先程、2か月間逃亡していた「茶トラのなっちゃん」が帰ってきたという涙のご報告を頂きました!
新月の日に良かった!
ちょっとのお手伝いとずっと祈り続けていただけなのですが、なんとなくもう近くに来ていて捕まる!と昨晩聞こえて参りました。
見事に新月の日に戻って参りました!
お帰り!
12月23日は、2022年最後の新月ですね!
天界からすべての存在に最高最善の愛と光と祝福を!
本日の新月は、2022年を振り返る良い日だと思います。
私のエリアでは朝から輝く太陽が差してはおりますが、冷たい北風が激しい音を立てて吹きすさび、地上の汚濁を吹き飛ばしているかのようです。
今年も例年のごとくあっという間に時が過ぎ去っていきました・・・
また記憶がどんどんと飛んでいってしまい、なにをしていたのかあまり思い出せません。
ただ、毎日小事件が起きて、心が揺れ動かさせられ、どうしても人間的に案じたり、怒ったり、嘆いたり、悲しんだりと、させられるのですが、数日間の間には、奇跡的に解決していくという繰り返しだったと思います。
その度に天界に強く願い祈り唱えます。それが叶えられると天界に結果を報告し、深く感謝を致します。
毎日が天界からのお試しを受けている感じでした。
もちろん以前よりもそのお試しはずっと軽く楽になっているとも感じます。
天界から遣わされているルシファーちゃん達は、人の一番の弱点をねらって、これでもか、これでも天界を信じられるのか?と詰め寄って参ります。
そこで疑ったり、横道にそれてしまうと、ルシファーの思うつぼにはまってしまうことが良く分かっています。
私の場合も、今年も引き続き、ネコちゃん関連でずいぶんお試しを受けました。
しかし、この活動を始めた6年前は、もっと大きな試練ばかり参りましたが、だんだん、敵のその常とう手段的なやり口が分かって参りましたので、軽くかわせるようにはなって参りました。
たいていが、妖怪が憑依している人間が近づいてきて、ネコを餌にして、ネコ関係のことを引き合いに出し、気を引くために同情をひいたり、苛立たせたりして、困らせてくれます。
その妖怪は私がもっとも忌み嫌う、「蚊」と「なめくじ」の妖怪ばかりでした。
蚊のように低周波の音を立てながら、ブンブンとしつこくしつこく攻めて参ります。そして去った後も、全身かきむしりたくなるような嫌な気持ちだけを残していってくれます。
なめくじ人間も同様で音もたてずに近づいてきて、ねっとりじっとりとしつこく攻めてきては何も良い結果がなく、粘液を残すように嫌な気分にさせていってくれます。
その間、私は時間を取られ、仕事も手につかなくなり、無駄な時間を過ごしたことっで、体力も精神力も消耗してしまいます。
つまり、私が天界の仕事ができなくなるように仕向けてくるのです。
これがやつらのやり口だと最近、つくづく分かって参りました。
彼らの狙いは私を天界の仕事から遠ざけるということだったのです。
私の現在の最大の弱点である、ネコちゃんへの同情心をうまく利用したやり口です。
私自身、今年は大いにそのことに気付き、反省をし、もうやつらの誘導には乗らない!と強く決意をしております。
今年最後の新月の日に、私も猛省をし、過去の様々なお試しにも感謝し、さようならをして断ち切り、少しだけ上のレベルに上がり、あらたな出会いを願いたいと思います。
そして、天使を味方につけている人々が私を支えて助けてくださったことを深く
感謝申し上げます。
今年もとってもお世話になりまして有難うございます。
天界の月を司る
大天使ガブリエル、大天使ハニエル、イシス、ラクシュミー、鳳凰よ
有難う!
~天界の瞑想会にお越し頂くご予定の皆さま~
皆さまにメールをさせて頂いていたのですが、送れていませんでしたら、と思い、こちらで再度お知らせさせて頂きます。
~クリスマスの日に天界の瞑想会にお越しくださるご予定の皆さま~
皆さま、日頃大変お世話になっております。
年末のお忙しい中で失礼致します。
この度は、こちらで開催させて頂きます、
天界の瞑想会にお越しくださるというご連絡を頂き、心から感謝申し上げます。
ささやかな会ですが、楽しくお過ごしくださると幸いです。
実は私の方が、先日、歯の大きな手術を受けてしまいまして、
まだ顔全体が腫れておりまして・・・とってもお見苦しく申し訳ございません。
どうぞ見なかったことにしてください!申し訳ございません!
