jupes jupesの日記

Lanai Fukudaのくだらない日々

過去回帰の日々でした・・・


2021年もいよいよカウントダウンに入って参りました。

 

思えばあまりにもあっという間の一年だった気が致します。

 

でもあまりにも多くのことが起きた為に3年分くらい長い一年であったような気も致します。

 

2021年もここ4年間の例にたがわず、猫騒動に巻き込まれた日々でした・・・

 

2022年は、もう猫には振り回されない!と言いますか、猫に関わる人達に振り回されることなく芯をより強くしよう、と決意致しました。私の動物さんへの過剰な同情癖という弱い部分につけ込み、ルシファーが入り込んだ人々が、私を振り回し、もてあそび、嫌な仕事を全部丸投げして去っていきます。そういうことは、もうさせない!と強く心に決めました。来年は天界の本業を9割にし、猫ボランティア活動は1割にしよう!と決意しております。

 

(先日から吉田松陰の呪いを再認識するような出来事がありました・・・思い返すと猫活動を始めてから6人のY田さんという方とやり取りを強いられています。Y田さんは最初は、親密な感じで近づいて来て懐に飛び込むようなアプローチを見せ、次第に、私を否定するようになり、最後は激しくバッシングし、後ろ足で砂を掛けるように去っていくのです。先日、あるY田さんは市役所にわざわざ赴き、私の会が依頼者に金銭を請求している、また譲渡金まで不当に受け取っている、と通報したというのです。市役所の方から、これは真実ですか?と質問され、卒倒しそうになりました。。。この丸5年間、一円すら依頼者から頂いてもいない、譲渡金はもちろん、掛かった費用だけ頂いている、と身の潔白をお伝えし、すぐに納得してもらいましたが、実の実、それを通報したご本人、Y田さんが、猫一匹につき、3万円から5万円の捕獲料を依頼者に請求し、混乱を招いている、ということをあちらこちらで聞いていました・・・。そして今は、Y田さんへの苦情通報が多くなり、市役所は、どうぶつ基金の無料チケットをY田さんに渡すのを止めているそうです。その腹いせに私の会が違法なことをしている、と訴えに行ったのでしょう。。。私はお仲間の告げ口は致しません・・・情けない・・・もう吉田松陰の呪いは解除します!)

 

 

今年は、猫のことを通じて過去を振り返る時間が何度もありました。

 

特に11月がそうでした。

 

仔猫が2匹、ある公園の近くに現れたから、なんとか保護して欲しい、という依頼の電話があり、その仔猫を捕獲保護するために、奔走した一か月は、特に過去を振り返るという時間をたっぷり頂いておりました。

 

一か月後、仔猫は結局、一度たりともかげも形も見掛けすらしませんでした。

 

まるで、精霊のようにふわふわと神出鬼没に現れ、幻のように消え去っていったかのようです。

 

姿を現したのには、まるで私を誘い出すような目的があったのでしょうか・・・

 

仔猫を捕獲しようとした夜がちょうど満月であった為、私は、誰もいない公園の築山の頂上で、一点の曇りもない深いインディゴブルーの夜空でちょうど頭上に輝く黄金の満月を仰ぎ、思う存分大声を張り上げ、鳳凰を呼び、天界の無限の恵みを頂くワークをすることができました。

 

昼間は、仔猫の足跡を追って、公園中を調査し、駅の方まで足を伸ばし、仔猫情報を仕入れようとしておりました。

 

その際、懐かしい様々な記憶がよみがえって参りました。

 

実は、私は高校生の頃、3年間通学で使っていた駅がそこにあったのです。

 

また通学路は、その仔猫がいたという玉川上水沿いでした。

 

そこを松本さんとご一緒にあちらこちら歩いている間に、駅前のかつて本屋さんであったところも通り掛かったのでした。

 

思い返すと、3年間、ほぼ毎日のように立ち寄っていた小さな本屋さんがそこにあったのです。

 

同級生情報によるとその書店は、著名な作家「松本清張」の息子さんが経営している本屋さんであったそうです。

 

私など、その本屋さんで厚かましいことに、何時間も漫画や雑誌や単行本を立ち読みさせてもらっていましたが、いつもレジに立っている、息子さまと思われる中年男性は、長時間居座っている私をとがめることもなく、まるでそこにいないかのように存在感を消し、地味に静かにたたずんでいらっしゃいました。

 

その書店で星新一大先生のショートショートにもめぐり逢えたのでした。

 

もちろん、その書店では学校で必要なあらゆる参考書も購入させてもらい、高校生時代はなくてはならない書店でした。

 

現在は、入り口のシャッターが閉じられており、ただの空き家になっているようです。

以前は心躍るような新刊の雑誌などがところせましと飾られていて大きく華やかに見えた本屋さんの入口は、実は小さな間口だったのだな、と懐かしさの中に寂しさも感じておりました。

 

その書店の脇になぜか、おしゃれなベンチが置かれており、真夜中に公園内で捕獲器を設置した後、そのベンチでぼんやりといろいろと回想しながら、朝日が昇るまで瞑想をするように静かに過ごしておりました。

