「手放す」
ということ。
分かっていても、人はなかなか、これが難しいのです。
よほどのことがない限り、そのチャンスは来ないかも知れません。
そのチャンスを与えるてくれるのはその人のハイヤー・セルフなのだそうです。
ただ、最初から「手放し」てもいけないようです。
魂の若い人たちは、なにも努力もせずに「面倒くさいことはやらない!」と最初からあきらめてしまっているようです。
これは「手放す」ということでなく「見放す」と呼べるかも知れません。
もちろん、人は公平に扱われますから、最初から何もせずに諦めてしまう人には、天界はハードルを下げて、別の試練を与えてくれるようです。
天界の光に近づこうとするライト・ワーカーの方々には、ありとあらゆる試練がやって参ります。
天界にライト・ワーカーが近づいてしまうと、それはその人を担当するルシファーの失敗になってしまいますから、ルシファーがありとあらゆる手を使って、その人をダウンさせ、
「天界の学びをしても良いことないよ。ほらほら、悪いことばっかり起こるだろう。やめなやめな、こっちの楽な世界においでよ。宇宙ヒーリング(=ルシファー・ヒーリング)の方がずっと分かり易いよ。効果あるよ。」
と誘惑して参ります。
その手に乗ると、下の階に引きずり降ろされてしまいます。
その世界は大衆多数の安泰なぬるま湯的な世界であり、確かに楽ではあるのですが、煩悩に満ちあふれたドロドロの世界でもあり、感情的には欲望、野心、嫉妬、憎悪、愛憎、競争・・・渦巻く世界でもあります。(韓国ドラマか昼ドラは分かり易く見せてくれますね!)
そして、天界の光を浴びているライト・ワーカーには、まるで闇夜の光に我などの夜光虫が近寄ってくるように、苦しみを持つ人たちがうようよと集まってきて光を譲ってもらいたい、または奪い取ろうともして参ります。
そのような試練が始まると、それに耐えられなくなり、ルシファーの誘惑の言葉通り、
「天界のことをやっていても何も良いことなんかない。むしろ地獄に突き落とされてしまう」
と、残念ながら、途中で挫折してあきらめてしまうライト・ワーカーの方々も多くいます。
それは残念なことではありますが、いったん、ハードルを下げてもらい、また復活した時、再チャレンジしても良いと思います。
天界から派遣されたルシファー達は、ライト・ワーカーの一番の弱点をねらって突いて参ります。
その弱点とは、たいてい、「家族の問題」ということが多いのです。
かくいう私も、家族の問題に相当、試練を受けました。
私の試練とは、最初に天使と催眠療法を始めたばかりの時に、父親が重篤な病に倒れてしまったあたりからひどくなって参りました。
こちらが遠隔ヒーリングでどれほどヒーリングを送っても一向によくなりません。
その時、
「セラピストであるのに、父親さえも治せないのか?」
という焦りの自問自答と世間の評判を非常に気にしておりました。
しかし、父親の危篤の時に突然、天界の光が降りてきて「天界のヒーリング」が完成し、死の直前に天界のヒーリングを施すことができ、そのまま父を天界に送ることができたのでした。
父親は自らの死の代償として、私に「天界のヒーリング」を与えてくれたのでした。
そして父親の死後は、向こうの世界のことを教えてもらい、死のマスターでもある、ホワイト・イーグルの昇天の儀式のことも教えてもらえたのでした。
更にその10年後に兄が重篤な病に倒れ、その時も遠くから必死に天界のヒーリングを送っておりました。
しかし、兄は余命宣告通りに亡くなってしまい、私は天界に対して、疑問を持ってしまったのでした。
どんなに天界につながっても身内の病気さえ治せない・・・
それが私の中にうずまく疑問でした。そして兄の死後、弟までも入院することとなり、毎日その世話に通うようになり、
「ネコ」
に遭遇してしまったのです。
弟の世話の時間は、それまで弟が生まれてからこの方、私の心を騒がせていた弟とは別人のように穏やかな弟になっていたため、とても静かで平穏な時間でありました。
そのあたりから、弟に掛けていた時間とお金を「ネコ」活動に注ぎ込むこととなり、弟に対する執念執着は必然的に徐々に消えていくことになったのです。
私は、それまで、「天界のヒーリングで何とかして弟を治してやりたい」
と強く願っていたのです。
天界のセラピーを受けてくださる多くのクライアントさま方は、必ずと言って良いほど、体の不調が改善し、心も軽やかになった、とおっしゃってくださいました。
それで、弟は絶対に天界のヒーリングで良くなる、と確信しておりました。
しかし、それをあざけ笑うように弟の心身は悪化していってしまったのです。
「天界のセラピストのくせに兄や弟も治せないのか」
と世間に言われてしまうのでは、と評判を恐れる自分も正直ありました。
一方、頭では弟に対して「手放そう」という意識もありました。
しかし、心の底では、なんとかしてやろう、という強い執念と執着がふつふつと沸き起こっており、弟の願うことは何でも叶えてやろう、とお金も時間も労力もすべて実家にいる弟につぎ込んでいたのです。
それが、ネコ活動が始まった途端に、それまで弟につぎ込んでいたあらゆることが断ち切られて、ネコの方に行ってしまい、強制的、必然的に実家からも遠ざかることとなったのです。
これは兄は、自らの死の代償として、私を弟から救ってくれたのでは?と思えるようになりました。
つまり、兄は、「ネコ」を使って、私の家族への執念執着を断ち切ってくれたのではないかと思ったのです。
昨晩、ある卒業生さまとお話をさせて頂き、その方も私と同じような心境にさせられていると知り、私の経験をお話させて頂きました。
自分のことを言うと、大変おこがましいのですが、
「天界は期待する者に対して、キリストと同じような究極を試練を与えてくださる」
ということなのです。
キリストは最期の時、周囲のすべてのものから裏切られ傷つけられて亡くなった。それでも死の直前に「すべてを許す」とおっしゃり天界に戻られたのです。
キリストは宗教とはまったく関係なく、すべてのもののマスターであります。
キリストは
「手放しなさい、恐れなくても良い、家族といえども個々の魂、すべてはつながっている、家族を助けようとしなくても、他のものを助ければ、それが家族につながり助けることとなる」
とおっしゃってくださっています。
すべてのものに天界の最高最善の愛と光を