jupes jupesの日記

Lanai Fukudaのくだらない日々

電気・・・



先日、よく行くスーパーで「ゲンパツハイラネエー」という生々しい歌が聴こえて参りました。

なんと新鮮な元気な歌声と思って聞いていると忌野清志郎さんの昔の原子力発電所反対の歌のようでした。気になって調べてみると30年ほど以前の歌であり、忌野さんは反原発関連の歌をたくさん歌っていらしたことを始めて知りました。本当にすごい予言者のような方でいらしたのですね。やはりあのお方は普通の人間ではなく火星から来られた賢者のようなお方だったのでしょうね。

しかし、そのライブの映像を拝見していると、なんとも違和感というか矛盾を感じてしまいました。そのライブ会場は派手な電飾のパフォーマンスに、エレキギターをかき鳴らしてのライブで、協賛は電力会社らしい…これは、そう言いながらも、電力に頼らざるを得ない自分を皮肉っているこの方独自の自虐的パフォーマンスなのかのか…分かりかねましたが、単なる反原発運動ではないパフォーマンスなのだろうな、と勝手に理解しようとしておりました。

もし、本当に原発反対のライブコンサートを実施するのであれば、キャンプファイヤーのような火を焚き、その前でアコースティックギターと太鼓の演奏と生声のライブをするはずです。そうでないと、まったく説得力がありません。

もちろん原子力発電は素晴らしいとは思いませんが、自分自身も生まれた時から、原子力の恩恵にあずかり、自分の身体の9割は、電気のおかげで育ってきた、共犯者でありますから、もし原発をすべて「悪い!」と反対してしまうと自分の存在9割を責めていることになってしまい、その辺は大っぴらに大口を開けて反対とは恥ずかしくてとても言えません。

便利な現代生活を送りながら、「原発反対!」などと言ってしまうと、まるで白いご飯を食べながら「米は悪い!反対!」と言っているかのような気分になります。

もし反対運動をするなら、自分だったら江戸時代の生活に戻り、遠くから「自分は電力は絶対に使わないぞ!原発反対!」とおおっぴらに言える気がします。

しかし、それはもうこの電力に慣れ切っただらしのない肉体には無理であります。

今回も自分の周囲の電器器機がダウンした時に、遠くの人と交信をするには、「のろし」はたまた「伝書バト」または、ワンちゃんを走らせるか、はたまた「テレパシー」を飛ばすしかないかな、といろいろと想像しておりました。

そう想像しながら、向こうに知らせる間にあまりにも建物や電磁波などの邪魔があり過ぎて無理だろうな…と苦笑いをしておりました。

この現代に生まれたものの宿命として今を受け留めて、でも、なるべく便利すぎるものは使わないように、原始的な生活を心がけようと努めております。