・・・・
そして当日ですが
11時の開催ということで中途半端な時間で恐れ入ります。
朝の11時から学園坂商店街の
「ぶらんこ」というお店の入り口を開けておきますので、奥まで入って頂き
スリッパを履いて2階にお上がりくださいませ。
現在、5匹の大人の大人しいネコ達がおります。お邪魔にはならないと存じます。
1匹だけ、「楽ちゃん(ラクシュミー)」ちゃんは甘えっこでギャーギャーと鳴いて
寄ってくると思います。どうぞよろしくお願い致します。
瞑想会では何かリクエストがございましたらおっしゃってくださいませ。
リラックスできる服装でお越しくださいませ。
内容は、天界の瞑想と去年に引き続き、ホワイト・イーグルの瞑想
そしてキリストと聖母マリアにつながる瞑想などをさせて頂きたく思っております。
どうぞどうぞ当日は宜しくお願い致します。
遠方よりのお越しを恐縮でございますが、お気を付けてお越しくださいませ。
感謝申し上げます。
天界の最高最善の愛と光を
本日、ゆうちょ銀行に記帳に参りましたら、
どなたからか10,000円のご寄付がありました・・・
なんと尊いことでしょう。
申し訳なくも有難く感謝に堪えません。
ネコちゃん達のフードに使わせて頂きます。
心から
感謝申し上げます。
天界の最高最善の愛と光を
時々、ふと亡き父のことを思い出します。
父は日焼けした肌を持ち、目立つわし鼻で、まるでネイティブアメリカンの長老のような外見をしておりました。
そして私が思い出す限り、昔からじいさんのようでした。
わざとぼろをまとい、苦行をしている僧侶のようにいつも苦々しい表情をしておりました。
わざと貧しいなりをしていて、自分を卑下しているようで、家族が皆嫌がるほどでした。
ある時、私も社会人になって家を出てから、実家に帰って玄関を見ると、革靴の底が抜けたところにガムテープを張っているものをしまい、みじめに思い、靴を贈ったものの、生涯包装紙を取ることもなく大事にしまってあり一度も足を入れたことがありませんでした。
皮肉にも、自分の葬儀の時に兄がその靴を履いてみるとぴったりと合った為に、初めて兄に履いてもらったのでした。
ピカピカおろしたての靴で見送ってもらい、満足したのでしょうか・・・
もしかしたら生涯、自分を演出をしているかのようだったかも知れません。
しかし、傾聴の達人といえば、我が亡き父でした。
会社を引退後は家に居て、新聞をひなが眺めながら、弾丸のように連続トークをする母の相槌を打つのが父の役目でした。
父と母はまるで正反対の性格であり、そこがかみ合っていたのかも知れません。
母があらゆるところに話しが飛び、その中に一部、ちょっとだけ重要な話がまぎれ込んでいます。
それをハ行でかわしていたのです。
は~ (感心しきりの時)
ひ~ (ひどい話の嫌悪を表す時)
ふ~ (同情を表し、ため息をつきながら)
へ~ (感嘆し、ものすごく驚きを表す時)
ほ~ (さらに感心しきり、最上級の驚きを表す時)
そんなテンポの良い対話を一日中繰り返し、
後日
「大事なことを忘れて!なんにも聞いてなかったじゃない!このくそじじい!」
という母の怒声が響き渡ります。
私はそれがいつもコントのようで面白く、観察していたものです。
なんとなく、そんな父親に自分も似てきたような気がし・・・
「教えることは、教わること」
「学びたいなら、教えなさい」
と英語学の恩師である教授が教えてくださったことがあります。
その教授は英語学では権威のような方で、著書も数多く、偉いお方でしたが、フレンドリーで親しみ易く、世間知らずで教養も知識も浅い私を叱咤激励してくださいました。
本当にそのお言葉通りでありました。英語を教えることとなった時、これまでになく授業準備の為に、ありとあらゆる英語テキストを読み返し、生徒に突っ込まれないように、また退屈されないようにと面白ネタも拾い集めたものでした。
そのおかげで勉強嫌いで出来の悪かった私が少しだけ成長できた気が致しました。
