「鬼」のことを意識し始めたのは、ここに越してきた2012年からでした。(小平は鬼をほうふつとさせる何かが潜んでいるのかも知れません)
ある日、弟が急に怒り出し、その表情が怒る鬼の形相であったのです。
何を怒っているのかというと、政治が悪い、世の中が悪い、周りの人全員が悪い、自分は悪くない・・・と人間的にいうと自己中心的なわがまま勝手、人のせいにする性質のものです。
しかし、毎回、じっくりと聴いてやっていると、
「これはもしや地中に押し込められている鬼が人間に対し怒りを持ち、鬼的な弟に憑依して聞いてくれる人間に対して吐き出しているのではないか・・・」
と思えてきたのです。
鬼というのは、もともと地球の先住民であり、王族であった精霊が、あとからやってきた人間達と最初は互いに譲り合い尊重し合っていたものが、だんだん人口が増えて勢力が増した人間達に追いやられて、怒り、その怒りによって美しい姿が恐ろしく醜い鬼と変化してしまったものだそうです。
霊的な力のある人間が力がある単純な鬼を、戦などにさんざん利用した後、用がなくなったら、その鬼を捉えて地中に幽閉してしまった、という歴史があるようです。
しかし、人間達も鬼のパワーを敬う部分があり、かつては尊敬の気持ちを込めて、いろいろな漢字の中に込めていますね。
「魂」など「鬼が云う」ですからね・・・
かつて、受験の前、冬期講習で通った予備校の古文のカリスマ人気講師の方が、とっても不思議な先生で、「鬼のように・・・」が口癖で講義中に100回くらい連発していました。また黒板に花丸ぐるぐるマークを書くのが好きだったようで、チョークの粉を周囲に飛ばしながら、力強く、ぐるぐると描いていました。
この先生も鬼の化身であったのかも知れません。
鬼が良い作用をした時には、人並み外れた巨大なるパワーが発せられるために、古代の人々は、正直で単純な鬼たちのその力をずる賢く利用していたのでしょうね。
さんざん利用した後は、鬼の有り余る力を持て余した人間達が、陰陽師とか魔術師に依頼して、鬼の力を封印して、地中深く閉じ込めてしまったのですね。
そう思うと鬼は気の毒に思えて参ります。
しかし現代の人間達は、鬼のことなど、おとぎ話の中の架空の存在とした捉えておらず、自分たちの存在を知ってもらいたく、そして封印を解いてもらいたくもがいていると思えます。
それで、分かってくれそうな人間の近くの人に憑依して、やたらと責めたててくるのです。
私も鬼という存在は、幼少期に読んだ「泣いた赤鬼」に出てくる鬼にいたく同情して涙を流したことがあります。
鬼はいつも人間にやられてしまい、気の毒な存在に思えていたのです。
ずっと物語のひとつとして捉えておりましたが、2012年あたりからやたらと鬼が気になりはじめ、もしかしたら、精霊と同じように、あちらこちらにいるのではないか、と思い始めたのです。
人は生まれる時に999体の守護天使と999体のルシファーと共に降りてくるそうです。
そして生きている間には、その天使やルシファー達だけではなく、そこらじゅうにいる良い存在や悪いと言われる存在も、引き寄せて受け入れてしまうそうです。
鬼は、内側に鬼的な要素を持った人間に引き寄せられて、憑依状態となり、近くにいる人を責め続けます。
人を怒らせたり、悲しませたり、落ち込ませたり、時には同情をひくようなことをしたりして、人間を翻弄して喜んでいます。
鬼は無限の時間があります。つまり暇なのです。
相手にしてくれる人間をもてあそんで喜んで暇つぶしをしているのです。
そのことに気が付いてからは、私も鬼には同情することを止めました。
「鬼滅の刃」の中でも「強くなる、強くなる」というキーワードが出てきます。
鬼の誘惑に負けずに、それよりも精神を強くして打ち勝つ必要があります。
憑依されている人間も、自分が引き寄せた鬼に憑依されてコントロールされていることに気が付き、それを自ら止めなければ終わりがありません。
悪さばかりをする鬼を内側から引きずり出して、光の源に帰してあげる必要があります。
これは天界の命令しかありません。
鬼に負けないように
しかし、鬼のパワー
にも感謝です。