jupes jupesの日記

Lanai Fukudaのくだらない日々

tranquille time

9月になりました。

関東では、以前から思っていた通り、9月になった途端に本物の秋へと突入したようです。

最近、私の天気予想チャネリングとどうでも良いことはやたらと当たります。

洗濯物を干した時など、あと数時間は雨が降るか降らないか、はぴたりと当たりこれは助かっております。

この間は、ふとつけたTVで「今年のマラソン・ランナーは・・・」とアナウンスが流れた時に、頭の中に「Dirty Work」のBGMが流れ「ブ○○○○○○一発屋、これで消える人」と聞こえてきた直後に、TVの中で「Dirty Work」が流れ派手なメークの女性が登場してきました。

ちょっとその時は鳥肌が立ってしまいましたが、本当にそれは自分にとってはどうでも良いことでした。自分のことや自分の身辺のことはどうなるのか、悲しいかな、何一つ分かりません。

先日、63日間、入院していた弟がようやく退院致しました。

この63日間という期間は、弟にとってというより、私にとって貴重な必要な時間であったと思います。

弟と共にほぼ毎日、病院の庭をゆっくりと散歩した時間は、トランキル タイム tranquille timeと呼んでおりました。

いつになく、何も考えない静かで穏やかな時間でした。

真夏の太陽がさんさんと降り注ぐ一日の中でも一番暑い午後の数時間が唯一、面会を許されている時間でした。その数時間の間に、数々のハーブが植えられた丘や、自然に近い古代の深い森のような森林を一時間くらい掛けてゆっくりと散策するのを日課としておりました。高い木々の枝が重なる木漏れ日の下をゆっくりと歩いていると緑の多い場所では、茂った草木によって自然に冷やされた風がそよそよと吹くのを感じ、自分という存在が消えてしまって緑の中に溶け込んでしまうような不思議な感覚を体験しました。

弟もなんにも考えておらず、頭の中が「空・無」になっている感じでそれが伝わり、私もずっと「空・無」になっておりました。

自分でも、このことは義務であり、作らなければいけない時間だと感じておりました。

父や兄に対して何もしてあがられないまま、天に帰してしまったという贖罪の気持ちもかなりありました。

父や兄から、弟の世話をすることで、その罪悪感を解消するように、と言われていたような気も致します。

ついこの間、こんなこともありました。

ずっと以前の生徒様が、「数年間借金まみれであったが、ようやく見つかった会社の上司からパワーハラスメントを受けており、人格を否定されるような言葉を四六時中浴びせられており悩んでいる」というご報告を受けました。

その方からそのご報告がある前に、その方の亡き養母の方が、私のヴィジョンの中に何度も出て来られて嘆いていらしたのです。その養母様が仰るには「娘の育て方が悪かった。失敗してしまった。幼い頃、あまりにも大事に大事に蝶よ花よのように何不自由なく好きなようにさせた為に、娘は大人になってから傲慢で自己中心的になってしまった。自分が病に伏しているのも無視して男に走っていた。最期の時も親戚任せで知らん顔をしていた、残しておいた多額の遺産も男に全部使って無駄にした・・・」というように嘆いていらっしゃるのです。その養母の方の言葉は、その方にお伝えするのはためらいできませんでした。その娘さんの上司には、その亡き養母の方が憑依し、その娘に生前言えなかったお叱りの言葉を浴びせていたようでした。

やはり人の学びの中で、やらなければならないことをやらずに避けようとしても、後から同じようなことが起こり、いわゆる、つけが回ってくる、ということはあるのですね。浮世ではプラスマイナスゼロ、皆平等、ということですね。

私自身も、年老いた両親の介護などはしたこともなく、他の既婚の方々のように結婚相手の両親の面倒も見る必要もない、という楽をしてしまっていた為に、生涯、弟の面倒を見させられるという憂き目、いえ、有難い学びの修行を頂きました。しかしもう良いです。十分学ばせて頂きました。ありがとう。

弟はまるで冬眠していたかのようにぼーっとされるがままでしたが、退院したら、春になって雪が溶け、熊が長い眠りから覚めたように活気づいてしまい、もとの乱暴な熊に戻ってしまいました。

抑えられていたエネルギーが反動で大爆発したようです。あとのことはすべて天界にゆだね、私は弟への義務の職務を終えたことに感謝してさようならを致します。

天界よ!この貴重な時間をありがとう!