最近もつくづく思うのですが、私達人間は常に天界から試されている、ということです。
絶妙なタイミングでテスト課題、問題がふっと目の前に現れて、
「この問題を解きなさい、クリアできるのか?もしできないのなら、レベルを下げたテスト問題を与えるぞ、クリアできたら次の少し難問を与えるぞ」
と試験監督の教師から常に試されている感じがします。
去年からの猫ちゃん騒動もまさにそんな感じが致します。
突然、目の前に大けがをしたホワイト・イーグルが現われ、
「このテスト課題問題をどう処理できるか?できないか?」と心の底まで見透かされていた感じがします。
実は、10年以上前、朝の通勤ラッシュ時に駅の通路でうずくまって苦しんでいる若い会社員風の男性がいたのですが、ついラッシュの人々の波に流されてそのまま行き過ぎてしまったことがあり、そのことをずっと気になっておりました。
また駅で終電間近の時間に酔っぱらい風の、またも会社員風の男性が階段から終電に間に合うように駆け下りてきて足を踏み外しそのまま頭を打ちながら下まで転げ落ち、頭を抱えて苦しんでいるのを目撃してしまいました。この時もまた内心動揺しながらも他の乗車客と同様に、見て見ぬ振りをしてしまったのです。
この2つの冷淡無視事件をずっと気になっておりました。
あの男性達は天界から派遣された私へのテスト課題問題だったに違いありません。
その時はつい「きっと誰かが助けてくれるに違いない」と自分に言い聞かせ、面倒なことに巻き込まれたくない、という思いが優先してしまい見て見ぬ振りをし、冷たい態度を取ってしまったのでした。
その時にクリアできなかった課題を今になって、猫ちゃん達の姿でより面倒で複雑な課題問題として与えらえているのだと思います。
垂水のミュリさんの目の前に突然現れた仔猫ちゃんも、まさにミュリさんにとっての天界からの課題問題なのだと思います。
しかし、このテスト課題問題は人間より小さいし、可愛いし、面倒を見るのにもやりがいがあり、ストレートに感謝されるし、有難いかも知れません。
天界もちょっと私にハードルをさげた問題をくださったのでしょう。
しかし猫ちゃん達の顔、表情、態度を見ていると、絶対にこの中に何かが入っている!と思えてなりません。
猫ちゃんの着ぐるみをかぶった何かの存在がいつもこちら側の心の底まで、また魂の中まで見透かしております。
ホワイト・イーグル王子も四六時中私の行動をじーっと凝視し、観察しているため、本当に監視カメラで見られているような気分になります。
時々は普通の猫ちゃんに戻り、ごろごろと甘えてきてなかなかの甘えん坊です。
時々、不機嫌そうに「シャー!」と威嚇し、勢いよく猫パンチ!をお見舞いして参ります。
なかなか複雑なテスト課題問題であります。
(クールな表情に「♨」がなんとも良い感じです)
しかし、人間はできることしかできないですね。当たり前ですが・・・
天界より与えられている能力の中でできるものを最大限に生かし、最初からできないものは諦める・・・
これしかございません。
私もいきなり、今、話題の将棋を覚えろ!と言われても最初から降参です。
そう思うと、自分がちょっとできるからと言って人も同じようにできるであろうと期待するのは間違っている、とつくづく思います。
たとえば我がアース・スター宇宙人の弟にも、弟ができることを最大限に褒めてあげてやらせ、どうしてもできないことは、諦めて認めてスルーのことが、互いに与えられている課題なのだ、と思えるようになりました。
「そうだよ・・・」