jupes jupesの日記

Lanai Fukudaのくだらない日々

『人はなんで生きるか』・・・



私の人生のところどころでにあるシフトの時、新宿紀伊国屋書店の本に巡り会うことがあります。

新宿紀伊国屋書店はいわば私のパワースポットであり、変換期の指針を見出せる場所でもあります。

最初に購入した本は確か洋書のグリム童話集だったと思います。海外遊学に出る前に少しでも英単語力をつけておこうと思い、手に取った記憶があります。
あまり英会話には役には立ちませんでしたが、内容はファンタジックで癒された記憶があります。


今回はふと目についた、トルストイ民話集「人はなんで生きるか」でした。

人はなんで生きるんですかね~

何の為に?生まれた瞬間から持ち続ける疑問です。

天界のマスター達からの声をお伺いするようになってようやく地上において人の生きる意味が分かってきた気がしますが、根本ではどこか納得できないまま、今に至っております。

人を全部ひとくくりにもできません。個人個人の魂がそれぞれ生きる意味と理由を持って地球に降りてきていますからね。

現代に生きる人達の矛盾がぐるぐると襲って参ります。

なぜに人はこんなに必死でものを作り出して消費し捨ててごみを出し続け、そのごみの処理でまた頭を悩ませ、ごみ地獄と環境汚染の悪循環を作り出し、また、便利さをますます追求しAIロボットを作り出して、人の真実を察知する本能を低下させ、産めない人に無理矢理お金を掛けて宇宙人の魂を引きずり降ろして、人工的に産ませ、その宇宙人の地球になじめない子達の子育てに苦悩させ、子どもを良い学校に入れる為に、親は極限まで無理をし、良い学校を卒業しても、子どもは社会になじめず苦悩し続け、通勤でラッシュ時に電車の中に詰め込まれ続け、心身を病んで引きこもったりインスタントで安っぽくも高額な家を建てて、そのローンを払い続ける為に、必死で働き続け、心身を疲れ果てさせ、果ては医療の高度化でなかなか人が死ねず、高齢者ばかりが増え続け行き場がなく、汚染された地球で悲しく寂しい人達があふれかえっている・・・

ふと天界に上昇して、下界を見下ろすと、人が何を目指して同じところでぐるぐると回っているのか、気の毒になって参ります。

僭越ながら。

日々の苦悩の中で、瞬間的でも、刹那的でも快楽を求めることで、変な恋愛依存症、薬物依存症、アルコール依存症、不倫なども起こして、それがまた問題に発展する・・・

天使達の目から観ても、人は憂いる要素ばかりです。

一度、天界から下に向かって「ストップ!」と言ってみたいものです。

世界中が一秒だけ、すべてを休止した途端に、きっと地球を覆っていた毒の層が途切れて、空が晴れ晴れと澄み渡ってくることでしょう。

話は戻り、トルストイの「人はなんで生きるか」では、天使ミカエルが、産まれたばかりの子を残して死にゆく女性の魂に同情してちゃんと抜かなかった為に、神様から叱られ、地上に落とされてしまった。そこに貧しい靴職人が通りかかり、教会の片隅で裸で凍えているミカエルを厳しい奥さんのいる家に連れて帰る。そこでミカエルは寡黙ながらも素晴らしい職人としての技を発揮して、恩人であった靴職人を助けていく。最後の方では、3つの出来事により、地上の人々が貧しく苦しみながらも「神の愛を知る為に生きる」ということが分かり、神様から許され天使の姿になって、天界に帰っていく・・・と、かいつまむとそんな物語だったと思います。

文豪トルストイの目はロシアの昔の人々の素朴で荒々しくも貧しい暮らしを強いられている人々への慈愛に満ちており、博愛と道徳的要素と宗教的要素がいっぱいに詰まった、分かり易いキリスト教的道徳の教科書のような一冊です。

しかし、とても癒される民話集です。

この物語のように人々が「愛によって」生かされていることに気が付いたら、ただ盲目に突き進むことが止められるはず、と思ってしまいます。


死ぬ時は、地上にすべてを置いて行かなければいけません。

何も持って上に帰ることはできません。

ものも、地位も名誉も財産も学力も結局は残らないのです。

人の魂に残るのは、生きていた時の魂の記憶。感謝をしたか、感謝をされたか、ということだけです。

それは最後の魂の光の輝きで分ります。


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                愛だね~