「2度と絶対にしない!」は「しばらくはしない」ということではないかと思えます。
悪いことをして、親に叱られた子どもが泣きながら、「もう2度とやりません。絶対にしません!」と言わされたことで、子どもが、再びそれをやらなかった試しはないでしょう。
人に言われて、止められることは、ほとんどない!と思います。
それは大人になってからも同じです。
大人になると更に、自分自身で「もう2度と絶対にしない!」と誓っても、なんだかんだと理由と理屈をつけて、再びをそれを繰り返します。
たとえば、「太ってしまったから、もう明日から何も食べない!」と言っても絶対にそれは無理ですし、また「お酒を止める!煙草を止める!」のたぐいの依存症的なものは、特に無理のようです。
人間は信用できない動物です。
私自身も私をまったく信用しておりません。
人も信用しません。(こう言い切ってしまったら最悪ですね)今まで生きてきた経験から言い切ってしまえることですが、信用し信頼しきっていると必ず裏切られ傷が深くなり、人に対しての不信感と猜疑心のかたまりになります。
小さいことでは、「絶対に約束通りやります!」と言われてそうなった試しはほとんどないからです。悲しいことですが、それは仕方のないことです。
最初から、人間の悲しい性を包容力を持って、表面状は信用している振りをして、斜めに、または客観的に見るようにしていると、その人が言った通りになって良い結果になったら更に良いし、裏切られて悪い結果になっても、仕方がないと許せる気持ちになります。
人はとことん痛い目に遭っても、またのどもと過ぎれば熱さ忘れる、という具合にまた同じことを繰り返します。
それはやはり「魂の癖」から来ていると思われます。
魂の奥底にあるパターンが、悪いことと顕在意識で分かっていても、行動に出てきて、同じことを繰り返してしまうのです。
魂の底から、自分自身で気が付いて、魂の癖のパターンを止めようとすれば止めることができます。
それには天界の光で魂をリセットするしかないようです。