jupes jupesの日記

Lanai Fukudaのくだらない日々

クリスマスの思い出…


今日はいつの間にか、クリスマス・イヴの日であったのでした。

今晩は、クリスマス前夜ですね。

どうも日本にいると実感が沸きません。

クリスマスというのは、そもそもキリストの生誕を祝うキリスト教信者の方々の最大の行事です。どうして、神道が基本である日本でこんなに大騒ぎをするのか疑問です、と、いっても日本はなんでも受け入れ自国の独自なものに融合させることのできるキャパシティの大きさが心地良くて素晴らしいと思います。

私の幼少期のクリスマスの時期の思い出というのは、残念ながらあまり幸せな記憶がありません。
家がクリスチャン一家であった為に、クリスマスの時期になると一か月も前から教会に何度も連れていかれ、キリスト生誕劇の準備やクリスマス会の準備をさせられたものでした。そしてクリスマス前夜などは幼い子供達も関係なく夜遅くまで教会のクリスマス会に参加させられて大人達と共に讃美歌を歌わされたり、足を洗う洗足式なるものをさせらりたりし、更にクリスマス当日になると、再び早朝から教会の本格的なクリスマス礼拝式に参加させられるという、もう子供の自分にはうんざりで早くこの時期が過ぎてくれないかと、ひたすら願っていたものでした。

学生の年齢になるともう教会の呪縛からは解放されて自我を持ち、すっかり親の教会からは文字通り足を洗い自由になっておりましたが、その代わりに聖夜の晩には恋人同士で素敵に過ごさねばならないという、クリスマス商法に乗せられた人々による都市伝説のような新たな呪縛のようなものが、教会といった狭い世界の中での呪縛とは違う、広い世間の中のハードルの高い呪縛が当時の若者には課せられていたのでした。それができないものは、劣等者または半端者として見下される、というまるで隠れキリシタンを見つけて告発するかのように、クリスマス・イヴに相手がいないということが判明してしまうと、冷淡で冷酷な軽蔑のまなざしを受けざるを得ないというような残酷な時代があったのでした。

もちろん自分は隠れキリシタンのように、そっと隠れておりました。

その後、カトリック系の学校に勤めだしてからは、クリスマスの時期になると再び、クリスチャンの呪縛が待っておりました。クリスマスというのは、ミッションスクールにとって一年で一番重要な行事であり、PTAの親や世間に、わが校は、最高のキリスト的行事を行なっておりますというアピールをするための最高の機会であるのです。
それでその時期になるとやはり一か月以上も前からクリスマス会の準備をさせられたものでした。その当時は、キリスト生誕劇を生徒達に英語劇でさせるという出し物があり、全校生徒の中からオーディションで出演者を選び、セリフの特訓をさせて、当日まで毎日毎日練習をさせるという数年間を過ごしていたものでした。

その時もやはり一か月以上もクリスマスの飾りや聖なる音楽そして生誕劇のセリフに全身浸かっていた為に、クリスマスの当日などは、聖なる音楽と英語のセリフが頭の中を渦巻き夢遊病のようになり、しばらくそれらの音が耳鳴りのように響いていたものでした。

それらのクリスマスの呪縛から解放された楽しい記憶としては、日本から脱出して海外でクリスマスを過ごした時でした。

自分の中のクリスマスの最高に楽しかった思い出のひとつとしては、子供達のホームステイプログラムのボランティアで2週間ほどオーストラリアのパースで過ごした中で、自分もホームステイをしていた大家族と過ごしたクリスマスの2日間でした。

日本と季節が真逆な為に、真夏のクリスマスでは気温は30度くらいはありましたが乾燥している為に、それほど苦痛を感じない気温の中で皆さんほとんど半裸のような姿で照り付ける太陽の下で、大きな庭で開かれるホームパーティを楽しんでおりました。
私の滞在したお宅は、5人のよくしつけられた賢そうな男の子だけの家庭で、とてもさっぱりとして感じの良い親切なご両親のいるお宅でした。クリスマスの日はそのお父さんもお母さんも陽気に変身し、私を親戚や近所中に連れ回してくださり、クリスマス・パーティのはしごをご一緒したのでした。
一軒ずつ何をするかというと、とにかく大人達は、キリストの生誕とはかけ離れて関係なくお酒で祝杯をあげるのです。
昼間からシャンパン、ビール、ワイン、ジン、バーボン…といったパーティ用のちょっと高級なアルコールが振る舞われます。私は日本では静かに日本流に振る舞ってはおりますが、海を越えるとどうも人格が変わってしまうようで、その時はすっかり地元の肝臓が10個くらいあるオージーに憑依されたのか、陽気なオージーなり切ってしまい、一軒一軒アルコールの振る舞いを断ることなく有り難く頂いておりました。しかし、肝臓が10個あったとしても翌朝まで10件以上回っているとさすがに最後の方では、頭上で知らない小惑星が周っているような感じになってきておりました。ただ、良い高級なアルコールというものは、すぐに消化させるのかあとに残らないようで、オールナイトのホームパーティの翌日も続くバーベキューパーティにも親戚の一人のように溶け込んで気持ち良く参加しておりました。
この思い出は今思い出しても楽しくなるようなものであります。

それとは異なって、清らかな聖なる気持ちがよみがえってくる、もう一つのクリスマスの美しい記憶では、ドイツのミュンヘンにある友人宅を訪ねた時でした。零下の中でチラチラと舞う雪の中で、また白い雪の良く似合う石の古城のあるローゼンブルグまで行ったのでした。そこは、ロマンチック街道の中のひとつで、ロマンチックな雰囲気はとてもありますが、日本人が大好きなロマンチックという軽い言葉よりも、厳かで重厚な歴史の重みを感じる場所でありました。戦いを何度も経ただろう古城の何百年も耐えた赤茶け少し崩れたレンガの石の上にふわふわとした綿雪が降り積もり、そこに下からライトが当たり、真っ暗な中にきらめく真っ白い雪がライト・アップされて、幻影のような古城も浮かび上がり、まるでタイムトリップをして自分が中世の貴族になったような気分に浸り、すっかり寒さを忘れるほどでした。それはそれは幻想的な美しい思い出です。
その後、古い教会のミサに参加した後、また100年以上も経っているという石造りの頑丈な家の中で家族一同と質素で簡素ではありますが厳かなクリスマスディナーに参加させてもらったのでした。翌日はカトリック信者ではないのですが、また朝から近所の古い教会のクリスマス礼拝に参列し、厳かで清らかな由緒正しいミサを体験させてもらいました。

こう書いていると自分は良い経験をたくさんさせてもらったのだとつくづく思います。

もう今死んでも良いくらい十分過ぎるほど良い人間界の経験をさせてもらいました。

クリスマスの日に、ふと過去を振り返り懐かしんでおります。