偶然、私も夜にノーランズちゃん達の餌をあげていた為に、そこに居合わせてしまいました。
新月の夜に静かに部屋で亡くなるなんて、羨ましい限りです。できたら代わって差し上げたいほど・・・
いろいろと死に関して思いを巡らせておりました・・・
葬式について・・・
母は無類の葬式好きで、毎週のようにお葬式の招待が来ると、うきうきと鼻歌を歌いながら、喪服の準備をしております。
太る度に、新しい喪服を買いそろえる為に、タンスの中には10着を超える黒いワンピースが掛かっております。それも、徐々に号数が大きくなるに従い、派手なデザインになっている気が致します。
母いわく、「お葬式は歌って泣いて笑って感動して、こんなドラマチックで面白いものはない」と豪快に述べております。
母いわく、亡き人の人生を振り返ってあげて、その人生ドラマを知り、そしてその知人達と大いにおしゃべりをして盛り上がり、それはそれは感動し、楽しいそうです。
母の所属しているキリスト教の教会では、お葬式は聖花のディスプレイが大きくとてもシンプルかつ清楚で品が良く、確かにあまりオドロオドロしい感じはありません。そして始終、讃美歌であふれており、確かに良いかも知れません。
また母は他の宗教のお葬式に参加するのも興味深く面白いと言っております。
お坊さんへのつっこみポイントを見つけては後で笑い話のネタにしております。
また親族の方々の面白い行動を発見し、それもどなたかにいつも電話で同じ話を繰り返し報告しては大笑いをしております。
葬式には失礼していっさい参加しない私には「こんなに良いものになぜ行かない!」と怒っております。
そして自分の葬式も盛大にやって欲しいと常々私に頼んで参ります。
私は死ぬほど人見知りで人と目を合わすのもしゃべるのも一日くらい考えてから、という人間であり、この自分が、おびたたしい程の母の友人知人達を前にし、喪主になると想像するだけで死にそうな気分になります。
それで自分が先に死ねたら良いと思うのですが、もし自分が先に死んで、葬式好きな母が私の葬式を盛大にやるのではと考えただけでも、また死にそうな気分になります。
私は絶対に葬式などやって欲しくはありません。できたら、そのまま灰にしてもらい無縁仏のように木の下に埋めてもらって、まるでこの世に存在すらしなかったように、すべての人の記憶からきれいさっぱり消し去ってもらいたいのです。
自分が先に死んでもきっと上から下を見て辛く、母が先に死んでも辛く、考えると死にそうになって参ります・・・
どうでも良いかそんなこと・・・うちらには関係ないさ
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鳥取の女王ミケル

鳥取男爵グレーテル

ミケルとグレーテル