jupes jupesの日記

Lanai Fukudaのくだらない日々

天界のセラピー


「その人の背負っている十字架を半分持ってあげなさい。それがカウンセリングである」

イエス・キリストから言われた気がしました。

なるほど、良い言葉だな、とちょっと感動致しました。

たしかに人生の重い問題を人に話すだけでも肩の荷が軽くなったような気が致します。

天界のマスター達は人の抱えている問題に対して簡単明瞭にずばっと答えをくださいます。


私はクライアント様方から相談をされると、天界のマスター達にうかがう直前まで、一人でその問題を悶々と悩みます。

私自身は人間的な経験が少ない為に、人の重たい問題をうかがうと自分であったらどう対処するだろう、どういう風に考えるだろう、と何度も繰り返し考えながら思い悩みます。

しかし、いったんセラピーが始まると自分自身の自我や思いや、自分の経験などは瞬時に消え去り、天界にうかがった瞬間にマスター達は答えをくださり、私の口を通じてクライアント様にお伝えすることとなりますす。

瞬時に答えが来るのはとても気持ちの良いもので、そして自分の口を使って話しているものの、客観的に聞いているといつもマスター達のお言葉には感心してしまいます。

問題に対する答えが一刀両断でとっても気持ちの良いものなのですが、それを聞いた方がそれを信じて実行するかどうかは、その方の決断すべてに掛かっております。

人間はそうそう簡単に今まで抱えてきた問題を手放すことはできません。

いろんなものを手放すという勇気が必要です。

でも天界のマスター達から来る答えは最高最善の答えです。それに従って行動していけば、結果はベストな方向に行くのは間違いがないはずです。

それでも、人はなかなか行動ができないようです。そのお気持ちもよく分かります。

変化を起こすことに恐怖を持つこともあるでしょう。

今までのパターンを変えること、環境を変えること、引越しをすること、新しいことにチャレンジすることなどに対しては、経済的な心配、家族からの反対、世間体、常識…など、あらゆるものが邪魔をします。

でも天界のマスター達は言います。

「生きている間は人間は自由である。死んでしまったら自由はない。生きている間にしか魂の成長はできない。人に迷惑を掛けたり悲しませたりしない限りは、なにをしても良いのである」

本当にそうだと思います。

今、実際に目の前にあって見えていることが実は、天界から観たら「単に我々を磨き学ばせてくれている訓練学校の中の設備みたいなもの」であると気が付いたら、なにもチャレンジもせず、冬眠中の熊さんのようにじっと動かずに身を守るだけで終わってしまったら、終わった後、どんなに地団駄踏んで後悔しても遅いのです。

天界からのアドバイスが、とても心地良くワクワクとするようなものであったとしたら、それは真実のものです。

考える前に迷わずに天界からのアドバイスを信じ切ってゆだねて行動してしまえば、すべてがスムーズに進み、思い悩んでいたことがなんと無駄なことであっただろうと気が付くでしょう。