jupes jupesの日記

Lanai Fukudaのくだらない日々

ベルギー、備忘録


ベルギーのブリュッセル、聖ディンフナ伝説を巡る旅から帰ってきて早一週間が経ってしまいました。

現実の世界に戻ると再び同じ日々が繰り返されてしまいます。

聖地でのことを忘れないように思ったこと、感じたことを書き残しておかなければと思いつつも、いろいろありまして・・・


今回の旅は、最初から最後まで厳しい苦行の一言でありました。しかし、学びの旅は、楽しい心浮き立つようなものではなく、修行のようなものであり、苦行という言葉がぴったりです。

しかし、反対に最初から最後まで守護であふれた旅でした。向こうに行くまでにあまり既成概念が入ってはいけないと思い、ベルギーのブリュッセルについて最近の動向を調べずに行って帰ってきたのですが、帰って来てからヨーロッパで起きている数々の事件を知り、本当に自分は天界から守られていたと知りました。

ブリュッセルでは日本人旅行者はほんの数人観光旅行の方々を見掛けたのみで、経由したフィンランドヘルシンキでもひとりとして日本人に会うことはありませんでした。

帰りもヘルシンキ経由で、帰りの方が空港内の道順が複雑になっており、そこにいらした大柄で明るく気さくな感じのフライトアテンダントさんに道を聞くと、満面の笑顔で道順を教えてくださったのですが、最後に「あなた!先週ブリュッセルに行ったでしょう!私は見ていたわよ!今日本にお帰り?」と言われてしまいました。あんなに何千人もいたような空港内で、やはり日本人が他にいなかったために、よほど目立ったのかと思い、少々気恥ずかしくなってしまいました。

ブリュッセルで泊まったホテルでのこと。

現地に行く前に、ホテルの予約だけはしておこうと思い、ホテルサイトを見ていて、連泊できてアパートメント式の設備もきれいで良さそうなものを発見し、そのコメントを見ていてもどれも高評価ばかりであったので、そこに決めて予約を入れました。

しかし、いろんな質問をしても、空港に迎えに来るサービスの要望を送っても返事が一向になく一抹の不安を抱きながら現地空港で待っていても、一向に迎えが来ません。

空港で出る時はほとんどノーチェックでなんと無防備なセキュリティだろうと思いながら外に出てみると、いきなり迷彩服に大きな銃を構えた兵士の方々に迎えられ、この国に起きている危険な状況を感じ取ることができました。

(しかし、迷彩服の兵士の方々は長身ですらっとしたほぼ皆金髪白人のGIジョーのお人形さんのような方々でした。今回の旅ではあらゆるところにふたり組で出没され、汚れた街の一種の爽やかな清涼剤のような感じであり、また明るく強い守護天使のような存在にも思え、私は彼らの存在にとても癒されて勇気づけられておりました)


仕方なく、兵隊さん達に銃を向けられながら、空港の駅を見つけ、駅で電車の時刻などを兵隊さん達に訊くと、そっけなく銃であっちのホームだろ、と誘導されながらやっとの思いで電車に乗り「北駅」というところにたどり着くと、なんとも駅前は異様な危険な雰囲気にあふれておりました。

浅黒い人々がうろうろとたむろしているし、外には簡易に作られたベッドの上にホームレスのような方が寝ております。

また酔っぱらった人々も大騒ぎしており不穏な雰囲気でありました。

連なって止まっているタクシーもなんとなく違法タクシーのような雰囲気はしましたが、行き先を告げると値段をいきなり「10ユーロ!」と言われ、それほど高額でもなかったのでお願いするととても親切にいろいろ話し掛けてくださり荷物の手助けもしてくれ、チップを少し弾むことにしました。

着いたホテルの場所はやはりごみごみとした一角ではありましたが、ホテルのスタッフはとても気さくで親切な若い男性達であり、部屋もシステムキッチンの備わった清潔で立派な部屋であり、一安心しておりました。

しかし、そのホテルのあった場所は、後々ブリュッセルでもかなり危険な要注意な場所であることが判明したのです。

まずは、周囲に朝から晩まで朝黒い肌の若者が大騒ぎをし、立派な教会が近くに数々あるにも関わらず、その教会の入り口付近に酔っ払いが寝転がり、ごみも散乱しているのです。

(散乱しているごみやワンちゃん達の落し物に関しましては、大きな清掃車が通りいっきに巻き取っていきます。その清掃車も清掃員の方々も私は気に入っておりました)

