jupes jupesの日記

Lanai Fukudaのくだらない日々

思いを馳せて・・・


今日は3月11日です。

あの人間界の規制概念を打ち破るような自然界の大脅威のあった日から、もう6年も経ってしまったのですね。。。しかし、いまだにお辛い思いをしていらっしゃる多くの方々や動物さん達のことを思うと胸が痛みます。きれいなお悔やみの言葉など簡単に口に出してはいけないことだと思います。ただ天界の愛と光の癒しを送り続けさせて頂きます・・・


今日は過去のいろいろなことに思いを馳せる日であります。

あの日に起きた出来事に対して、ずっと以前から私にもサインが来ていたと感じます。

私は前職の仕事で、2003年の9月から年の暮れまで3か月余り福島の郡山におりました。これが日本での普通の仕事の最後となった日々でありました。その間に、福島と仙台の方々にたくさんお会いしてとても温かいおもてなしを受けてお世話になっていたのでした。そこでも、スピリチュアルな方々がたくさんいらっしゃり、深いお話もずいぶんしていたものでした。

福島から東京本社に戻ってきて、すぐにニュージーランドオークランドに派遣されたのです。

オークランドでは、世界の原子力発電に反対する活動を続け、原子力発電所のないニュージーランドに住んでいるという日本の方のお話をよく伺っておりました。

そのニュージーランドでは、スピリチュアルな勉強の集大成となることすべての勉強が出来て、まるでそこが人間的な思いの卒業の場となるような場所でありました。

それは現実世界と物質世界にお別れをする為の目覚めの日々でありました。

そして帰国後、心身共に普通の仕事はまったくできなくなり、というよりも仕事がなくなり、自分ができるような仕事を消去法でどんどんと消して突き詰めていったところ、今の仕事をするようになったのでした。

そして、仕事を始めてから、5年程経った2010年に、私は大田区の田園調布でセラピールームを持っておりました。その年は、中盤から腰痛がひどくなり、その内にみぞおちから下のすべての臓器が悪くなり、まともに立てなくなっていたほどでした。

立っていられないと思っていた時に、突然、天からイエス・キリストマグダラのマリアの物語が降りて来て書かずにはおれなくなり、一日中パソコンに向かうことになりました。また吉原の物語も前後に降りてきて、それも書かないと苦しくなり、その年の半分は仕事をせずに物書きばかりをしていたのでした。

その2010年の後半には腰痛も内臓の痛みもますます悪化し、その頃から関東でも東北でもひんぱんに大きな地震が起きるようになってきておりました。

東京の講座でも瞑想会でも地震の話題ばかりとなり、生徒様方とのチャネリングの練習でも「必ず震度7以上の地震が来る、とにかく天界の光を地球に降り注いでいましょう」とずっと話し合っていたものでした。

その頃から、珍しく東北地方の方々が頻繁にセラピーを受けに来られるようになりました。皆さんは天界からサインがあった方々だと思います。

その内のお一人は、まさに発電所のお近くに住まわれている仙台ご出身の福島の方でありました。(もう時効でしょうから、この出来事は書いても良いかと思います)

その方は、2010年の最初に来られた時は、福島で大成功したい、素敵なリッチな男性と結婚したい、という大きな野心を語っていらっしゃいました。その願いに対しては天界のマスター達は優しく見守ってくださっているようであり、まずは我が身を知り、もっと精進しなさい、というようなお話であったと思います。その願いとは裏腹にその方は「ここで営業をしているのだけども、この土地の人々は何を言っても心に響かない、原子力発電のせいで人の脳がやられているような気がする。精神を病んでいる人も多い」というようなことを仰っておりました。天界は、「確かに原発の影響は大きくある。その土地で営業で成功することは難しいであろうが、自分で気が付かないとそこから動きたくはないであろうから、気が済むまでやってみなさい」と仰っていたと思います。

次に来られた時は、2010年の終わりの頃であったと思います。その方は少し前に車を追突され、むち打ちになってしまったから仕事を休まないといけない、どうすれば良いか?というご質問でしたが、天界は「とにかく今は仕事は休みなさい。実家の仙台にしばらく帰りなさい」というメッセージをくださいましたが、その方は「それはできない、仕事を休むと自分の地位が危うい」とおっしゃり、無理やり仕事を続けることを選びました。そしてその次に来られた時は確か2月頃でありました。「実は乳がんが見つかってしまった。でもできたら仕事は休みたくない、さっさと切って仕事に復活したい」と仰います。その時、天界はとても厳しいことを仰いました。「どうしてあなたは分からないのか?こんなにあなたに何度も知らせているのに!今はその場所にいてはいけない、すぐに実家に帰りなさい。手術をするなら、実家の近くで受けなさい。そして、仕事は半年くらい休んだ方が良い」とかなり激しく何度も何度も仰いました。しかし、その方は頑なに「実家には帰りたくない。実家の両親とも折り合いが悪い。自分はここにいたい」とまるで駄々っ子のように仰り、現実を見たくないようでありました。その時ばかりは、天界のマスター達はものすごく強く激しく叱咤してきました。ご先祖様方も総動員して来られてその方を説得した感じもします。
「とにかくその土地から離れなさい!今すぐ荷物をまとめて実家に戻りなさい!分からないのか?地震が毎日のように起きているではないか!」と、そんな感じの言い方であり、最後は私もその方の身体にヒーリングしていた手が、バンバンとその方を叩いており、ハッと気が付くと、叩きながら叫んでいたのでした。

