jupes jupesの日記

Lanai Fukudaのくだらない日々

隠れキャットニャン 続き

 

先日、いつものように団地のネコちゃん達に餌やりをしようとしていたら、子どもを乗せる大きないすのついた自転車に乗って近づいてきた女性がいました。

 

小さい紙のチラシを手渡され、

 

「何かお困りのことがあったらご相談に来てください」

 

と言われました。

 

そのチラシには、

 

「困りごとなんでも無料でご相談をお受けします」

 

・・・

 

「講演会のご案内も行っております・・・」

 

のような内容が書いてありました。

 

はは~ん

 

よくある常とう手段。

 

新興宗教の誘いのひとつですね。

 

ちらしには、まったくどこの誰とも団体名も書いておらず、ただなんでもお聞きします、とあります。

 

上手な誘いのメソッドですね。

 

ずっと以前の私であったらつい誘いに乗っていたかも知れません。

 

特に学生時代や20代の後半あたりは、私も言い知れぬ不安にさいなまれて、どうしようもなく、いろんな占い、新興宗教の後援会、そしてスピリチュアルワークショップに参加しておりました。

 

キリスト教では救われないと感じていた為に、あるとあらゆるものに救いを求めておりました。

 

その時はこれという明確な理由もなく、計り知れない巨大な、そして空虚な不安が押し寄せてくる感覚があり、「ただ死にたい」という欲求にむしばまれていました。

 

毎日、心の中で「死にたい死にたい」とつぶやき、でもキリスト教の教えでは自殺すると地獄に落とされるというものが、幼少期からインプットされており、それだけはキリスト教が救ってくれた「救済」かも知れません。

 

しかし、死の誘惑はとても魅惑的で、死後の世界の美しいヴィジョンが私を「死にたい病」にいざなうのでした。

 

学生の3年生の春休みに、クラスメートと一緒にアメリカ旅行をした際にも、家族に保険を残し、ナイアガラの滝で足を滑らせて落ちて事故死したと見せかけるのは、どうか、とかクラスメートには内緒で考えていたものです。

 

他にもどうやったら人に迷惑を掛けずに死ねるか、一番楽な死に方はなにか、死んだ際になにもかも抹消できる方法はないか、一番きれいに死ぬには、と延々と考えているうちに、煮詰まってくると、自分でもおかしく笑えてきてしまい、いつも最後は自虐的にふふふと笑っておしまい、となるのでした。

 

死にたい病は今でもずっとあるのですが、動物さんにかかわるとこの子達を置いてはまだ無理かな、と思えて参ります。

 

先程、ちょうどうちのネコちゃんをもらっていかれた方からお電話があり、

 

「3年間も続いていた死にたい願望が、ネコちゃんをお迎えして一瞬でスッと消えました。すごいです」

 

と告白していただきました。

 

ちょうどこの文章とリンクしていた感じで驚きました。

 

私はおかげさまで、天界の仕事をさせて頂いてから、死後の世界と死者の魂と対話ができるようになり、向こう側の世界のことをよく教えて頂いております。

 

詳しく書きだすと、大変なことになりますので、ストップしますが、簡単に言うと、生きていた時の最後の状態が、そのままスライド式に、向こうの世界に移ります・・・

 

ということです。

 

魂レベルによって、まったく状態も動きも変わって参ります。

 

肉体がない分、重い方は不自由にもなるし、軽やかな方は軽やかになります。

 

しかし、ネコちゃんを始め、動物さん達の魂は死後は瞬間に光に戻り、天使の姿になります。

 

ただ、飼い主さんがあまりにも嘆き悲しんでいると、しばらくすると降りてきて、寄り添ってくれます。

 

そして、飼い主さんが他のペットさんを飼うように心にささやき掛けます。

 

そして飼い主さんが次のペットさんを飼うことになると、次の子の中に3分の1くらい、入り飼い主さんを全身全霊でお守りします。

 

宗教なんかに入るよりも動物さんを迎え入れる方がずっと健康的で良いですね。

 

また地上の不幸な動物さんを一匹でも減らすことになりますから、ぜひ可哀そうなネコちゃんやワンちゃん達を迎え入れて頂きたいと願います。

 

楽ちゃんは多くの人々を救ってくださった偉大なるゴッド・マザーでした。