦人から厳しくたしなめられて、入館を断念を致しましたが、新しい病院内には見学に入ることができ、そのあまり病院臭のない、明るく自由で開放された雰囲気や最新の設備を十分観察することができました。

また隣接するディンフナ・カレッジや、ディンフナの博物館にも入ることができました。

その博物館で感じたことは…

ディンフナの父親とは、古代の権威的で支配的な勝者の象徴

または、「悪魔の象徴」 とされていたのではないか

そしてディンフナとは、古代の権威的なものに支配されて犠牲になった「弱者の象徴」

しかし、悪魔に屈することなく聖なる清いものを守り、戦って敗れた「聖なるもの象徴」とされていたのではないか

そしてこの土地に、貴族達からの寄付により15世紀頃から病院が建ち、シスター達が看護師となって、この聖地を癒されに訪れていた精神疾患を持つ人々のお世話をし
ていたという、そのシスター達とは、権力的で勝手な悪魔から弱者を救う「天使の象徴」または天使とは言わずに、「聖なる魔法使い」の象徴となっていたのではないか、

と思ったのでした。

どうしてそう思ったのかと言いますと、初期の病院の看護師の女性達は、神に一生を捧げると誓ったシスター達のみが働くことができたそうなのです。

きっと当時の女性達は、年頃になると生きる為の選択肢が、結婚するか、または結婚したくないのなら娼婦となるか、または神に一生を捧げるシスターになるか、という狭い選択肢のみであったと思われます。

その選択肢の中で、妻も娼婦もこちらからは相手を選べず、男性という支配的権威的なものに屈しなければいけない、というものであり、その選択肢を外した神に一生を捧げるシスターになるという職業は唯一、支配的権威的なものから逃れられ、更に、男性達からも尊ばれるという立場になることができる、という当時の女性達の自由を得ることができる最後の選択肢ではなかったと思われます。

そして博物館の中の展示品や説明で分かったことは、初期の頃は、シスター達が病院の敷地内でたくさん薬草を育てており、パンを焼いた後のかまどの中で、薬草を乾燥させたり、煎じたりし、それをワインに漬け込み、自分達で飲んで効くかどうかを実験して、患者さん達に与えていたそうです。イメージ 4イメージ 5イメージ 6イメージ 7イメージ 8

そのワインは美味しく、シスター達は好んで飲んでいたそうです。そのあらゆる薬草育てて煎じて薬にしていたレシピが展示してありました。

そのワインが徐々に蒸留酒となり、19世紀には鉱物をカセイソーダに溶かしたものを使うようになったそうです。

まさに、魔法使いのメソッドです。

そして面白かったのが、初期の頃の入院する為にやってきた男性患者にする最初の処置は、5,6人のシスター達が、男性を裸にして、水に溶かした小麦粉を肩から背中から、足の下まで塗りたくり、その上から包帯でぐるぐる巻きにしてしばらく放っておくというものであったそうです。

その意味は、何か?説明はありませんでしたが、きっと男性の精気を弱らせて毒気を抜く作業であったのではないか、と思われます。

当時は男性は力が強く恐ろしいものの象徴だとすると、弱い女性達が寄ってたかって縛って拘束して小さいベットに寝かせて、好きなようにいじりまわした、というまさに、女性達からのリベンジだったのかも知れない、と思えました。

その病院内では、シスター達の上下関係もかなり強く、上位の人々はイスに座って食事ができますが、新人達は聖句を読んだ後に、その向かいのテーブルにひざまづいて下を向いて食事をしなければならなかったようです。

しかし、トップの看護師さんになりたいものは自分で立候補して、ある試験に合格すると、残してきた家族親類全員を招待して大きな披露パーティを催し、親族一同を潤す程のものも頂けたそうでした。

その部分は花魁が太夫になった時のお披露目、花魁道中のようだと思いました。

その辺りを感じると、日本の江戸時代の吉原遊郭内で自由に男性達を翻弄して楽しんでいた遊女さんと似通うものがありました。

特に初期の頃の病院内は、看護師さん達が、牛や鶏を育てたり、野菜や薬草を育てたり、パン焼きや食事の用意、患者の看護も医師のような処置もして更に掃除洗濯もすべてこなさなくてはならず、ご苦労も多かったようです。

その一方でなにやら楽しそうな女性天国の生活ぶりを感じました。

この土地が、そのような聖地になり、癒しの天国のような場所になったということの疑問は、やはり、この土地に特別なエネルギーがあったのではないか、と感じました。

この土地に育った薬草も良い魔術的な効果があり、精神疾患を持つものを癒し治していたのでしょう。

そこで働くことのできたシスター達は、生涯自分と自分の家族を養うことができる代償として、その魔法のメソッドや、そこに生育する薬草の魔法秘薬の秘密を守る為に、神の前で誓いを立てさせられて生涯を捧げたのでしょう。たぶん。

そう思い、どこかにそのエネルギーが残ったものはないものか、とぐるぐると博物館の外をまわり、エネルギーを感じていたところ、猫ちゃんが現われて誘導されて行きました。

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そこに美しく咲き誇る白いバラのアーケイドを見つけて中に入った途端に大雨が振り出し、そこから出られなくなりました。

しばらく雨が止むのを待っていたところ、地面になにやら粒のようなものが落ちていることを発見致しました。

手で柔らかい土を少し探っていると下から、おびただしい程の黒い粒が現われました。

少々興奮気味で座ってそれを拾い出すと、たくさんの野鳥達が騒ぎ出し、近くまで飛んできて私の周りで大騒ぎをしております。

まるで薬草の番人が「こらこらそれは秘宝の魔法薬だぞ、盗んではいかん!」と警告してきているようでありました。

「すみませんが、ちょっとだけ頂いていっても良いですかね?」と鳥の番人さんに許可を取ると「ほんのちょっとだけだぞ、誰にもここのことを言っちゃいかんぞ!」と言われているようでした。

しまいには雷も鳴りだし、しばらくそこから抜け出られず、止むまで黒い粒を拾うことができました。

どこでそのディンフナの秘宝の魔法薬を頂いたのかははっきりとは申せませんが、確かに聖ディンフナの秘薬を頂いて来れたと思います。

この黒い粒はたぶん、バラの種だと思われます。

バラが2,600年前の土のエネルギーを吸い上げて見事なバラを毎年開花し、そして密かに、種を落とし、土の下に隠していたのです。

そう思うとこの粒がとても愛おしく貴重なものに感じます。

聖ディンフナの導きによって貴重なものをそっと頂くことができた今回の旅の功績でありました。

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