そして何より驚いたことが・・・2日目にアントワープから北駅に帰ってきて、地図通りに坂道を上がって帰ろうとしていた時のことです。

古い石畳の急な坂道を興味深く周囲を眺めながらゆっくりと登っていて、ふわっと視線の中に見慣れないものが入ってきた気がしました。気になってふと横を見ると、思わず再び凝視して見てしまった光景がありました。なんと、衣料店の古いショーウインドウのようなガラスの内側の狭いスペースの中に30代くらいと思われるかなり太目の黒人女性が深紅に黒い縁どりの上下の下着を身に着け15センチくらいのハイヒールを履き、ポーズをいく度も変えながら立っているのです。

その瞬間、観た光景を瞬時に頭の中で過去の記憶をたよりに、これはいったいなんであるのか判断をしようとしたのですが、記憶の中ではない光景でありました。しかしその次に、これはもしかしたら小説などでも出てくる有名なヨーロッパの「飾り窓」というものではないか、と結論が出たのでした。

その窓の中の女性は、江戸の吉原では「朱色の格子の張り見世の中の遊女」そのものに見えます。

どおりで、吉原のように呼び込みか、ドアーマンのような黒づくめの男性達もところどころに立っています。

しかし、その間には、就学前のような子供達も遊んでおり、坂上には学校まであります。ちなみに学校の名前は「シント・ガブリエル・エコール、聖ガブリエルスクール」でした。

ベビーシッターのような大柄の女性が面倒を見ている黒人の小さな子供達は、そのショーウインドウの中の女性達の子供達ではないかと憶測されます。

そんな飾り窓の通りには、狭い通りが交差し、パブもあれば食料品店もあり、古びたアパートメントも立ち並び、人間の生々しくもエネルギッシュな営みを感じました。

そう思いながらも歩いているとなんとなく懐かしいようなものを感じて参ります。

この場所は古くからある歓楽街であり、日本でいうと江戸の吉原、または現代なら新宿界隈のようなものであったと納得できたのです。

泊まっていたホテルの道を挟んで向かい側の古びたビルの中の部屋の中では、毎夜、夜8時くらいを過ぎると、赤いランプが灯ります。

これも小説で読んだことのある、「今なら上がってきてくれても結構です」「営業中」の意味であることだと分かって参りました。

ビルの下では浅黒い肌の若者たちが真夜中も大騒ぎをしており、時折銃声まで響き渡り、パトカーのサイレンもおびただしく行き交います。

しかし、私はそれらのすべても受け入れられて納得することができました。

それはそれとして、当たり前のある場所の一種の人間模様であり、原風景のようなものと淡々と捉えることができたのです。

もしかしたら、それは私の江戸時代の前世で吉原遊郭に関わっていた時の記憶と重なったためでもあったのか、または、今世では、学生の頃から新宿歌舞伎町を横切って通学していたためか、または最初に訪れたオーストラリアのシドニーで世界一という歓楽街のアパートメントで暮らした体験があったためか、いずれにせよ、そのような一般的に恐ろしい危険地域と言われるところでも、冷静に受け止められていたのかも知れません。

私が平気な顔をして堂々と歩いていた為か、大騒ぎをしている少年達からもまったくからかわれることもなく、食料の調達で訪れたお店の方々にもとても親切にしてもらい、人情あふれる下町風情を堪能して参りました。

そして、今回の巡礼の旅にも新たに付け加える学びを感じ取りました。

それは、「聖母マリア」と呼ばれた方の原点である「マグダラのマリア」の心です。

私の天界の解釈では、キリストの母、聖母マリアは、マグダラのマリアと呼ばれた方と同一人物であります。

そのマリアは私娼でありました。そして名前も知らないしかし、愛する旅人の子を身ごもったのです。

このホテルに泊まっている間中、マリアの記憶、真実の思い、感情、心の叫び、深い愛の言葉が聞こえてきた気が致しました。

気が付くと、そのホテルの更に坂道をのぼった頂きの小さな教会は聖母マリア教会でありました。

レオナルド・ダビンチの絵にもあったように、大天使ガブリエルが、処女マリアにユリの花を差し出し、あなたに聖なる子が生まれるでしょう、と受胎告知したことは有名です。

まだまだいろいろなことがありましたので、またUPさせて頂きます。

私のYOU TUBEで兵隊さん達、ブリュッセル、ヒール、アントワープの街並みなども見られます。