以下も先日、書き掛けていたものです・・・
今日は自分の住みかのこともできました・・・
洗濯層のクリーニング。
時間は掛かりましたが、おかげさまで10年選手の洗濯機がよみがえりました。しかし、漂白剤の刺激臭がなかなか消えず困っております・・・
衣替え。
少ない衣類をちょっと移動しただけです。
実は、この間、かなりの服を手放しました。
ほとんどの服が同じ方から頂いたお下がりです。
その方は、身内の方がアパレル業界にいらっしゃるということで、ご自宅に大量の衣類がほとんど着ずにしまってあり処分に困るそうで、いつも譲ってくださっていたのでした。
その方は、白黒兄妹のご家族になってくださったご近所の方だったのですが、ある出来事が、ついに、私の逆鱗に触れてしまい、その方のエネルギーが残るすべてのお下がりに「さようなら」をさせて頂いたのでした。私は許容量を超えるほど怒ると言葉が出なくなって無言になり、それまでのすべてを瞬時に終わらせてしまうのです。仏の顔も3度、いえ10度くらい忍耐をした後です。まだ心が狭いのです・・・。
その出来事というのは、その方の放った一言でした。
(家族のことがたいへんで)「猫をまた逃がしたけど、猫なんかにかかわっている暇なんかない」
「なんかに」
とおっしゃいました。
その言葉で培ってきた関係が終わりました。
「あなたの受け入れた猫はあなたの家族ではないのですか?」
と問いたくなります。
その方は、譲渡契約書にご記入いただいた時に、絶対に脱走させない、脱走させたらペット探偵に依頼する、という文章を熟読して納得し捺印までされたにもかかわらず、です。
その方は、譲渡したその夜から白黒兄妹を交互に何度も何度も脱走させ、こちらがその度に赴いてチラシやポスターを貼り、捕獲器を仕掛け、つかまってもまた脱走させてしまい、その都度、「ここにペットゲートをつけてください」と願ってもなんだかんだ理由をつけて無視をし、そしてそのペットゲートがない場所から、また逃げられ・・・数えてみると兄妹交互に脱走させた合計は6回にも及びました。最後はようやくペット探偵を頼んで現在、また逃げられた妹の方を捕獲中だそうです。
(いったいどういう意識なのか・・・お譲りしたこちらが悪いのですが・・・相性も悪かったのですね・・・猫ちゃん達はその家が嫌だったのですね・・・)
そしてこちらとやり取りをしている電話口で、その方の放った一言が、私の中で終わり、を告げました。
(意識が足りない、というより人間的におかしい方々なのかも・・・)
(あなたなんかに、猫を飼う資格はない!)
そして「捕まったら兄妹ともお返しください」とだけお伝えしました。
その方が今まで、たくさんのお下がり服を譲ってくださいました。
数えてみるとなんと33着・・・それらはブランドの服で独特のデザインであり、素敵ではありましたが、自分で選んだセンスのものではないため、着るのが難しくほとんどが吊るしたまま、クローゼットにプレッシャーを与えていたことが判明しました。
ちょうど資源ごみの日が近づいておりましたので、ごみにはならず、どこかのどなたかが着ることになるに違いありません。
世の中で
「断捨離」という言葉が定着しているようです。このネーミングは素晴らしいのですが、私には少々きついなと思えるのです。
断って捨てて離れる!という言霊が非常に強く、きっぱりと潔い決意が感じられて良いとは思うのですが、それまでその「ひと・もの」に宿っていた魂を切り捨てる!というのは、少々気の毒に思えて参ります。
それは過去にその人にとってなにかしら必要であったからやってきて、しばらくその方のもとに居て、お互いに愛着と愛情もあったはずなのです。
すべてのものにはエネルギーがあり、魂が宿るそうです。
それまでそこに居てくださったことに感謝し、手放し、過去や、そのものから卒業し、そして新たなものを受け入れてステップアップをする、というプロセスの方が良いと感じます。
私は勝手に音韻をマネして「感謝・美」と名付けております。
捨て去るのではなく、「手放す」時に、「今までありがとう!さようなら!」と声を掛けて(ごみとして)葬ります。
そしてそのものにつながっていたエネルギーと自分を切り離します。
いままでありがとう!
服さん達!
ウエルカムバック!白黒兄妹!