jupes jupesの日記

Lanai Fukudaのくだらない日々

息子の希望・・・


先日、家族の風水のことをちょっと書きましたが、この10年間のご相談で、かなり多い件数のご相談内容が、母親が息子さんに対しての心配ごとでした。

また更にその愛する息子にくっついている女性やお嫁さんに対する不満もかなりなものでした。

天界のマスター達のおっしゃるに、

「母親と息子とは非常に強い愛情で結ばれている関係である。過去世で何度も結ばれなかった恋人同士であったことも多い、お互いに愛情が深く助け合うソウル・ファミリー同士である」とのことでした。

「息子にとって最初に出会う母親は女神の存在であり、生涯憧憬し続ける女性である」

ともおっしゃっております。

しかし、今世では母と息子になるなんて少々残酷でもあります。それも互いの魂を磨くためでもあるのでしょう。


夏目漱石大先生の「三四郎」の中で、学生三四郎の心の中の希望のつぶやきが面白く、現代の健康的な若き男の子とまったく変わらない偽らざる正直な気持ちだと思わず笑ってしまったことがあります。

三四郎はこんなようなことを心の中でつぶやいていました。

「ふるさとのお母さんは、自分をとっても大事にしてくれる。心から愛してくれる。なんでもやってくれる。すごく便利な人だ。できたら一生一緒に暮らしたい。そして若くてきれいなお嫁さんが欲しい。だからお母さんとお嫁さんの両方がそばにいてくれたら最高に良い…」

と、とてもお母さんの気持ちに反するようなことを平気で期待しております。

先日の新聞の文芸欄で福岡伸一氏がこのように書いておりました。この方の生物学的な観点はとても鋭く面白いのでいつも感心しております。


ボーボワールは「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」と言ったが、生物学的には「ヒトは男に生まれるのではない、男になるのだ」と言う方が正しい。
 生命の基本形は女性である。そもそも38億年にわたる生命進化のうち、最初の30億年は女だけでこと足りた。男は必要なかった。誰の手も借りず女は女を産めたhttp://www.asahicom.jp/images/asahicom/hand.png。その縦糸だけで生命は立派に紡がれてきた。でも女は欲張りだった。自分のものは自分のもの。他人の美しさもほしい。かくして縦糸と縦糸をつなぐ横糸が生み出された。遺伝子の運び屋としての“男”。単なる使いっ走りでよいので、女をつくりかえて男にした。要らないものを取り、ちょいちょいと手を加えた急造品。たとえば男性の機微な場所にある筋(すじ)(俗に蟻〈あり〉の門〈と〉渡りなどと呼ばれる)は、その時の縫い跡である。
 コンピューターをカスタマイズしすぎるとフリーズしたり、故障したりしやすくなる。それと同様、基本仕様を逸脱したもの=男、は壊れやすい。威張ってはいるが実は脆(もろ)い。病気になりやすいし、ストレスにも弱い。寿命も短い。その証拠に、人口統計を見ると、男性に比べ圧倒的に女性が多い死因は「老衰」だけである。つまり大半の男は天寿を全うする前に息絶える。哀れなり。敬愛する多田富雄はこう言っていた。女は存在、男は現象。(生物学者


と、男の弱さ、哀れさをユーモアたっぷりに書いていらっしゃいます。


母たちが弱き哀れで可愛い我が息子たちを溺愛するお気持ちはよく分かります。

でも、どうすることもできません。

素直であほな息子を一生そばに置いておき便利に使う母親もおります。(うちの母親)

しかし、健康で賢く社会的な活動に野心を持っている息子達を一生独身のままそばに置いて支配し束縛することはできません。

もし、息子が過去世の恋人であったなら、その愛する恋人が社会で活躍して貢献し成功する為に、互いに自立し、若くて健康的で息子が好んだ女性と一緒にさせてあげ幸せになることを遠くから祈り、母親は自分が最高に輝く方法を見つけて楽しむことが最高の人生ではないかと思います。