jupes jupesの日記

Lanai Fukudaのくだらない日々

手放し・・解放・・・



うさぎ先生が天界に昇天された後、実家から帰ってきた早々に、猫ちゃん保護団体の方々のバザーのお手伝いや、夜回り餌やりさん達と合流したり、またまた昨日は玄関前に来ているノーランズ猫ちゃんの捕獲と手術を決行、という怒涛の日々が続き、悲しい出来事を反芻したり弔っている暇もなく、かえってそれが良かったと思います。

この数日の間に、激しくエネルギッシュな保護猫ちゃん活動をしていらっしゃる方々のものすごい程の情熱を感じ、また夜の小平商店街がまるで猫島のように猫ちゃん達がワラワラと沸いて出てくる事実を目の当たりにし、衝撃を受けておりました。



ひにち薬とよく言いますが、本当に時間が悲しみを徐々に薄れさせてくれます。


有難いことにうちの家族は、「死」に対しては、とても前向きです。

亡くなっていく者も潔く早く終えるのです。

父が亡くなった時は、病院にはいっさい入らず、自宅でひと月ほど床についていただけで、静かに昇天していきました。

兄は、少し時間は掛かりましたが、余命宣告半年の通りきっかりに病院で昇天していきました。

そしてうさぎ先生も、様子がおかしくなってから1時間半ほどで天界に昇天していかれました。

死を看取った家族も切り返えが早いのです。

母は、うさぎ先生をみかんの木の根っこの横に埋葬した後、腐葉土を買って、うさぎ先生の上に山盛りに土を盛った後、すぐに知り合いのリフォーム会社の方に連絡を取り、畳からフローリングにするという、すべての床の張替えをお願いしておりました。

しかし、あの小さな1、5キロから2キロを行き来していた程の極小な身体のうさぎ先生の破壊力はすざまじかったです。

7年余りの間に障子にふすまを全部破り、畳を掘り返し、柱も噛み付くしてくださいました・・・

もともと古く全部壊したいくらいの家でありましたので、うさぎ先生のおかげで、リフォームを渋っていた母の気持ちを変えてくれたことも良かったと思います。

うさぎ先生は、頑固であった母の意識も変えてくれる働きもしました。

前回の講座の時に、生徒さま方と共に「ギルバート・グレイプ」というジョニー・デップレオナルド・ディカプリオ主演の映画を鑑賞したのですが、その中で、過食症であった母親が、最後に自らの肉体を酷使し、心臓発作(?)によって天に召され、その「死」を持って、家族の固い絆、というよりも、家族のがんじがらめの呪縛を、解放したというラスト・シーンがありました。

その母親は「死」という大きな自己犠牲を払って、家族を解放をしてくれたのです。

そこまでしなくても他の解決策があったのでしょうけれども、まるでタールを塗った縄のようにほどけないがんじがらめの家族の縛りの状態で、しかも、まだまだ可能性があり、時間という人間にとって最高に貴重なものを無駄に過ごさせてしまっていた若者たちを、母親は自らを終わらせることで、その縄をゆるめ、解放し、明るい出口を見せてくれたということなのでしょう。


うさぎ先生も、家をめちゃくちゃに破壊した後、一瞬のうちに自らの肉体を終わらせることで、古い家をそのままにしようとしていた母親の意識を解放してくれました。

もううさぎ先生の使っていたものもほとんど処分し、手放しました。

私も実家に戻る楽しみはなくなりましたが、実家に帰る度に行なっていた大掃除の手間は少し省けたと思います。


しかし、たった3人しかいなかった家族がまた減ってしまいました・・・

ご近所の人達がよくうちの庭に集まって井戸端会議をしている輪の中にうさぎ先生がちょこんと座り、会議に参加していた姿が忘れられません。

ご近所だけでなく、外にもたくさんのうさぎ先生ファンがおりました。

遠方からもわざわざうさぎ先生に会いにきてくださった方々もいらっしゃいました。

うさぎ先生、有難う。

私もはやく解放されないといけませんね。

うさぎ先生が亡くなった後で、私への最期のメッセージが聞こえてきました。

「仕事しろ!」

でした・・・。

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