先日は天気予報が外れて雪の予報が雨に変わっておりました。
季節外れの雪も、もう終わりかな。「なごりゆき」の歌詞が完璧にそらんじて歌えるのは歳を取った証拠でしょう。
しかし、雪を喜ぶのは高校生までの子達か、ワンちゃんか、うちのエンちゃんくらいしかいないようです。
昔は冷たい空からハラハラと白い結晶体が落ちてくるとなぜかワクワクと嬉しく心躍ったものです。
しかし最近は小さい粉状のものがふわっと舞っているだけで、チと下品にも舌打ちをしてしまっております。
雪が迷惑に感じるようになった時が、大人になったということでしょう?!
しかし、目的なく何も考えないで行くような温泉宿で、あたり一面が白銀の世界になるというもの、幻想的で風情のある素敵な景色でしょうね。
天気予報を見ていたPCのAIで突然、「雪」と題していろんな文章が飛んで参りました。
「雪といったら『雪国』。また『細雪』。言わずと知れた文豪の川端康成の傑作・・と出て参りました。
「?」
雪国は、身勝手な感じの色っぽい大人の小説で子どもの時に読み、わけわからん、と混乱した苦手な分野のものだった記憶が。もうひとつの細雪は、文豪谷崎潤一郎の、戦時中にもかかわらず、芦屋の豪邸で贅を尽くした日々を楽しみ、敵国の外国人とも優雅に交流し、戦争に加担している日本国を皮肉り、質素倹約を善としていた時世でわざと贅沢をして政府を煽っていた物語という強烈な記憶があります。あの耽美な文章は私の好きなルシファー的な魅力に満ちていました。雪国も細雪も両方とも大人の身勝手さと色気に満ちている物語でしたが、作者によってまったく異なる内容だった気がしました。
雪は真っ白い純粋な印象ですが、大人の観方だとそれがすべて醜く汚らしいものを包み込んで隠してしまい、すべてをなきものに、静かにしっとりと色気のあるものになるのかも知れません。
AIでもやはり間違えることもあるのですね、と何かほっと安心した瞬間でもありました。