待ちにまった大河ドラマが始まり、そして17日に終了いたしました。
最初の頃はとても感情移入し、涙なくしては見られない程でした。
途中はどうかな?という部分もありましたが、最後はやはり涙涙で終わりました・・・
2012年に自分のルーツを探る旅に出た時から、自分のご先祖に関わるドラマチックなストーリーが大河ドラマになることを願っておりましたが、5年を経て実現したことは本当に奇跡のように嬉しいことでした。
私もお会いした龍潭寺の和尚様が井伊家の歴史を細々と研究し、書物を書かれていらっしゃいましたが、なにせ古すぎる時代であまり残されたものがなく、ある部分は創造されたものもあったと思われます。
しかし、きっと井伊家のご先祖さま方が、このドラマを書き上げられたシナリオライターの方に憑依されて、書かせていらっしゃるのだな・・・と、ドラマを観る度に思っておりました。
驚いたのは裏切りものであり、お家の宿敵である小野政次と直虎が淡い恋仲であったと描かれていたことです。私は以前、直虎に関する小説を読んだ時「おのれ!小野め!」と怒り狂っていたものでした。
小野政次の最期がまるでキリストの磔刑のように十字架に磔となり、直虎の槍の一突きによって絶えた、というまさにキリストの最期を象徴するようなものであったことは、衝撃的でありました。これはキリストと関連する自己犠牲の愛の象徴であったかも知れません。
また直虎は生涯神に仕える身の清らかなヴァージンメアリーのような身であったはずが、架空の人物の龍雲丸というイケメンが実は忍者のように存在していって、ふたりは事実婚のような状態であった、というストーリーも驚きでありました。薄幸な直虎にも少しだけ幸せを感じられる時期があったのかも知れません。
でも全体に直虎は尼僧でありながら、イケメンたちにモテモテであったように描かれていて、時に尼さんでありながら煩悩にまみれた比丘尼(びくに)のようにも見えてしまいました。
そして我がマスターであられる徳川家康公のイメージもこざかしい豆狸として描かれていたことも、なかなか・・・味わい深い・・・
でも史実とは違い、実際はそんなものだったかも知れません。
この一年は、この素晴らしきエキサイティングな大河ドラマと共に私も戦国の一年でありました。
井伊直虎を感じると、人間界的には不器用、スーパーシャイ、表に出ることが好きではなく、地味で人知れず、しかし水面下でものすごく働いており、縁の下の力持ち、信心深く、霊能力も備わっており、無類のお世話好きのおせっかい、そして働き者、人をプロデュースしてデビューさせるのが得意、精霊達と友達、無類の動物好き・・・。
井伊家は、猫様によって救われております。
印象深いラスト・シーンも猫様でした。
これか・・・今、私を突き動かしているものは。。。