jupes jupesの日記

Lanai Fukudaのくだらない日々

満月の日に


天界のマスターであるイエス・キリストから満月の日にメッセージをくださいました。


・この世の一番貧しきもの、弱きものの中に聖なるものが宿る。
それらを慈しみ手を差し伸べることで、天界への道が近づく

・物乞いの中に我キリストが宿る。野良猫や野良犬は聖フランチェスコが守護しその中に聖獣(Divine mate)が宿る。それらのものに心を尽くすことで魂の浄財となる。


・何事も切るということは、負のエネルギーを断ち切るということで良いことである。負を断ち切り、新しき道を切り開くがよい。

と聞こえて参りました。

ところで最近、私はなぜか毎日、近所の野良猫様に餌遣りをしております。

猫嫌いの方々もおり、きっと嫌がる方も多いかと思います。無責任なことはするなと言われそうです。しかし、私はお腹を空かせている生き物様達を見て見ぬ振りをするのは、もっと苦痛なのです。お腹を空かせているものにちょっとだけなにかをするのは別にいけないことではないと感じます。もちろん野良猫様は星の数ほどもおり、ちょっと何かをしても焼け石に水だとは思います。できたら、避妊手術をすべての野良猫様にして差し上げたいと願います。

先日、またそっと近所の団地の猫様方にキャット・フードを提供していたところ、一匹の真っ白いまだ生後数か月ほどの若い子猫様が近づいて参りました。フードはそっちのけで、私の手にしがみつき、じゃれつき、指に吸い付いてきたり、手を甘噛みしたりなめたりと、普通ではあり得ない程甘えて参りました。野良猫さんとは思えない程の甘えぶりです。あまりの可愛いらしさといじらしさに感動しておりました。

振り切って帰ろうとするとずっと後をついて参ります。この方を連れて帰りたいという欲求に駆られましたが、その思いを振り切って泣く泣く帰って参りました。思い返してみると、あの猫様は「井伊家の招き猫?ひこにゃん?だったかも知れない」と思えて参りました。

招き猫の始まりのいわれは、井伊家の菩提寺である世田谷区の豪徳寺で一匹の白猫が大雨に打たれていた井伊直孝をお寺に招き入れたことから始まったと言われております。

その後、その猫様を探しに同じ場所に何度も参りましたが、一度も姿を表してくれません。

本当にまぼろしのような出来事でした。

私にとってホームレスの方々もとても気になる存在です。

儒教や仏教またはキリスト教を強く信じてしたがっているの国の人々は、物乞いの方々に多く施しをして、自らの魂の清め高める浄財をしていらっしゃいますね。動物さん達に対してもとても敬意を払って大事にしている感じが致します。
インドなども象さんなどの聖獣をとても崇めて大事にすることで、神に捧げものをしたと同じような行いとされているようです。

それらの国の方々に比べると日本人は目には見えないものに対しての敬意があまりないように見えます。神社仏閣には初詣やお参りに行くし、教会で結婚式を上げたりするのは、ご利益の為だけでしょうか。

動物さん達に対しても、人間至上主義な感じで、下に見ているか、または単に可愛いもの見ているような気が致します。

本当は、ホームレスの方々の中にはキリストが宿り汚い変装をしているだけなのです。

そして動物さん達も魂のレベルは人間よりもずっと高いのです。

天界では動物さん達に対してはDivine Mate聖なる友人と呼んでおります。

でも、最近は猫ちゃんブームで猫を保護する活動も盛んで素晴らしいです。

猫さまなどのDivine Mateを崇めて大事にすることで人の魂も清まり、レベルが上がっていくそうです。

それらの特典として、福も入ってきますので、お金に困らなくなり、健康もいただけます。

これは本当です。


満月の日にぜひそんなことに思いを馳せて頂きたく思います。