12月26日は、キリスト教では”Boxing Day"と呼ばれる日だそうです。
クリスマス・ツリーの下に置かれていたいろんな人達からもらったプレゼントの箱をいよいよ開けるというワクワクの日です。
でも、それを守っている人はほとんどいないと思いますが・・・
そして今日は午後2時あたりから新月が始まりました。
更に部分日食もあるという、盛りだくさんな日ですね。
2019年最後の新月です。
天界の月を司る、大天使ガブリエル、大天使ハニエル、イシス、クレオパトラ、ラクシュミー、鳳凰よ、2020年の新しい年に向けて負のエネルギーを払拭し、リフレッシュさせたまえ!
強く強く願いましょう。
私のクリスマスは例年「足るを知る日」と決め、この世で一番貧しくみじめで見捨てられて悲しい人達や存在達を思い共に憂い慈しもうとしています。
ちょっとキリスト教っぽいですね。
これはきっと前世から来る思考パターンだと思いますが、世の中が最高に鮮やかで豊かになる日に、最低なものの気持ちを知らねば、と思ってしまうのです。
単に偏屈でへそ曲がりで天邪鬼な気質もあります。
かなり以前ですが、大田区に住んでいた時、駅の近くに多くのホームレスの方々が寝泊まりしているのを見て、クリスマス・イブの夜に、私は「自分は暖かい部屋にいてなんと不平等な、あの方々にも豊かさを分けなければ・・・」という取り憑かれたような思いが襲ってきて、寒空の下にいるホームレスの方々にいろんなものを配りに行ったことがありました。
あの瞬間から私の中にどなたかが棲みついた気が致します。
なんとなくマザー・テレサのエネルギーかな、と思います。
そして、昨夜も最低に貧しい食事をしてから、真夜中から猫の捕獲に行っておりました。
クリスマスの夜にこんなことをしている人間はそうそういないだろうと、マゾ的にほくそ笑んでおりました。
そして、また早朝、鬼婆さんが出現し、「窃盗犯!不法侵入!強要罪!器物破損罪で訴える!」と口角から泡を飛ばしながら私を大いに怒鳴りつけて参りました。
聖なる日に、鬼婆さんが現れたこともまた何か意義を感じます。
なんとなくその鬼婆さんは大天使ミカエル像が踏みつけている鬼に見えました。
鬼婆さんには悲哀を感じます。
今朝は、以前から気になっていた舌を出しっぱなしの黒の雄猫だけがかかりました。
目の状態も悪く毛並みも悪く、きっとあちらこちら悪いのでしょう。
でもかなり体重が重く、ご飯だけはしっかりともらっているようですので、抗生剤だけ打ってもらうことにしました。
まだまだ途方もなく先が見えない程の道のりです。帰りにあちらこちらで野良ちゃん達を見掛けてしまいました・・・
これをたった一人でやって行くのはもう本当に限界だと感じます。
新月の日に世界中の人が動物さん達のことを、もっと思いやるようになることを願います。
可哀想な野良犬や野良猫が一切いない地球になって頂きたいものです。
ちなみにクリスマス・イブの朝は玄関前にアライ・グーマ君がこっそりと現れて猫ちゃんフードを全部平らげ、おまけにしっかりと手を洗って去っていました。
よしよし、いいよ、全然問題ないよ、と見えない後姿に声を掛けてあげました。