あっという間に、今年も残りわずかになってしまいました。
知らないうちに11月に・・・
世間とは隔離されている日々で、世界はにぎやかそうですが、静かな11月を迎えました。
激しい激動と変化に富んだ10月が過ぎ、11月に入った途端にエネルギーが変わった感じが致します。
毎年、11月に入ると思うのですが、自分の誕生月であるこの月は自分に似ている、ということです。
華やかなイベントのあるゴージャスな10月と12月にはさまれて、特に大きな目立ったところがなく、地味にそして穏やかに潜んでいるひとときという感じです。
台風もなく気候も穏やかで、寒すぎず暑くもなく、苦手な蚊もいない、そして、早く日も暮れる為に、餌やりも早く済むという11月。
晩秋まで気候に耐えて実った果物も豊かで嬉しい限りです。
一年中、11月だったら良いのに、と思ってしまいます。
余談ですが、
自分の猫活動のペンネームは
「いい なのか」
なのですが、これは11月7日にかけています。
またセラピーネームは
「Jupes ジュペス」
なのですが、これは過去世の古代エジプトの時代にたぶん、ですが、宇宙の高次元の存在とつながる神官に仕えていた書記官をしていた時の名前であった気がする、というところから由来しています。
今世でも、子どもの頃の変なあだ名が「ゆっぺ」と呼ばれており、とても嫌であったのですが、アラビア語では「J」の音が「ヤ行」になり「s」は飛ばされるようですので、過去世の名前が、あだなになって呼ばれていたのかな、と思います。
またもうひとつのペンネーム
「福多 ラナイ」
とは、私のどうでも良いショートショートを読んでくださった方が、鼻先で
「ふっ、くだらない」と笑って瞬間で忘れてくださったら、という思いでつけました。
本名はプロテスタントのキリスト教徒の母が聖書から引用してつけたそうなのですが、
その意味は
「谷のゆり 谷底に一輪咲く百合の花」
という箇所かららしいです。
しかし、そこに隠れている真のストーリーは、谷底で一輪だけ、豪華に香り高く咲いている百合の花を見つけた旅人が、その香りに誘われて近づいていき、摘み取ろうとしているうちに我を忘れ、足を踏み外して谷底に落ちて死んでしまう、それを見下ろす百合の花は、またか、というようにうつろな瞳で空を見上げる、みたいなものがあったと思います。
なんだか意地の悪いルシファー的な存在です。
ちょっと私の性格に似ている感じもします。名前を呼ばれているうちに、そういう性格になっていったのかも知れません。