今朝は早朝から、コバルトブルーの空が高く、太陽も気持ち良くさんさんと輝いています。
新月の後の空が雲一つなく晴れ渡り、心も晴れやかに明るくなります。
人間て結構単純です。
天気次第でいくらでも気分が変わります。
人間も動物さんも一緒です。
あっという間に一日が過ぎていき、夢かうつつか悪夢か、の日々が過ぎていき、もう2022年もあとわずかになってしまいました・・・
この間、Hさまのご主人さまから、「今後の展望は?」とお聞き頂いたのですが、せっかく聞いてくださったのに、私の心の中も頭の中も「無計画、真っ白、白紙、なるようになる、来るもの拒まず去るもの追わず、流れるまま・・・」という単語しか思い浮かばず、失礼をしてしまいました。
ずっと以前は思い浮かぶ夢として、
「郊外の自然の多いところにこじんまりとした小さい一軒家を建てて一人で住み、庭に来る野鳥や野性の動物さん達を愛でながら、書き物などをして生計を立てる、庭にパーティハウスを造り、そこにお客様方を招いてティーパーティをしたり、瞑想会を開いたりして時々は人と集いささやかな楽しみを持ちながら過ごし、自然にフェイドアウトするように人生を終え忘れ去られていく」
というのが小さな望みであったのですが、最近は、「このまま終わっても良いかな」と思えるようになってしまいました。
今回の人生では大きなことをする計画はなく、器を小さく持って生まれてきたようで能力もすべて最小限で抑えているため、それを超えるような危険な冒険はしないと思います。
このままネコや野鳥さんたちに餌を与えているうちに静かに死んでいくのかな、という気がします。
しかし、野心がむらっと燃えた一瞬、どこかに大きな動物さんのシェルターを作って人と動物さんと共存させたい、と願ったこともありますが、それは大きな器を持ち、計画してきている大物の方にお任せをしようと思います。
地球上の3次元の世界は仮の世界ですから、どんなに成功しても多くを手に入れても、形あるものはすべて滅び消えてしまう虚像のものに感じます。
死んだ後に天界には何も持っていけません。
しかし、自分は誰よりも欲深いと思います。
なぜなら天界に戻ったら光の宮殿に住みたい、という野望があるからです。
それは誰よりも贅沢な望みであり、傲慢で高慢極まる野心であり、天界からは次々とこれはどうだ、と厳しい試練が参り自分のおごり高ぶりを思い知らされます。
天界に近づこうとする者には、天界が遣わしたルシファーによって多くの試練が待っています。
それで天界学を学ぼうとする方々は
「天界のことを知っていくら勉強しても良いことがない、不幸になっていくだけ」
と勘違いをしてしまうことが度々あります。
それが天界が課したテストであると理解するのは、容易なことではありません。
それよりも現実的で実践的な勉強をした方が、現生的には成功に近づくでしょう。
更に他のスピリチュアルなことや、占いや宇宙ヒーリングをした方が、即効性があり俗物的で面白く分かり易いために、こちらの方がずっと人気があるのは分かります。
天界に近づこうとすると、高揚するような喜びを与えてもらったかと思うと、次の瞬間に落ち込まされたりし、上がったり下がったりと激しい試練がある為に、多くの方々は天界を疑ったり、他の世界に行ってしまったりしがちなのです。
しかし、天界の先輩である、先生方は、生徒が、遠回りしたり、間違ったり挫折したりしても、忍耐強く長い時間、上からずっと見守ってくださっています。
先生方は、生徒たちが天界のことを挫折しても、いつか戻ってくることをいつまでも待ってくださっています。
天界とは、人の中心の奥底にあります。
すべての人の内側にいる、ハイヤーセルフ、最高レベルの自分自身が天界とイコールなのです。
つまり万人がつながっているのです。
人として生まれたものは、地球を卒業できるチャンスを与えられています。
天界は人が、光のゴールに帰ることを信じて、魂の中にじわじわと染み込んでいくように理解していき納得できるまで、ずっと待ち続けてくださいます。
晴れているだけで幸せを感じる日に、ふと書いてしまいました・・・
ベランダから見える景色は東京にいるとは思えません。贅沢な田園風景の眺めです。