jupes jupesの日記

Lanai Fukudaのくだらない日々

Thanks Giving Day!

 

Happy Thanks Giving!

 

感謝祭おめでとうございます!

 

今朝は、廃墟と呼ばれてしまっているMさんのお屋敷の庭で野生化した柿の木の実を失敬した結果、渋柿だと判明し、見よう見まねでむいてしばらく干していたところ、熟して甘くなった実を噛みしめ、これまでの辛い日々を思い起こしながら、感慨にふけっているところでした。

 

Mさん宅の干し柿

別にMさんの母ネコを捕まえて不妊手術をしたところで、世界中のネコが助かるわけでもない、誰がためにそんな馬鹿げたことをし続ける、といった心の中に押し寄せてくるネガティブで厳しい負の言葉を追い払いながら、無となって、Mさんのもとに通い続けた日々でした。

 

私は自分のことはほぼ全て諦めておりますが、ネコさんを助けることだけは諦めません。

 

皆さんがあきれるほど、かなりしつこく執念深く取り組んでしまいます。

 

足掛けほぼ3年、Mさんのアパートの中と周囲に生息しているネコさん達と戦国時代の武将のように戦って参りました。

 

Mさんのアパートは、「心霊スポット」「サダコ屋敷」「廃墟」「昭和初期の建物の残骸」「牛小屋」「ごみ集積所」「火をつけられたらあっという間に焼け落ちる建物」「人間の住むところではない」と訪れる人々の印象と感想で、様々な呼称をつけられていました。

 

その呼び方によって、どれほどのものかきっと想像に余りあるでしょう。

 

誰も二度と足を踏み入れたくない、とおっしゃっておりました。

 

時にタヌキやハクビシン、アライグマも住みついています。

 

Mさん以外の部屋は、夜逃げをしたかと思われる部屋も多く、そこで生活をしていた方の家具や服がそのまま山積みに放置され、ついさっきまでいたかのような、生々しい人間の息づかいまで感じられるほどです。

 

ネコさんの観察の為に設置していた観察カメラに、得体の知れないものが映るのではと冷や冷やしていたものですが、浮遊するほこりがキラキラと光っていただけで、結局な何も映っておらず、安堵したものです。

 

今回、阻止しようと努力したにもかかわらず、白黒母ネコさんに4回目の出産をされてしまい、地団太を踏みながらふと顔をあげると、ちょうどMさんのアパート前に一面に広がる広大な畑に、ニンジンの芽が顔を出し掛けておりました。

 

私は、

 

「このニンジンが収穫される前にすべて解決する」

 

と悔しい面持ちと共に決意のアファーメーションを宣誓致しました。

 

それが9月の終わりでした。

 

その前には、Mさんがふてぶてしくも

 

「お母さんネコのお腹が大きいよ、もう放っておけ」

 

とのたまわられ、遂に我慢の限界がきてしまい、ぶちぎれて

 

「なんとかしてください!」

 

と夜中にもかかわらず大声で詰め寄ると、Mさんは

 

「知るか!」

 

と敗れかけている引き戸を閉めて、逃げようとしたため、すったもんだの問答の末、真夜中に警察を呼ぶという騒動にまで発展してしまったのでした。

 

その後は、Mさんも、これはまずい、と思ったようで、態度を改め、私に対しては180度変わり、協力的な態度になったのでした。

 

それまでに「ご近所の方々」「自治体」「動物愛護センター」「市役所の環境政策課」「地域包括センター」「民生委員」・・・などの方々が代わる代わる訪れて、総動員して説得しても、Mさんは無言を貫き、一向に歯が立たなく、のれんに腕押しの対応をされてしまっておりました。

 

あの熱帯夜の真夜中に、私が堪忍袋の緒が切れて爆発したことで、エネルギーが好転したことは間違いないと思います。

 

しかし、それからMさんが協力的になったところで、妊娠していた母ネコはますます警戒心が増してしまい、Mさんの部屋にも寄り付かなくなってしまっておりました。

 

それでも、あらゆる部屋に毎晩、捕獲器を仕掛け続けておりましたが、まったく入る気配さえなく、歯が立ちませんでした。

 

なんとか、今回は出産をさせたくないと思い、獣医さんに

 

