jupes jupesの日記

Lanai Fukudaのくだらない日々

学歴・・・


学歴詐称のことが、また話題になっておりますが、

そもそも、学校とは勉強する為に行く場所であり、そこを卒業したから、どうだとか、いうこと自体がおかしい気が致します。

学校で勉強する必要がない人は行かなくても、実社会に入って体当たりで学んでいけるのだと思います。

本当に賢い人は学校なんか行く必要がない!

と思いっきり学歴コンプレックスの塊である私はひがみと負け惜しみを込めて叫んでおります。

しかし、世界中、どこに行っても、学歴がものをいうことは間違いありません。

どんな仕事に就いていたとしても、どこどこの学校を出たからどうだこうだと評価を受けます。仕事ができる人であれば、やはりあの大学の出だから、とか、仕事ができないと、それでもまあ頭は良いのだろうとか、大学によって人物の評価も大いに変化するようです。

でも、どんなに優秀な学校を出たからと言って、それが仕事の優劣に比例はしていないと思います。

学校に行くには大変お金が掛かります。特に日本などのアジアや欧米やオセアニアは学校が国の一大ビジネスになっているようです。どんなに優秀でも経済力がないと大学には進めないと思います。

貧乏で学歴のない私なのに今までなぜか優秀な学校を出た人ばかりの中で働いておりました。

オックスフォード、ハーバード、東大…などそうそうたる大学名を日々聞いておりました。

そんな皆さんは、一日に一度は自分の出身大学の話題を口にしておりました。それしかステイタスを保つ方法がないのだろうか、と少々哀れみの気持ちも勝手に抱いてしまったりしました。

その方々をそっと観察していた結果として…

どんなに良い大学を出ていたとしても、自信満々に見えていたとしても、皆、心の隅に絶対的にコンプレックスを持っているはずなのです。一般よりも上のレベルに君臨していたとしても、上には上があり、常に周囲と自分を比較して少しでも優位だとご満悦になり、少しでも劣ると急降下し自信喪失に陥ります。

つまり皆、どんなに優秀であったとしても自分に自信がないのです。そして、皆、幸せではないのです。

学歴詐称には関係ないことですが、今の世の風潮を観ると、皆、表面では普通の幸福を装ってはいますが、自分に自信がなく、幸福感も無い為に、少しでも人に弱みを見つけると徹底的にそこを追求し陥れ、少しの間、自分の自信喪失した部分と悲壮感を埋めて慰める、というやり方が蔓延してきている気がします。

それはまるで「魔女狩り」の告発ようなものが再び起きつつある世の中だと感じます。

大昔のような寺小屋だけの世界になれば皆穏やかになるだろうに・・・と寺小屋復活を願っております。