長いセッションのあと、その方はしぶしぶと天界のメッセージを聞き入れて、仙台で手術をすることを決意し、いくつかの候補の病院の名前を挙げてメールで訊いてこられたのでした。

天界は仙台のある病院が良いと仰り、私はその病院で手術を受けるように、その方にお伝えしました。

その頃は、毎日のように東北では大きな震度の地震が起きていた為に私もその方のことを毎日案じておりました。

私の腰痛も内臓の痛みもその頃は更に悪化しており、3月11日は痛みに耐えきれなくなり、地元の内科の医院に行くことにしておりました。ふとテレビをつけると、今でも覚えておりますが、昔の「金八先生」が再放送されており、心がちょっと安らいだ時でした。突然、部屋が揺れ出し私は思わず「ミカエル!」と叫び、激しく揺れる家具を抑えておりました。ガチャガチャと音がするキッチンに走っていくと、ちょっと高価であったワイングラスが落ちそうに揺れており、それだけを思わず手に取りました。ふと、外を見ると目の前の古い2階建ての木造の家がまるで鉛筆を揺らすように揺れているのが見えました。

かなり長い時間揺れておりました。その後、めまいが続いているような感覚の中で一階のセラピールームはどうなったのか見に降りて行くと、掛け時計が床に落ちてヒビが入っていたのと、棚に飾ってあった、石膏の天使像がやはり床に落ちており、片翼だけが肩甲骨から無残にも折れておりました。

そのセラピールームの床はソフトビニールで覆われていた為に、その床には時計と天使像の穴が開いてしまっておりましたが、被害はたったそれら2つだけでした。

天使は片翼を犠牲にしてセラピールームを守ってくれたのです。

テレビでは早速地震速報が発表されておりましたが、私は内臓の検査の為にクリニックに行かねばならず、行く道すがら道路には電車もバスも止まってしまった為に、放り出された人々が群をなしておりました。

それは生まれて初めて見る道路に溢れかえった途方に暮れた人々の群れでありました。まるで迷子になった羊たちが、ただ、前の羊についてゆっくり歩いているような光景でした。その群れはその夜から朝まで続いておりました。

次の日は講座でありましたが、生徒様方に連絡するとご無事で、講座も来たいとおっしゃっており、予定通りに行うことになりました。

福島のクライアント様に何度もメールを送って安否を確かめておりましたが、一向に連絡がなく、無事であろうか、ちゃんと仙台のご両親と会えたであろうかと、とても気になって案じておりました。

テレビでは、なんと天界のマスター達が、そのクライアント様に手術を受けるようにと指示した病院が被災地の中で唯一稼働できた病院で多くの怪我をされた方々を受け入れている、とニュースでやっておりました。

しばらく案じながら私も内臓が機能しないような状態になっておりました。また実家でも電気がしばらく計画停電が続いており、何度も行ったり来たりをして手伝っておりました。

このことも不思議なのですが、以前のブログにも書きましたが、私は2010年頃からIKEAのソーラーライトをいくつも買い集めて実家に送っていたところ、母が大変気に入り、ご近所や知り合いにも頼まれたということで、結局30個くらい、私は実家に送っていたのです。そのソーラーライトがその計画停電の時に非常に役に立ちました。

このソーラーライトは、震災直後にはすべて売り切れになってしまったそうで、その頃は手に入らなくなっていたのです。そして今はIKEAでは製造中止となっており、今残っているソーラーライトが最後のもので、大変貴重な震災グッズとなっております。

その数週間後に、乳がんになってしまったクライアント様から、意外な程、淡白で簡単なメールが届きました。

「福島のマンションも仕事場も無事。手術も仙台の病院で受けて成功した。仙台の両親も家も無事。でも自分は福島に帰って仕事で成功したい。リッチな男性と結婚したい。どうすれば良いか?」と、まったく我が身に起きていた凄すぎるまでの奇跡をそれほど実感していないような、喜んでいないような口ぶりの内容に少々あきれながらも、そのお方とご両親達がご無事であったことを嬉しく思いました。


今、この過去の数年間思い返すと、考えられないような奇跡の連続の日々であったと思います。

私のその頃の内臓の痛みは、地球の痛みを受けて、地球と共に苦しんでいたのだと思います。今はすっかり内臓は完治しております。しかし、地震の起きる前はやはりしくしくと痛むことがあります。


天界に感謝しかありません。

人間が地球の王者のように振る舞い、思いのまま意のままに地球を扱おうとしていたこと、地中に毒素として埋められていた鉱物を、地球の王族である精霊様達にお伺いすることなく、人間の欲望の実現の為だけに無理やり掘り出し、空中にも毒をまき散らしていたこと、地球にとっては害虫くらいの存在である人間達を無計画に増殖させようとしていたこと、人間は地球にとって害でしかなく、まったく無益であり、精霊様達にとっては最悪の種族であることを知らずに我がまま放題やりたい放題、厚顔無恥に生き、すべて当たり前に思い、地球様や精霊様方に、感謝の微塵もなかったこと、すべて反省させられ、修復させられたに違いありません。

大宇宙の中で、地球に住まわせて頂けるものは、ほんの一握りの存在で、きっと100億円の宝くじに当たったくらいの確率であると思います。

そんな有難いことに感謝をせずに、すべて当たり前のように思えて生きている我らに、今後もきっと精霊様達からのお達しは続くことでしょう。

地球は限りなく美しく限りなく恐ろしい星です。

そんな中にぽつんと置かれている我らは地球様と精霊様達から監視されている囚人でしょうか?または天界にとっては児童生徒でしょうね。

天界の最高最善の愛と光にひたすら感謝!