 

しかし、自分はなぜにここの高校に通っていたのだろう・・・と心中に問いておりました。

 

高校受験の時、多くのクラスメートがこの私学を落ち止めにするから、一緒に受けようと強く誘われて、学校のことを調査もすることなく、意志もなく、皆と一緒に受けただけ、な感じでした。

 

公立高校の方も、やはり押しの強いクラスメートが親友だから一緒の高校に行きたい、だから一緒に受けよう、とかなり強引に誘われ受けただけでした。

 

受験前に、ちょっとだけ通っていた塾の講師のお話では「あの公立高校は名前さえ書けば受かるよ」と言われていたほどの、お気楽高校だったと思います。

 

その受験の際の名前記入に関して、今でも実はトラウマがあり、お恥ずかしいお話ですが・・・。

 

白状をすると。。。

 

受験用紙に当然のごとく、自分の名前を書く欄があり、そこに「ふりがな」とあったところに私は確か、「カタカナ」で自分の名前の振り仮名を記入してしまったのです。

(どちらか忘れてしまいましたが、フリガナ、と書かれていたのに、ひらがなで書いてしまったのかも知れません・・・)

 

「ふりがな」とあったら、「ひらがな」で「ふりがな」を記入しなければならなかったところを、「カタカナ」で記入してしまった為なのか、または点数が合格点に到達しなかったのか、その高校から見事に蹴落とされてしまいました。

 

きっとこいつは名前すら書けない奴とみなされたに違いありません。

 

(名誉のために書いておきますが、私は、中学の時は規模が小さい学校でしたが、常にトップ20人の中に入っていたはずなのです。受験前に急にアホになったのでしょうか・・・)

 

誰にも話したことはありませんが、自分の中で、今でもトラウマであり、そして密かに笑い種にしております。

 

それで、名前さえ書けば受かると言われた公立高校に落ちて、10人位が受験したその落ち止め私立高校に、私一人だけが通う破目になりました。

 

私以外は全員、そのふりがな高校に受かっていました。ヨカッタヨカッタ

 

しかし、自分の意志とは関係なく、通うことになった私学の方が、そのふりがな高校よりもちょっとだけ、偏差値がマシであった為に、周囲からは「そこにいけて良かったね」と言われましたが、自分には感慨も何も起きませんでした。

 

しかし、私に異常に依存執着していたひとりのクラスメートがふりがな高校に行くことになり、離れることができてほっとしていた気がしておりました。

 

入った私立高校では、あまり話の合う同級生がおらず、孤立していましたが、半分の生徒はとっても優しくおっとりとした生徒が多く、心配りも気遣いもある生徒ばかりでした。それで当時から、動物さんにしか興味のない奇人変人であった私に対しても特別扱いをすることなく、皆が穏やかに受け止めてくれました。

 

あまり(失礼ながら)賢い生徒達はいませんでしたが、私も好んでいた洋楽や洋画が好きなクラスメートが多く、それらを理解するために、共に英語だけは頑張ろう、といっていた気がします。

 

思い出すと、通学に時間が掛かる高校には、超怠惰で引きこもりがちであった私はあまり通っていなかった気がします。学校でも図書館にこもっていたり、どこかでぼんやりとしていて、あの3年間は、自分が自分でなかったような、記憶がかすかであり、あいまいで、もしかしたら、宇宙人かなにかに魂を乗っ取られていたかのような、または亡くなった人達に憑依されていたような、奇妙な3年間でした。

それでも、通学途中で立ち寄った場所で、「遠藤周作大先生」のワークショップに出くわすこともあり、やはり必然の日々であったと思います。

 

 

2012年に、田園調布のセラピールームを畳んだ後、今度はどこに引っ越そうか、天界の大天使ミカエルに訊ね、東京の地図を広げ、何度も何度もミカエルに訊くたびに「コダイラコダイラ・・・」と聞こえた気がしたのです。

 

東京の23区内も考えていたのですが、何度訊いても「コダイラ」と返ってきた気がしたのです。

 

それがなんであるのか、ここに来なければならなかった理由は、いまだに分かりません。

 

ただ、高校までここに強制的に来させられて、今回も住み続けることとなった理由はいつか分かるのだと思います。

 

西宮時代は、市のマークの六芒星に呼ばれ、震災後の浄化をさせて頂きました。

 

田園調布の時代は、渋沢栄一氏から呼ばれ、古墳の高次元宇宙界エネルギーを頂き、キリストと聖母マリアのメッセージを受け続けておりました。

 

今回の小平は、精霊猫に呼ばれたのでしょうか・・・猫に関しての活動での影響力は結構大きいものがあります。しかし、いまだに疑問を天界に問い続けております・・・

 

もしかしたら、高校の3年間があまりにも怠惰であった為に、そのリベンジをさせられているのかも知れません・・・・

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エンちゃん&ジェルちゃんに会う為だよ