母というものの存在を考えていた時、ふと
現在の
「すべての女性の中には聖母マリアの要素がある」
すべての男性の中にはイエス・キリストの要素がある。
という究極のメッセージが参りました。
それは良い部分も悪い部分も持ち備えている人間的なもの。
聖母マリアとイエス・キリストはすべての人類の象徴的なもの、と思えて参ります。
=イエス・キリストの母
良いと感じるところを列挙すると、
「大事に思うものに対して情熱的で慈悲深く優しく同情心にあふれ世話好きで行動力がある、信念が強く忍耐強い辛抱強い底力がある、正義感にあふれ悪を憎み屈せず不正を許さない、美しいもの可愛いものが好きである」 などなど
反面
「愛するものを守る為や目的の為には手段を択ばない、嫌いなものはとことん嫌いである、頑固、嫉妬深い、執念深い、怒りが強い」
などなど
私が感じたキリストの良いところを列挙すると
「正義感が強く不正を許さず悪に屈しない、信念があり情熱にあふれている、不憫で可哀想なものには慈悲深い、集中力にすぐれ行動力がある、忍耐強く我慢強い、カリスマ性にあふれている、信じることを伝える能力に優れている、統率力、リーダーシップ力、カリスマ性がある、才能豊か」
などなど
反面
現代でいう、発達障害系か、ボーダー系か、または本当に精神疾患を持っているような(聖書の中でも描かれているイエスの行動と性格では疑わしきところは、旧アスペルガー症候群、パーソナリティ障害、双極性障害、そううつ病、パニック障害 かな?)
などなど
この母と息子は、現代人の中にも息づいている良いところと悪いところを両方を持ち合わせていると感じます。
我が両親と兄と弟を見て観察していても、感じるところ、思うところがあります。
きっとすべての人の中に同じ要素があるのだとつくづくと感じる今日この頃です。
お隣のバラが侵入してきています
(かくいう私も超越発達障害)