「堕胎の薬はありますか?」

 

と訊ねてしまったほどでした。

 

獣医さんの返答は、

 

「堕胎させても、お腹に異物が残ってしまい危険であり、薬は出せない」

 

と返答されそれは断念致しました。

 

焦燥感を覚えながら、毎晩アパートに通い続けておりましたが、9月22日、

Mさんが軽く、

 

「お母さん、産んだようですよ、お腹がぺったんこになってる」

 

とのうのうとのたまわり、脱力して座り込みそうになりました。

 

これは、お母さんネコの勝利です。

 

マグダラのマリアのように気丈で気高い母ネコは、どうしても我が子達を守りたかったのでしょう。

 

産んでしまったからには仕方がありません。

 

今度は、子ネコ達と母ネコを捕まえる作戦を考え始めました。

 

もう捕獲器ではまったく入らないと諦め、今度は大きめのミニケージを運び込み、その中で授乳をするために、栄養が必要で非常にお腹が空いているお母さんネコを誘い込むことに致しました。

 

その作戦は成功し、お母さんネコは、ミニケージの中でご飯を食べる習慣がつくようになりました。

 

もう捕まりそうになるほど、ミニケージの中には入ってくれましたが、今、捕まえてしまうと、廃屋のどこかに潜んでいるらしい、産まれたばかりの子達が、母親無くては死んでしまう、ということで、すぐには捕まえずにミニケージ慣らしをし続けてもらいました。

 

私が訪問を止めてしまうと気を抜いて、慣らし訓練を止めてしまうMさんの性質を分かっているため、やはり一日置き位には、Mさん宅を訪問することにし、お母さんネコの様子を聞いておりました。

 

そして11月のはじめ、Mさんが

 

「出てきましたよ!4匹!白黒と黒が!」

 

とニコニコと嬉しそうにおっしゃいます。

 

中を覗き込むと、小さい白黒の可愛い顔が、Mさんの荷物の積み上げられた部屋の中でちょろちょろと動き回っています。

 

あの捕まらなかったお母さんネコのことを時に憎らしく思い、「もう死んでしまえば良い、子ども達もろとも葬ってやりたい」という思いがムラムラと浮かんでしまっていたことを、この無邪気な顔を見て後悔致しました。

 

Mさんも孫が生まれて訪ねてきてくれたように嬉しそうな顔で、子ネコ達を愛でておりました。

 

しかし、これをまた放置していると、負の無限ループが終わりません。

 

もう子ネコ達が出てきたのですから、容赦なく母ネコを捕まえても良いはずです。

 

Mさんに厳しく教授し、ミニケージの入り口に縄を縛り、母ネコが奥に入った途端に勢いよく入口を閉める、という訓練を目の前で何回もやって頂きました。

 

しかし、縄ではかすかに音がしてしまうということで、今度は長い針金に替えて入口に縛り付け、部屋の中で待機しているMさんが、母ネコが入った途端に入り口を閉めるという作戦に替えました。

 

それでも警戒心の強い母ネコは入口が少しでも閉まろうとすると踵を返して、瞬間に逃げてしまうというのでした。

 

基本的に優しいMさんは、ついお母さんネコが可哀そうになり、容赦してしまい素早く動かないために、何度か、尻尾を挟んだり、下半身を挟んでしまったようです。

 

私が何度も

 

「容赦しないでください、尻尾が挟まれても大丈夫ですから」

 

と言っても、どうしても瞬発的にひるんでしまうようなのでした。

 

私も装置をあの手、この手と改良を加えて、脳が煮詰まるほど考えて考えても、どうしてもうまくいきませんでした。

 

そのうちにどんどん子ネコ達はすくすくと成長して、廃屋の中を縦横無尽に飛び回るようになってしまいました。

 

外も中もネコちゃん達にとっては自由な天国です。

 

この楽しさが身についてしまうと家ネコとしては難しくなってしまうため、どうしてもまだ幼さを残す今、捕まえないと、と必死になっておりました。

 

時にもう諦めがちなMさんを慰め、褒めたたえ、

 

「Mさんじゃないと誰も捕まえられません。ネコちゃんとの信頼関係が築けているMさんだからできるのです」

 

と励まし続けました。

 

