先日、餌やりで回収作業をしようとしていたところ、暗闇に急に現れ通り過ぎた家族の男に振り向きざまに、
「えさやりするなよ!この○○○!」
とここに書き出すのもはばかれるような汚らしい捨て台詞を吐かれ、私は思わず、
「待ちなさい!名を名乗りなさい!それは侮辱罪ですよ!または名誉棄損、法に反します。訴えますよ!」
と、叫びました。
正義の大天使ミカエルが私にそうさせ、大天使ガブリエルが私に入り、言葉を発したのでしょう。
そのいかにも下流風なカジュアルを通り越した下品な服装とふうていの40代くらいの夫婦は、夫は、履きつぶしたゴムサンダルを面倒くさげに履き、手には買い物袋と飲み物を持ち、乱れた長い髪を、腰まで伸ばしている奥さんの方は泣き叫ぶ赤子を抱いていました。
その夫の方が卑怯にも、こちらの手の届かない距離まで進んだ後に、振り向きざまに、汚い言葉を吐いたのです。
一見して分かる世の中に不平不満を持ち、身勝手な正義感を振り回す人々。
嫌々抱かれている赤ん坊の泣き方は尋常ではなく、なにか日常的に虐待でも受けているのでは、と疑いたくなるような死の間際に救助を呼ぶような叫び声を上げているのでした。
その夫婦の夫の方は特に、自分よりも弱者と見える対象を見ると、常日頃抱いている行き場のない、むしゃくしゃとした感情を、正義を装い、言う権利を振りかざし、ぶちあてて解消しているのでしょう。
そして暴力的な言葉を公的な場所で吐き出しても、こちらが反撃して来ないであろう、また法的にもおとがめがないであろうと、無教養な頭脳で分析し、無料のストレス解消法を試みているのです。
その男は、他の場面でも日常的にそれを繰り返し、良いことをしているという、正義感を満たし、勝者の快楽を味わっているに違いありません。
その快楽は常習的となり、一種の依存症となります。
いわゆるいじめっ子のバイオレンス依存症です。
あの場で、私に暴言を吐くことで、それを成功したならば、他の餌やりを見つけた時にも暴言を吐き、更には猫を見つけた時には、人間でないから良いであろうと暴力に発展することでしょう。
その一方的な攻撃で成功体験をさせてしまったら、どんどんとそれは悪い方向に進んでいくはずなのです。
そんなことをこちらが許してはいけません。
その快楽を打ちこわし、暴言を吐くと、とても気分の悪い、後味の悪いものになると、幼稚で無教養な頭脳でも学習させなければなりません。
私はそのような暴言を吐かれた時は、瞬時に後ろに天使の翼を奮い立たせて、ルシフェルを呼び、言われた10倍くらいの言葉を返してやります。
絶対に言い返せないような言葉のストックをいくつも作って引き出しにしまっておき、いつでも引き出せるように準備しておきます。
そして相手にとことん嫌な気分を味わって頂きます。
暴言を吐いたなら、ものすごく嫌な体験をする、ということを学習して頂くのです。
若者でも年寄りでも容赦はしません。
キリストの名言集で
「右の頬を打たれたなら、左の頬も差し出しなさい」
というものがありますが、それはきっとキリストの述べた言葉がいろんな解釈で短絡的になってしまったもので、誤解を受けるものとなっている感じがします。
それだと、一方的に自己犠牲を強いられることを良しとするものになってしまいます。
間違っていることをしている相手を増長させて良い気にさせて、更に悪の深いところまで陥らせてしまう、ルシファーのやり方です。
ルシファーの中には、人にいじめられるのを良しとさせる性質のものがいます。
そのルシファー達を大きく強くしてはいけません。
それらは思いっ切り容赦なく、情けはかけず叩きのめし極小のつぶにしてやります。
天使とルシファーの比率をバランス良く保たないいけません。