「神の名を語るものには、数々の試練が待ち受けている」
と天界のマスターはおっしゃいます。
その通りです。
天界のことをするようになるまでは、自分がその名を語るものになるなどとは一度も考えたこともありませんでした。
幼少時代からなぜか自分だけがハードなことが次から次へと訪れ、なぜ自分だけが、といつも天を恨んでいたものでした。
私の周りには、いわゆる中流階級ののんびりとした豊かに普通に人生を過ごしている人達ばかりであり、比べられて馬鹿にされるのが嫌で自分のことを言うのがためらわれ、普通の振りをしてやり過ごしてきました。
しかし、天界のセラピストになってみると、いらっしゃるクライアント様方は、自分と同じような境遇の方々ばかりか、または自分よりもっとハードな人生を送って来られた方々ばかりと分かり、ようやく同胞を見つけられたような居場所を見つけられたような気持になり、クライアント様方にお会いする度に、懐かしい故郷の人に会ったような気持ちになっておりました。
そのハードな人生を過ごして来られた方々は、生まれる前から自らそのハードなものを選んできた「ライト・ワーカー」と呼ばれる方々のようです。
そして、人生の中で目覚めた時に、神の名を語るものになると決めてきたようなのです。
神の名を語るからには、それなりの試験があります。それは初級から始まり、徐々に段階が上がっていくと、試験もハードになって参ります。
中級、上級、そして最上級ともなれば、死にたくなるようなことが続出して参ります。これでもか、これでもお前は神の名を語れるのか!といった具合に、天界から遣わせられたルシファーさん達が、試験問題をくださいます。試練とは、良い大学に入るようなアカデミックな問題の試験ではありません。どちらかというと精神的なものを試される試験です。
それで諦めて自主退学してしまえば、他の方々と同じようなもっと普通で楽な道が待っているはずです。それもそれで良いと思います。ダメであっても、次回があるからです。しかし、来世でもライト・ワーカーを選んだとしたら、振り出しに戻って更に困難が待ち受けているはずです。
もういっそ、ライト・ワーカーなどもとから止めてしまえば、もっと楽になれるでしょう。自分の受けなければならない苦難を他のソウル・ファミリーと呼ばれる魂の家族に振ってしまえば良いのです。そんな選択肢もあるようです。
それでもまだ諦めずにライト・ワーカーを目指す意義は・・・たくさんあり過ぎて述べられないほどです。