昨日、聖ジョージ(St.George、サン・ジョルジュ)の生誕の日は不思議なことの連続でした。
ものすごく勝手な思い込みですが、聖ジョージはソウル・メイトだと思っております・・・。
以前からこの日は一年の中でも特別な一日と思い、勝手にいろいろ一人イベントをしておりました。
ネコ道活動が始まる前はゆかりのあるパリまで行ってきたりもしておりました。
しかし、ネコ道活動が始まってからはそれどころではなく、ただ思いだけは特別感を持って、この一日は聖ジョージに祈りを捧げております。
昨日は、こちらの「フラン君」の旅立ちの日でした。
その一日前にお越しくださったクライアントさまが、フラン君を一目見て心を揺すぶられてしまい「おたまちゃん!」と思わず呼び掛け、他の子達はあまり視界に入らないかのように「おたまちゃん」にチュールをあげたりなでなでしたりしてくださいました。
そして、予想を超えて、急きょその翌日にお迎えにお越しくださる、ということになってしまったのでした。
ご家族さまも協力してくださる、という後押しもありましたが、おうちには若く元気な2匹の柴犬ちゃん達がいることと、お片付けがまだ、という不安もありましたが、何かに突き動かされるように、6月12日にお受けされることとなったのでした。
そして、私も一緒にと、お車に同乗させて頂いている間、いろいろとお話をさせて頂きました。
「6月12日は特別な日でこの日の猫ちゃんの旅立ちは素晴らしいことです」
と、お伝えすると
「今鳥肌が立ちました」
とおっしゃいました。
そんなお話をしていると、クライアントさまのつい最近お亡くなりになられた元同僚の方がふっと私の中に入って来られ、「猫ちゃんを宜しく」とおっしゃった感じが致しました。
その方が私の中に入られる時は、必ず両足がしびれてくるために、それがサインだと分かります。その方は生前、足がずっとしびれて痛く歩けなかったようなのでした。
亡くなられた元同僚の方は、クライアントさまととても仲が良く、万感の思いをお伝えしたかったようです。
ふと、クライアントさまが、こんなことをおっしゃいました。
「今朝、おたまちゃんと言おうとしたら『おはぎちゃん』と言ってしまっていました。おはぎちゃんという名前は、亡くなった方が飼っていらしたハリネズミの名前で娘さんの誕生日の日にやはり亡くなった子です」
とおっしゃるのです。
おたまちゃんが、今度は『おはぎちゃん』になろうとしていました。
実は、この猫ちゃんは飯能市で一人暮らしをしていらした老婦人が飼っていた猫の一匹でした。
老婦人の方は急病に罹り入院先でお亡くなりになってしまいましたが、家には猫4匹と大きなオウムが残されていたそうです。
そのお宅の動物さんのことは、いつもお世話になっている埼玉県のボランティアさんがすべて後処理をされたようです。
本当に頭が下がります。なかなか一般人にはできないことです・・・
オウムは動物園に引き取って頂き、残った猫4匹を引き取られて、あちらこちらのボランティアさんに振り分けて、新たな家族探しをしていらっしゃいます。
4匹のうちの1匹は14歳の老猫ちゃんでしたが、その子は老婦人が亡くなると同時に天界に召されたようです。ボランティアさん曰く、その子を道連れにした、ということでした。私もそう思いました。14歳の猫ちゃんは、なかなか引き取りてを見つけるのが困難ですから、老婦人さんもこれ以上は迷惑は掛けられないと思われていたのでしょう。
残りの3匹のうちの一匹をこちらにお連れ頂いたのでした。
その子はボランティアさんに「飯能から来たからノンノン」と呼ばれていました。
私は、その子の顔が以前いた猫の「フラン君」そっくりであったために「フラン君」と呼んでおりました。
今度は、Hさまがご覧になると故・しんのすけ君に似ていたために「しんちゃんもどき」と呼んでくださいました。
そして今度は「おたまちゃん」となり「おはぎちゃん」に変わり・・・
すごい勢いで名前がたくさんつけられるという幸運な猫ちゃんです。
最終的に私は、
「玉緒萩」君
と命名致しました。(勝手に)
「玉緒萩」君のお宅は、深大寺のお近くの静かな住宅街で、お寺と植物園、そして森の自然の素晴らしい環境の中にありました。
新緑のまぶしい緑の小道を抜けたところにお家があり、木々を抜けてくる風が心地良く、そのお家の2階の一番風の通りの良く日当たりの良い最上級なお部屋が「玉緒萩」君の終の棲家になりそうです。
窓を開けると小鳥の鳴き声が優しく飛び込んできて癒されました。さらに窓の下の栗畑の甘いお花の香りも風に乗って部屋の中に流れ込んでくるという贅沢な環境です。
息子さまの荷物がまだ積み重なっておりましたが、玉緒萩君にとっては、それは隠れるのにちょうど都合の良いものとなるでしょう。
お子さま方は、天使系、精霊系、宇宙系の高いレベルの方々で、とても動物好きであり、くったくのないフランクな優しい方々ばかりです。
2匹の先住ワンちゃん達も無邪気で陽気で優しい子達ですから、きっと仲良くなってくださることでしょう。
玉緒萩君を挟んで、いろいろとお話をしていると、なんと玉緒萩君の左目から、涙がすーっと流れて来たのです。
これは、この子の元飼い主の老婦人とそして、亡き元同僚の方の喜びと感謝の涙に違いない、と確信致しました。
本当に素晴らしい家族の一員になれて良かったね!