Mさんは人間界的にいうと社会性の欠けた発達障害系だと思われます。

 

美術大学に通っている当時から、このアパートに住み始め、卒業後は中学か高校の美術の教員をしていたようです。

 

部屋の外に詰めあげられている埃まみれのノートの中に「授業案」が何冊もありました。私も教員時代に同じように「授業案」を毎回の授業で作っておりましたので、わら半紙で刷られたそれらを見た時、なつかしさを覚えておりました。

 

推測するに、教員時代には結婚してお子さまもできたようですが、奥さまは、この世捨て人的なMさんのことを呆れて出て行かれてしまったのでしょう。

 

その後も、Mさんはこのアパートに住み続け、他の住人すべてが退去してしまった後も、頑固に居座り続け、大家の無言の「立ち退き!出ていけ」という嫌がらせの「電気ガス水道のインフラすべてを止められて」も出ていくことを拒否し続けているようなのでした。

 

普通一般の人にとっては、とても住めるような環境ではありませんが、Mさんにとって、ここは誰一人として邪魔をする者がいない自由天国なのでしょう。

 

そして可愛いネコ達が次々と訪れては子孫を残し繁栄し続けているのを、微笑ましく楽しく観察し、共存共栄してきたのでしょう。

 

教員を退職した後は、自由気ままな生活を楽しみ、SFのような小説を書き綴って暮らしていらっしゃいます。

 

私も、ネコ問題さえなければ、Mさんのような生活スタイルは、ある種の尊敬の念を覚え、羨ましくもあります。

 

しかし、私のような潔癖症候群の人間では、ゴミに埋もれた部分だけは受け入れることができないでしょう。

 

もし、そこが東京の郊外ではなく、地方の山の中とか森の中で野生動物さんに餌付けするような生活であったら許されることなのだと思います。

 

Mさんも周囲から遠慮がちではありますが、じわじわと無言の脅迫をされ、立ち退くような動きを受けているに違いありません。

 

しかし、Mさんにとって、環境を変えることは一番の恐怖であることでしょう。

 

今回も、隣に住む大家さんからも「これ以上ネコを増やすと出ていってもらいますよ」という脅しを受けたようで、遂に真剣に母ネコを捕獲しようという気持ちになっていたはずでした。

 

しかし、どうしても捕まらない母ネコに業を煮やしたMさんは私に

 

「母ネコに眠り薬を飲ませるのはどうでしょう?」

 

と訊いて来られました。

 

母ネコが寝ている最中に捕まえようという作戦です。

 

私ももう万策尽き果て、頭が煮詰まって腐敗してしまうほどでしたので、その方法も有り得ると思えて参りました。

 

Mさんからその提案を受けてから、あらゆるインターネットサイトで、「ネコを眠らせる薬は?」と検索しておりました。しかし、どれも有効なものはなさそうでした。

 

動物病院に訊いても麻酔薬は注射でないとありません。と言われました。

 

しかし、以前、興奮して鳴き続けるネコちゃんに安定剤を処方した方のことを思い出し、近くの動物病院で、カルテのある、うちのエンちゃんが興奮して捕まらないというように話し、「鎮痛剤」を数日間処方して頂きました。

 

思い詰めた顔で切羽詰まっていた私は、錠剤をすべて粉にして、Mさん宅に柔らかいスープ上のおやつを持っていき、飲ませてくれるように詰め寄りました。

 

しかし、翌日訪問してみると

 

「あまり食べないし、効いていないようだ」

 

とおっしゃりがっかりとしました。

 

もうできることはすべてやり尽くして、後がない、というところまで追いつめられておりました。

 

Mさんに電話をしてもいつもまったく出てはくださらない方です。

 

しかし、その夕方、突然Mさんからの着信があり、

 

「捕まりましたよ!お母さんネコ!」

 

と高揚し切った狂喜のMさんの声が響き渡りました。

 

「ええええ!」

 

としか声が出ませんでした。

 

私の執念深い行動を見ていた周囲の方々は口々に、Mさんを疑い

 

「絶対に捕まえる気がない、諦めなさい」

 

と有難くも厳しい愛あるお言葉を投げかけてきている最中でした。

 

