jupes jupesの日記

Lanai Fukudaのくだらない日々

大難が小難になり・・・


先日のこと。

道路で交通整理の準備をして三角コーンを設置していた方が、急に来た車をよけようと、ふいに後ろに下がってきて、急いでいる自転車の私とぶつかりそうになってしまいました。

前輪が少しだけ、その方の安全靴のわきに擦れただけであったのですが、あと数センチずれていたら衝突事故になっていたかも知れません。本当に思い出すだけでぞっとするほどのことでした。その時、これは天界からの警告のサインではないか、と思いました。

その時、いつもお守りとして身に着けて出掛けている「ディヴァイン・ジェムストーン」をつけていないことに気が付き、帰ってから、すぐに首にかけ、再び出かけたのでした。

しかし、自転車の車輪からも擦れたような音がし、なんとなく胸騒ぎがするような気がしておりました。いつもは通らない道を走っていると、突然、まるでなにか爆発をしたか、銃が発射したか、と思われるような音が聞こえ、その内に後輪がガタガタと音を立て始めたので、後輪のパンク、と気が付いたのでした。

そして行き先に行くのを止め、以前見掛けたことがあった自転車屋さんまで自転車を引きずって持って行ったのでした。そこまで20分位掛かりました。預けると、これは時間が掛かるかも知れないと言われ、もうすっかりと出掛けるのを諦め、近く、と言ってもまた徒歩20分くらいのところにある図書館で待機することに致しました。

そこで、ずっと探していたDVDを発見することが出来たのでした。

自転車が直るまで2時間以上、十分、その映画を堪能することができました。

その映画は「カッコーの巣の上で」というジャック・ニコルソン主演の映画です。

これは、以前NHKで「ロボトミー」についての番組を観た時に、その中で紹介されていた映画であり、その時からずっと気になっており、ずっとレンタルできないか、または購入できないか探していたのですが、なかなか手に入らずにいたのでした。

ずっと以前に精神医学を勉強していた時に、そのロボトミ―手術というものを知ったのでした。それは危険な脳の手術行為であり、現在はほとんどされていない、と言われておりましたが、精神疾患に苦しむ方々にとっては藁にもすがるような最後の手段として、今でも期待されており、その希少な手術を受けるのを待っている患者さんが多いということでした。

カッコーの巣の上で」という映画の中では、20世紀のアメリカの精神病院が舞台でありました。ジャック・ニコルソン演じるマクマーフィーという人物は、いわゆる軽いやくざな青年で軽犯罪を繰り返しているうちに、疾患があるのではと疑われて病院に送られてきた人物でした。映画の中では刑罰を逃れる為にわざと疾患を装っているのかも知れないと、医師達に疑われ、ずっと監視され続けておりました。

ちなみに、ジャック・ニコルソンのあの吹っ切れたような小気味良いほどの快演技が最高に素晴らしいです。なかなか他の役者さんには真似できないような地がそうなのかもと思えるほど、乱暴ぶりです。

病院の中の患者さん達は、皆、繊細で気が優しく傷つき易いどちらかというとキュートな方々ばかりで、マクマーフィーから見たら、世間で荒っぽいことを繰り返している人々の方がずっと精神病なのでは、と思い始めます。

まさに皆気弱で傷つき易い、アース・スターズとアース・エンジェルズばかりという感じです。

マクマーフィーは、きっと現代版の精神医学では今、流行?!の「パーソナリティ障害」の一種「反社会性パーソナリティ障害」と診断されるのではないかな、と憶測しておりました。
 
「A1.法律にかなって規範に従うことができない、逮捕に値する行動
A2.自己の利益のために人を騙す
A3.衝動的で計画性がない
A4.喧嘩や暴力を伴う易刺激性
A5.自分や他人の安全を考えることができない
A6.責任感がない
A7.良心の呵責がない」WIKIより

しかし、その病院の患者さん達は、マクマーフィーの大胆不敵な行動に圧倒されながらも、次第に自由奔放で情けもある彼を尊敬をするようになります。

最後の方では、外の世界では当たり前にやっても良いクリスマスパーティを病院内で行ない、大騒ぎを起こし、マクマーフィーが可愛がっていた青年を自殺に追いやり、自分自身も厳しい婦長さんを絞殺しそうになり、どうしようもない人間と判断されて、最後は「ロボトミー手術」を受けさせられて、廃人同様になってしまいます。

エンディングでは、精神病を装って入院していたネイティブアメリカンの大男のチーフが、マクマーフィーの魂を解放するために廃人になってしまったマクマーフィーっを殺し、自分は窓を突き破って逃走する、というものでした。

なんともものすごい内容の映画でした。出てくる人々が皆、根本は善人で本当の悪人はいないのでした。皆、世間とどうしても嚙み合わずに、ずれてしまい、逃げ隠れするように病院でかくまわれていますが、そこでも、権力のあるものと噛み合わずに悲劇の結末に騒動になっていくというもので、なんともやるせない、切ない内容でした。

救いとしては、最後のネイティブアメリカンのチーフが、カナダを目指して逃亡し、魂を解放ていくだろう、というものでした。

「カッコーの巣・・・」というのも意味深な題名です。カッコウは、托卵ということをする鳥で、他の種類の巣の中に産んである卵を落として、その数に合わせて自分の卵を産み付け、ふ化したひなは、もともとの住人であった他のひなを巣から落っことし、そのその親鳥に自分の面倒をみさせる、いうなんとも厚かましいことをする鳥ですが、そのカッコウ自身の巣の中はいったいどうなっているのでしょう。「閑古鳥」が鳴く、の由来がこの物わびしい鳥の鳴き方から来ているそうですね。

複雑で意味深いものがある題名で、そしてこの映画の内容も、当時の世間では、触れてはいけない隠ぺいされていた真実の世界に焦点を当てて、するどいメスを入れたもかも知れません。

もし機会があれば、ぜひ観て頂きたい映画のひとつです。

その日は、きっとパンクによって大きな災難から逃れられた日であったのだと思います。

無事に帰ってこれて、ホッと安堵でした。

大難が小難になり…そして観たかった映画をようやく観れて良い一日でした。