玉緒萩君!
玉緒萩君は、皆に幸せを運んだ猫ちゃんです!おめでとうございます!
祝・聖ジョージ!
更に奇跡が続きました。
ここ数日、深夜にテレビをつけると必ず、「水木しげるさん」特集を目にしていたのでした。
今年は水木しげるさんの生誕100歳の記念の年であるそうで、特にNHKで特集が組まれているようです。
そして、今回の玉緒萩君のお宅は、水木しげるさんに深いゆかりのある「深大寺」のお近くであったのです。
とても偶然ではない気がして、帰りに深大寺まで送って頂き、水木しげるさんと妖怪さん方にご挨拶とお礼だけして戻って参りました。
水木しげるさんは妖怪の世界から多くのメッセージを受け取り、それを漫画という万人に分かり易い媒体で具現化し、世界の人々に知らしめた偉大なお方です。
テレビのインタビューで水木大先生は、
「読者を喜ばせようなんて思って描いてない。自分が楽しいから描いているんだ。自分が一番の読者だ。考えて描いていないよ。いつも妖怪の言葉が降りてくるんだ」
とおっしゃっているのが印象的でした。
その「降りてくる」というお言葉は、ものすごくよく分かります。
おこがましいことですが、私もよく「言葉が降りて」参ります。
それは時に妖怪さん達からかも知れません。温かく素朴な、時にいじわるな感覚はきっと妖怪さんなのだと思います。
私の感じる見解では、妖怪とは、もともと地球を支配していた王族精霊さん達でありましたが、あとからやってきた侵略者である勝手極まるわがまま人間達に対して、怒りを持った時に、美しい精霊さんが、おどろおどろしい「妖怪」と化してしまった、ということなのだろうと思います。
天使の勉強を始めた時に、「世界妖精辞典」という分厚い本を買って読んでみると、世界中で認識されている妖精とは、皆、おどろおどろしい妖怪そのものだと感じました。
妖精さんと聞くと、なんとなく可愛らしいものを想像してしまいますが、民俗学でもあるグリム童話などの中でも、妖精は、皆、結構俗っぽく残酷なものとして描かれていますね。
精霊 =(→)妖精 =(→) 妖怪
という感じでしょうか。
(この矢印 → は感情が高まってエネルギーが強くなって人間に影響をもたらすということです)
そんなことを思いふけって帰ってくると家の近くの路上に、なんとエンちゃんがとととと・・・歩いているではありませんか!
思わず、「エンちゃん!なんでここにいるの!また逃げてきた????」と声をかけると、その猫ちゃんは、
「にゃー」
と鳴いて近づいて参りました。
この時点でエンちゃんではないかも?と感じました。
なぜならエンちゃんは呼ぶと、
「わんわん!」と子犬の鳴き声を発するからです。
しかし、一応、近づいてきた猫ちゃんを抱っこしてみると、少々がっちりとして重く、尻尾は少し太めであり、エンちゃんではないかな、と感じました。
その子は抱っこまではさせてくれましたが、捕獲しようとするともがいて私の腕から脱すると塀をよじ登って帰っていきました。
どうみてもエンちゃんに瓜二つのアビシニアンの女の子でした。
抱っこまでさせてくれる慣れている外猫ちゃんはいないでしょうから、飼い猫を外に出しているのか、しかし、こんな子を見たのは初めてでした。
夢かうつつか、幻か?
うちに入るとすぐさま、「エンちゃん!」と呼ぶと、定位置のクローゼットの中で小さく「ワン」という鳴き声が聞こえて参りました。
エンちゃんは眠そうに目を開けてこっちを見ると、
「なに?外を散歩している夢を見てたのに邪魔しないで」
という顔をしておりました。
心底ほっと致しました。
しかし、なんと不思議な現象でしょう。
これも妖怪の術かな?
もしかして、エンちゃんは外に行きたくてたまらず、寝ている間に幽体離脱させて、魂が外に浮遊していたのかな?
「ドッペルゲンガー現象」
という言葉が聞こえて参りました。
魂が分離してどこかでふらついていて、第三者がそれを見るという現象です。
これも水木しげる大先生のいたずらかも知れません!
聖ジョージの生誕記念日
水木しげるさんの生誕100年の年
亡き同僚さん
亡き元飼い主ご婦人
精霊さん、妖精さん、妖怪さんの起こした奇跡の一日でした。