無限地獄に陥ってしまい、かなりうつ症状となり、私の顔色もどんよりとしていたようで、皆さんは心配してくださっていたのでしたが、Mさんの電話の声を聞いて、

地獄から、いっきに天国界に昇ったような心持ちになりました。

 

まるでタールのようなもので蓋をされて身動きが取れなかったものが、爆発して自由空間に解放されたような感じでした。

 

狂喜の電話があった時は、ちょうど私が餌やりの時間で看護師の生徒さまがちょうど空いていらしたということで、母ネコを引き受けにいってくださいました。

 

Mさんは捕まった母ネコに同情して出してしまう恐れがあった為に、一刻も早く、あの部屋から出さなければ、と思ったのです。

 

看護師の生徒さまとの連係プレーは最高のタイミングで、まさに奇跡のような出来事でした。

 

その夜、Mさん宅に伺い、どうやって捕えたのか訊いたところ、

 

「部屋に入ってきたお母さんネコにから揚げを少しずつあげていって、油断しているところを首根っこを捕まえて、キャリーバックに押し込めた」

 

とおっしゃいます。

 

キャリーバックはMさんがホームセンターで購入してずっと以前から用意していたものでした。

 

なんとなんと・・・これまでの捕獲作戦の捕獲器やミニケージはいったいなんだったのか・・・

 

しかし、これまでの血のにじむような努力のプロセスなくしては、この捕獲はできなかったはずです。

 

また安定剤と眠り成分の入った薬が徐々に効いていたという効果もあり、ついに奇跡が起きたのでした。

 

しかし、最後はやはり飼い主であるMさんとお母さんネコの間の厚い信頼関係が築けていたからこそ、成し遂げられた結果であったことです。

 

Mさんは自慢げに

 

「3年かかりましたよ!3年かかってようやく捕まえられた!」

 

と高揚で上気して紅くなった頬を緩めて饒舌に話されました。

 

いつもは口が重くほとんど何もおっしゃらないMさんでしたが、よくしゃべってくださり、私も手を叩いて

 

「Mさんすごい!さすがです!」

 

と褒めちぎりました。

 

その後、子ネコ達4匹もすぐに捕まったのですが、Hさまご主人様と一緒に病院に搬送する際、ミニケージの隙間から2匹、逃げてしまい、私は蒼白になりました。

 

その後、もう一度、今度は他のボランティアさまから捕獲器を急きょお借りして、Mさん宅に駆け付けると、立てかけてあった板の隙間に2匹が一緒に隠れており、Mさんと共に追い込んで手づかみで捕まえることに成功致しました。

 

必死で逃げまどう子ネコをなんとしてでも逃がさないぞ、という執念のもとで思わず手に力が入っておりました。

 

これで、3年がかりで取り組んできたMさんアパートでの捕物劇は、無事に終焉を迎えることとなりました。

 

振り返ってみると、すべてが喜劇のようにも思えます。

 

肝試しのような暗黒の廃墟に毎晩通うことは、ほとんど習慣となっており、苦痛は伴いませんでした。

 

しかし、負のエネルギーを浴びせ続けられ、私の忍耐を試される良い経験でありました。

 

終わりよければすべて良し・・・

 

ご協力くださったたくさんの方々に感謝申し上げます。

 

支えて励ましてくださった皆さま有難うございました。

 

全国の生徒さま方からは、数多くのお手紙や、励ましの品々が山ほど届きました。

 

温かいお心、本当に感謝に堪えません。

 

あー

 

でももうこんな経験は結構でございます。

 

次なるステージにあがりとうございます・・・

 

その日、実は去年の誕生日後に、生徒さまから頂いた凍らせておいたショートケーキを頂きました。

一年前のショートケーキは歓喜のお味でした

 

「お母さんネコが捕まったら食べよう」と決意して冷凍庫で凍らせておいたケーキでした。

 

昔、予備校で合格ゆで卵をもらった時にも「大学に合格したら食べよう」と1か月拝んでいたものを合格後に達成感を味わいながら色が変わってしまっているゆで卵を頂いた時と同じ気分でした。

 

フローズンストロベリーケーキは、Mさんの干し柿と同じようにほろ苦い上品なお味でした。

可愛い白黒君たち。全員ボーイでした

マグダラのマリア母さん

この度ご協力を頂きました皆皆さまに心から感謝申し上げます。