小学校に入る前は、周りから神童だとか言われて調子に乗り、近所の子供を集めては朗読会をやっていたにもかかわらず、小学校に入学した途端に、鬼瓦のような面をした定年間近な老女性教師に「低能、無責任」と通信簿に書かれて撃沈し、それ以降はすべての自信を無くしてしまい教室の隅で身をひそめるのが常になってしまいました。
それでもLD系(学習障害)があったと思われる弟に、忍耐強く同じことを何度もかみ砕いて教えることを続けたことと、2学年上の兄が小児喘息で学校にいけないため、兄の教科書を読んで兄にまで勉強を教える真似をしていたことが、後々役に立った気がします。
また中学生になると授業の合間で、勉強についていけない何人かのクラスメートを集めて補習授業のまねごとをしておりました。
私自身は優等生の部類には入っていなかったのですが、そのクラスメート達からは尊敬を集め、どうやったら勉強ができるようになるか、と何度も訊ねられました。
その時、実は、過去世からの影響か、魔術やおまじないにはまっており、家にある常備薬を全部混ぜ合わせ、食用オイルを入れてからおまじないをし、「この頭のよくなる薬を飲めば良いよ」と弟やクラスメートにお披露目しました。
すると皆、いっせいに挙手してどうしても欲しいとせがんで参りました。
それを処方?!された子達は皆、見事に成績がアップしていったのです。
思い出すと冷や汗ものですが、幸運にも誰も健康被害はなかったようです。
たぶん「プラシーボ効果」という信じ切ると効果が出るというものでしょう。
皆、催眠に掛かったように集中力が増して成績が上がったようです。
またアルバイト先の方に頼まれた家庭で家庭教師をしていた時も、中学生の女の子(シングルファザー家庭でお母さんがフィリピン人でそのお母さんがお父さんと女の子3人を置き去りにして、故郷に逃げ帰ってしまったという気の毒な家庭の子でした)で成績がクラスで最下位で低迷していた子が、妹さん達のお世話を良くして偉いね、と褒めていると(これは奇跡に近いのですが・・・)全教科でクラスで10番以内に入ってしまったとのことでした。その子は放置に近い環境であり、愛情不足もあり、勉強に集中できなかっただけなのでしょう。
また英語の教員になった時、英検担当になり、皆を合格させるという責任を負わされました。その時も皆をひたすら励ましていただけなのですが、見事に全員が合格し、担当していた3年間連続、神奈川県で英検合格率一位の学校となり表彰されていました。
更に、私自身がまったくできないにもかかわらず、高校3年生の英文タイプの授業担当になってしまいました。
その時も私は、皆にお手本を見せることができなかった為に、手拍子を叩き、リズムに合わせてタイプを打ってください、というだけの授業をしておりました。
それでも生徒達はとっても真面目で努力家の子達ばかりで、やはり全員合格となり、「先生指導を有難う」と涙ながらに生徒達に抱きつかれた時は、ちょっとうしろめたさを感じてしまいましたが、有難いことにそんな涙の祝賀に何度も居合わせて頂きました。
ある日、ちょっと発達障害系の生徒に突然「先生、教えるの上手だね!」と叫ばれたことがありました。単純で正直な宇宙系な子は表現がストレートです。
そこで起きたのが、20歳も年上の主任の男性教諭からの妬みとやっかみの嫌がらせでした。
「いい気になるなよ」と、個室に呼び出されて脅されたことも度々でした。
そんな人が、生徒の前では「アーメン」と信心深い慈悲深い面持ちで十字架の十字を切るのです。
その教師は優秀なミッション系の大学を優秀な成績で卒業したという主任でした。
しかし、実の当人は新興宗教2世でどっぷりと別の信仰をしていたのです。
優秀な人が素晴らしい教師になるとは限りません。
もともと優秀でなんでも分かる人は、分からない人の気持ちにはなれず、
「なんで分からないの?こんなに簡単なのに」
となりがち、かも知れません。
むしろ、勉強が苦手で、できないからこそ、できない人の気持ちが良く分かり、自分が分かりたいから、難しい問題をかみ砕いて、優しくひとつひとつじっくりと自分が納得しながら伝えられるのだと思います。
そんなことで、今もほそぼそと教える仕事をさせて頂いております・・・
来年もまた天界学をこっそりひっそりと続けさせて頂きます・・・